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21歳、友達がすごく少ない

来月、いとこが結婚式を挙げることになった。結婚式。私は、何人の友達を呼べるだろうか?と咄嗟に考えてしまった。

あの子とあの子とあの子と......あ、でもあの子はやめといたほうがいいか......などと考え、結果呼べそうと思えたのはたった1人だった。

呼べる予定のその子も親友というわけではなく、幼馴染で、半年に一回会ってご飯を食べる程度。(偶然か必然か、彼女もINFJ)


そうこうしていたら、
「私には、友達がいない。」という結論がでた。

小中高とそれぞれ仲のいい友達はいたけれど、それは学校内の話で、学校外で会って遊ぶことは滅多になかった。

だから、今も友達との遊び方がわからない。思い出の積み重ね方を知らない。

一つだけ言い訳をすると、私は中学受験をしている。小学生の時は、学校が終わると走って家に帰り、電車に飛び乗って塾に向かう子どもだった。放課後に友達と遊んだのは、確か小2が最後だ。近所の友達とはすぐに疎遠になった。

その後、都内の中高一貫校に入学し、片道1時間の電車通学を続けた。そこでできた友達とも、休日にすぐに会いに行ける距離ではなかった。たまに都内のカフェで会っておしゃべりしていたけれど、私にとって休日とは、基本的には家で1人で過ごすものだった。

高校で仲良かった子は、私と似ている性格の子ばかりだった。勉強好きでクソ真面目な子や人前に出るのが苦手で本ばかり読んでる子。

厳しい校則の中で、彼女たちと、たくさん社会への愚痴を言い合ったし、先生達へ精一杯の悪態もついた。

スマホを学校に持ち込むことも、放課後制服のままどこかに立ち寄ることも禁止されていたので(見つかったら停学処分・・・)、私たちの自由は完全に制限されていた。青春は学校内に限られていた。

当時は、みんなが同程度に自由を奪われていたから、「自分だけが青春していない」という焦りを感じることがなく、私は心のどこかで安心していた。


大学生になると、彼女たちは友達を新たに沢山作り、楽しそうな写真をSNSにあげるようになった。

幼稚で自己愛まみれの私は、裏切られたと思ってしまった。

変わっていないのは私だけだった。休日は変わらず1人で過ごし、今は大学の授業も当たり前のように1人で受けている。SNSにあげるのは、お花の写真ばかり。

恥ずかしくもなければ、さみしくもなんともなかった。だから、ここまで1人を続けてこれた。ただ、友達のSNSは全てミュートにしていた。

昨日、留学から帰ってきた高校時代の友達に、会おうと言われて会った。

彼女は、留学先でも友達をたくさん作ったそうで、彼らとの写真も見せてくれた。

写真の中の彼女は、私が見たことのないファンキーな表情をしていた。舌を出して、ウインクをしていた。ベビーフェイスな彼女に不釣り合いな気もしたけれど、やっぱりとても似合っていた。

帰り道、なんとなく彼女のSNSを覗いてみた。そこには、「映え」じゃない「ホンモノ」の思い出がたくさん並んでいた。

私はそれをみて、誰かと振り返れる思い出があることが心底羨ましくなった。友達と思い出話をしたいと思った。でも私には、誰かと振り返れる思い出がひとつもなかった。いつも、1人でクヨクヨ悩んでいるだけだった。

駅でお別れする時、彼女は「〇〇にピッタリだと思って」とお土産にカラフルなチューリップが描かれた大判のハンカチをくれた。

涙がでた。

留学中、私は彼女に一度も連絡を取らなかったのに。ずっと続けてきた誕生日のお祝いメッセージも忘れたふりをしたのに。

異国のフラワーガーデンで私のことを思い出し、その場でハンカチを買い、帰国後私にさらっと会いたいと声をかけてくれて、彼女は今、目の前にいる。

涙で視界がぼやけていたからか、彼女は両脇から大きな白い羽根を生やした天使に見えた。

私は、自分が一番大切で、自分を守ることに必死で、周りの子を加害者のように映して、ひとりを選んできた。

天使を目の前にして、私はやっと、思い出を作ってこられなかったのは環境のせいではなくて、紛れもなく自分自身のせいだな、と認められた。


いつかの結婚式には、彼女を呼ばせていただこうと心に誓った。

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