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「smart Aleck」への道(中編)

前編より続く。


全く何もしなかった日々に飽きてしまったボクが、「じゃあ、自分は一体何がしたいんだろう?」と自問して出てきた答えは「やっぱりデザインしたい」でした。

「デザイン以外の労働でお金を稼ぐ」ことへの抵抗はプライドなのか見栄なのか?それとも本当に心の底から「デザインがやりたい」という欲望なのか?正直に言ってその時の自分の気持ちは今でも判らない。
しかし本当の理由がどうあれ、その時のボクの答えは「デザインがやりたい」という気持ちだったのは事実で、その結果やることは必然的に決まった。

「作品を、今の自分の全部を詰め込んだ(というよりもブチ込んだ)と言えるモノをカタチにする」

それだけだった。それしかなかった。


一度はデザインのプロとして社会に出たことのある身。デザイン学校の生徒がやる「作品をまとめましたので見てください」的なクリアファイルにペラ一枚の作品をダラダラ並べたようなモノは作りたくない。というか、自分が好きな写真集や作品集と同じようなモノが作りたい、と思った。
とは言え、とにかくお金がない。
93年当時、まだ自分のMacも持っていなければ、コンビニで安くカラー/モノクロのコピーが出来るような時代でもなかった。当然ながら自分の作品を集めて一冊の本に仕上げるようなお金も技術もない。
その時、目に入ったのが件のA.P.C.の上製本ノート。

そうか。
「コラージュ」や「カリグラフィー」「ドローイング」など自分の一番得意とするやり方で、やりたいことをやれば良いのか。

そしてボクは1993年の春から、このA.P.C.のノートに1ページづつ、作品を落とし込んでいった。
天地240ミリ。左右215ミリ。(この、ほぼ「正方形」という比率が、のちのボクにとってどれだけ重要なバランスになるのか、もちろんこの時点では何も知らない、、、、)

作品集のタイトルは「hicaru kawahara’s work show case」。

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サブタイトル(というか、コピー的なテキスト)に「peel slowly and see」という大好きなレコードジャケットの一文から引用したセンテンスと、後にユニット名に使うことになる「smart Al’eck corporation」なる架空の会社名がすでにタイプされている。

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表紙をめくったところからすぐにアクセル全開という感じでページが進んでいく。

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それまでに買いためた大切な古いアメコミや洋雑誌のページから泣く泣く切り取ってコラージュしたり、リキテックスやカラーペンでドローイングしたりと、デザインという概念の原点であり、自分の美術的作品の原点でもある行為に没頭した。


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文字要素としてタイポグラフィーが使いたければ、せいぜい「インレタ(インスタントレタリング)」くらいが関の山。
他は雑誌から切り取ったタイポグラフィーをコラージュ。
よく見ると一部(a camera!の文字とか)は、最初の勤務先で休み時間にワープロを使って遊びで作ったモノが使われてたりする。

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今も自分の(デザインの)強みは「タイポグラフィーの(バランス良い)使い方」だと自負しているんだが、この頃からタイポグラフィー(レタリング含む)のバランスは今と遜色ないくらいのレベルではないだろうか?
「sex, drugs and…POP ART」はもちろん自分でレタリングした文字だが、右ページのミッキーマウスのシルエットの中に見え隠れする、元々すでに雑誌に印刷されていたタイポグラフィーの使い方まで計算していたはず。

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解雇されたエディトリアルデザインの事務所で得た貴重な知識は「ファビアン・バロン」というアート・ディレクターの存在。
アート・ディレクションを勤めていた1989年「イタリアンヴォーグ」の洗練さと斬新さに満ちたエディトリアルデザインは当時の頂点だったのでは?と思うほどキレがあった。(のちにマドンナの写真集「sex」を手がけたことでも有名)ボクも少なからず影響を受けたことは事実だ。

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コラージュという表現方法は既存の写真や絵画を使って、全く別の意味を持たせるのが一般的だが、ボクの場合は少し違うことも多い。既存の写真や絵画をあくまでも「素材」として使い自分の作品にしていく、言うなれば「デザイン」の手法としてコラージュしていること。これも「勝手にしやがれ」の有名な1シーンを使って、どうやら家電製品の広告にしたかったようだ(本人は記憶がない)。

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初めてMacを触ったのは、エディトリアルデザインの事務所に在籍していた時。
会社にあった唯一のMacはエディトリアル仕事に使えるだけのスペックもなく、そして使いこなせる技術者が居なかったこともあり、若手社員の「遊び道具」的な存在だった。
当然ボクもMacに触れるのが初めてだったため、休み時間を利用しては他の若手社員と一緒になって「お!正円が簡単に描ける。しかも、いくつでも描ける!」とか「文字が好きな大きさで打てる。しかも、好きなバランスで変形できる!」などとMac初心者ぶりを発揮していた。(当時、憧れのデザイナーである立花ハジメ氏はすでにMacを使った作品を発表し、オリジナルタイポグラフィーまで制作し、その年のADC大賞を受賞していた!)
そんな試行錯誤の中でも少しづつ使い方を覚え、拙いながらもタイポグラフィーや幾何学図形を駆使して自分なりのデジタル作品を溜め、それを出力して貼ったページも存在する。いわば「my first digital works」だ。

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そしてドローイング(あえて「ペインティング」とは言わない)も、自分の好きな表現方法のひとつ。頭の中に浮かんだ抽象的なイメージもあれば、写真集の1ページや有名な絵画などの具象的なモチーフも描きたいと思えば描く。それもまた自分のやりたい表現方法のひとつであるならば、このノートの中に並列させることは間違いではないだろう、と思った。

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そうして、64ページの真っ白なノートが、初めての「自分の作品集」に生まれ変わったのは、すでに夏の声が聞こえ始める25歳の誕生日を迎える直前だった(と思う)。


とにかく「やり切った。今やりたいことは全部ここにある」と胸を張って言えるだけのことはした。この先に何か確かな答えが待っているというゴールがあって始めたわけではない。
「何もしないことにもう飽きた」というネガティブなのかポジティブなのか判断しかねる動機もあるが、それで考えた結果「やっぱりデザインがしたい」という想いで手が動いてコレが生まれた。


そういう意味では「本当にやりたいことが見つかった自分」の誕生日前夜でもあった。


さて、それでどうするんだ自分?



いよいよ、次回は最終回「後編」です。

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