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呟くことが貫くこと。

例えば80年代中盤以降だったらテレクラで、90年代初頭だったらQ2ダイヤルがアイデアソースになったんだろうか。
2022年の今現在はTwitter(*註)がソースとなった。

*註:素材となったTwitterの投稿自体は2015年

いつの時代も目新しくて発展段階のツールには、それまでとは違う価値観や道徳観が玉石混交で溢れている、まさにカオスの状態だ。
それをまた面白がって違う表現方法に落とし込むことで、次の新しい創作が生まれてくるから面白い。

この映画は実在する女性が148回に渡って投稿したツイートを元に作られた「ZOLA」という作品。

試写状に描かれた「ZOLA」と作中に出てくるオリジナルの「ZOLA」ではフォントが違うんです。
ボクはオリジナルの方が断然に好きですけどね。

数々の話題作を世に送り出した「A24」が配給するという時点で注目度も高かったし、実際にアメリカの批評家にはかなりの高評価を受けている。
ま、言ってみれば「踏み絵」的な作品なんだと思う。
「これ、イケてるよね」って言わないと、評論家として時代遅れ扱いされてしまう立ち位置の映画なんだと思う。
それくらい「A24」の冠が付くことで影響力は大きく変わるはず。

結局、どの国の評論家たちも「今、これ推しとかないとマズい」ということはあるわけで、「今、一番イケテる!」とマスメディアに取り上げられた時点で本当の意味では、もうイケテないということになってしまう。
そこから距離を保ち続けて、真のインディペンデントであることがいかに難しいか、難しいけどそれはホントに意味があるのか?メジャーがカッコ悪くて、マイナーはカッコいいのか?
そういうことも含めてカルチャーというのは常に動き続け変わり続けないと面白くならない。
権威を嫌っていたのに、評価され、持ち上げられ、影響力を手に入れた時、権威側に回らない本当の意味での自尊心、独立心を持ち続けられる(モノ作りの)人が、どれほど存在するんだろうか?

気がつけば自分もその「村社会」に組み込まれ、立場上褒めたり、立場上貶したり、ということに縛られているんじゃないだろうか?
モノ作りの立場にある人間は、もっと自覚的に「群れること」のカッコ悪さに気づくべきじゃないかと常日頃から思ってます。


おっと。
少しばかり話がズレてしまいました。
でも、この作品を観たら、主人公(アザイア・キング「=ゾラ」)は「群れること」のカッコ悪さ、くだらなさ、滑稽さ、みたいなことを分かってるような、監督はそれをこの作品で暗喩してるような気がしないでもなかったんです。

ものすごく雑な、というか大雑把な作品の印象としては「よくある、馬鹿げたロードムービー」なんですけど、そこはやはりA24が配給するだけあって、今っぽいし、画作りがいちいちカッコいいのは確かでした。
ストーリーは、そもそもアザイア「=ゾラ」がツイートした(ほぼ)事実のままなので、脚本が優れているとかそういう問題ではないと思う。
どうやら、ゾラはツイートで若干「盛った」ようだが、それを差し引いてもなかなか面白い(そして、ちょっと厄介な)体験をしたことは事実で、それをこういう映像に落とし込んだセンスはさすがだなぁ、という感じ。
評論家たちから高評価を得るのも納得できる。

ちなみに、ゾラとダブル主役的な立場のステファニー役は最初分からなかったけど、「どこかで見たような、、、、」とずっと気になってて、観終わった後に調べたら「マッドマックス:怒りのデスロード」でケイパブル役をやってたライリー・キーオ(「プレスリーの孫」ってことで話題)だった。


ボクはどこの村社会にも属してないし、忖度もないので言いたいことは言います。

「絶対、観た方がいい!」


とは言いません。

でも、

観て損したわ〜とは思わない。
少なくともボクは「まぁ、面白かったな」というレベルでした。


8/26から新宿ピカデリー、渋谷ホワイトシネクイントなどで公開。

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