好きなことをしていると

好きなことをしていると

本当に一日があっという間に

すぎる。


今日も一時から六時までの

講座がオンラインであったのだが

楽しすぎるままの


あっという間の

5時間だった。


講座をやっている最中に

疲れを感じることは

ほとんどない。


休みを取るのはだいたい

生徒さんたちのためで

それほど自分が休みを

必要とすることもない。


お腹が空くとき

以外には。


私はかつて


「歌手」


になりたくて

年商数億の会社と

人も羨む人脈のすべてを

手放し


カリフォルニアに

向かった。


そして私は

まず


「ダンサー」


になり、


それから

「ヒーラー」

となった。


しかしながら

4年間通った

ヒーリングスクールの

卒業の時私は

先生や生徒さんを前に


「私はヒーラーになりません。

歌手になります」


そう宣言して卒業した。


それからカリフォルニアで

初のソロコンサートをして

2年後には


東京へまた戻っていた。


東京へ戻るとすぐに

歌い始めたものの

同時にヒーラーとしても

デビューした。


7万円かけて

友達にHPを作ってもらい

広告を出し


クライアントさんは

ボチボチだが

来てくれるようになった。


そんなある日私は

やっぱり


「もっと歌いたい」


とヒーリングをやめて

7万円投資したHPも

一年も待たずに閉鎖した。


それから私は

デモテープを持って

お気に入りのライブハウスに

自分を売り込みに行き、


それから一人

コネもツテもない

ジャズクラブの


オープンマイクに出た。


そんなある日

小さなジャズクラブで

深夜ピアノ演奏が始まったので

一曲歌わせてもらうと


そこからチャンスが

広がり、


有名なジャズクラブや

ライブハウスに

出演できるようになり


アルバム発売の

話も舞い込んだ。


それは立ち消えになって

しまったけれど、


ジャズクラブの

レギュラー出演も叶い


年に二回のソロライブには

十分なお客様がいらしてくれ

私は満足だった。


なぜかCDアルバムを作りたいとh

思わなかったのだ。


それから私は

たくさんあった貯金を使い果たし


家族にお金を借りて

カリフォルニアは

エサレン研究所のワークカラーという

働きながら学ぶことにした。


ヒーラーは完全に

やめていた。


そこであった

ダーリンの住むスイスに

半分引っ越し


二拠点生活が始まった。


(続く?)


わからない。


(笑)


画像1


とりあえず

勢いで書いてみた。


スピプロ10期も

ホント、最高!


豊かな時間を

ありがとう〜!


写真は2015年

ヨーロッパでの私。

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