幸せについて

私は幸せなのか。

周りからみたら何を考えているのかよくわからない人なのかもしれない。

日曜の夜に洗い物を放棄してベットに入り、自分が幸せかどうかなんて考えているとはおそらく思ってないだろう。

なぜこんなことを考えているのかというと不意に幸せなら手を叩こうと頭の中で誰かが歌いはじめたからだ。

散らかったキッチンから目を背けて布団にくるまり現実逃避している今は幸せと認識できなくもない。

明日からまた仕事で、その上洗い物もしないといけないという現実はドアの向こうから合わない目線を送っている。すまない、布団の中は神聖不可侵領域なのだ。


試しに手を叩く。乾いた音がなっている。
我人生全てが幸せでもないが、全てが不幸せでもない。

実家が破産したり、婚約破棄されたり少しハードなイベントも経験した。
悲しいこともあったけど、変わった未来は不幸せばかりでも無い。

仕事に大半の時間を注ぎ込んでいるが、それが不幸だとも思わない。

点数をつければ自分より幸せな人もいるし、不幸せな人もいる。偏差値で評価すればまた自分の現状も変わってくるんだろう。

と、ここまで書いていて思ったが世界に人間が一人しかいなかったらその人は幸せを感じることがあるだろうか。そもそも幸せってなんだっけ。なんて考えねばならない問題がたくさん出てきた。

理屈で幸せを語るにはまだまだ未熟だと思いつつ、理解していないのに享受できる幸せというのは不思議なものだなと思う。

(気が向けば)続く…

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