見出し画像

『茄子』『妖怪』『八百屋』

「さあさあ安いよ安いよ、大根が安いよ! 買った買った!」

 ツヤツヤとした大根を並べた八百屋の店先で声を張り上げる。主婦と思われる女性たちが矯めつ眇めつしては値札に驚いて買っていく。仕入れ値から考えるとほぼ利益が出ない値段だからだ。それでも破棄するよりはいい。今日中に全ての野菜を売り切る必要があるのだ。
 他にもトマトやキュウリ、トウモロコシにズッキーニが並んでいる。安さが客を呼び、陽が沈む前に売り切ることができた。

「はいごめんよごめんよ! 売り切れたから店閉めるよ! また買いに来てね!」

 残念そうな声を背に受けながらシャッターを下ろし、シャワーを浴びて夜会服に着替え、冷蔵庫に仕舞っておいた夏野菜たちを取り出して籠に詰めていく。その籠を持って小型トラックに乗り、目的地に向けてアクセルを踏んだ。


 郊外の一軒家に到着する。そこは、お盆の間だけ開くレストランだった。冥土から此岸へと帰ってきた死人たちを出迎えるための店だった。もちろん、持参してきた夏野菜は精霊馬ではない。やってきた家族に振舞うための持ち込み品だ。

「シェフ、今年もよろしくお願いします」
「はい。腕によりをかけさせていただきます」

 その足で、彼女が待つ席へと向かう。帰ってきた妻は、飢えているだろうに俺を笑顔で迎えてくれた。妻は餓鬼道に落ちたのだ。
 彼女は食べるのが好きな人だった。特に美味しいものを好み、野菜の瑞々しさを愛した人だった。その彼女から「餓鬼道行きになった」と聞いた時、俺は心底から憤慨したものだった。
 餓鬼道は貪りの心が強い者が落ちる地獄だという。だが、彼女は食事の所作も丁寧だったし、食べ物にがっつくようなことは決してしなかった。なのに餓鬼道行き、妖怪堕ちだ。そこに関しては、死んだら絶対に地獄の十王へ直談判しようと決めたことだった。
 そんな内心を他所に会話を楽しんでいると、シェフが皿を持って来た。揚げ茄子のマリネだった。妻の腹が一層大きな音を立て、彼女は少しだけ恥ずかしそうにはにかむ。そのまま口を開けた彼女へ、箸を持って茄子を運んだ。相変わらず美味しそうに食べるなと思って、俺まで嬉しくなってしまったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?