見出し画像

summer of 85/Été 85(2020/François Ozon)

愛した人間がクソだった。

それはとてつもなくやりきれないことで、自分の愛そのものの価値を疑う。「好きだ」という気持ちは自分自身ではコントロールが難しいから、事実をわかっていればいるほど、そして、やりきれない、どうしようもない、理解できないと思えばこそよりいっそう悲痛になる。

なぜなら、その人は、本当は一番理解してあげたい人だからだ。解ってほしい人だったからだ。

「恋愛は脳みそのバグ」とはよく言ったもので、頭では終わりを理解していても、心というやつが追いついてきてくれない間はまるで麻薬の禁断症状だ。わたしたちはガタガタと震え、涙を流し、過去の幻影を都合よく脳みそに投射して、それが美しければ美しいほど目の前にある現実を受け入れがたく思う。

ただまあ、大人になるっていうのはそういうかけがえのない(と思った)愛や恋や思慕や友情や関係性を何度も壊したり壊されたり、落としたり失くしたりして乗り越えていくことだから、かなしいかな今のわたしにはきっとそれが「唯一」だなんて思えなくって、きっとわたしはまた誰かを愛するだろうとか、どうせ愛では死ねやしないとかそういうことわかっていてこそこの映画は眩しいのかもしれないな。

画面いっぱいにどの瞬間もオゾンの美意識が散りばめられた美しい夏の日々。

しかしてめえらは純情な人間を軽率に魅了するのはやめなさいよ。

(まあもしかして彼の方にも変わる余地はあったのかもしれないな〜と思えばこそ切ないけどね〜わからんからねこればっかりは……クソみてえな倫理観で生きてきてしまって誰よりも寂しいのに誰のこともちゃんと大切にできないから、誰からも大切にしてもらえなくて、ますます寂しくて、訳のわからんことになって、そんな時に本物の愛を不用意にぶつけられたらどう扱ったらいいかわからんのかもしれない、知らんけど)

本を買います。たまにおいしいものも食べます。