見出し画像

『鄙びた田舎町』『迷宮』『慰む』

 青森県四十八町は、いわゆる鄙びた田舎町だ。転入者もあまりおらず、町に唯一の学校だって一クラス十五人。よくある限界集落に過ぎない。一つだけ変わった点は、どこもかしこも幽霊だらけということだろうか。

「Hey you 坊主、今日も元気登校、It’s all right」

 なので、こうやって平家の落ち武者がラップの真似事をしていても驚くようなことではない。

「おはよう、佐藤さん。今日のラップもあんま……」

「上手くないな。分かってるよ坊主。俺はまだまだ初学者だ」

 この佐藤平次なる落ち武者の霊は学習する。佐原文化保存財団が検閲したインターネットを通じた聞きかじりの知識によると、外では「霊は死んだときのことを永遠に覚えている」だとか「生前の意識が残したエコーに過ぎない」といった認識が一般的であるらしい。
 実際の所、佐藤さんはこうやって標準語を喋るし主語は俺だしラップもする。ラップ音ではなく、ラップをする。そして、こういう学習能力は佐藤さんだけが持つわけではない。四十八にいる幽霊で考えれば、むしろ佐藤さんが普通だ。

「てか、なしてラップよ?」

「若人の文化に触れておかないと、トレンドに置いて行かれるからな」

「トレンドもクソもねえべよ、死んでんだから」

「それには語るも涙、聞くも涙の歴史があってな」

 こういう語りから入る時、佐藤さんの理由はたいていしょうもない。今回もそうだろうと眉に唾つけて聞く。

「義経のクソに不名誉な討ち取られ方をした故、死んでも死に切れんと、郎党と連れ立って一ノ谷に滞っていたのだが、御子様……安徳帝の方が伝わるか?あの方の無念を晴らそうと壇ノ浦に移ってお慰めしておったのよ。ところが、おおよそ五百年前に『恨み言は聞くのも言うのも飽きた、どうせ幽霊なのだから楽しい事をしよう』と仰られてな。それ以来、各地で新しい文化を学んでは壇ノ浦に集まって歌合せをすることにしたのだ」

 思ったより重くて面食らう。佐藤さんから真面目な話が出てきたという驚きと、真面目に不真面目をやろうという態度を幼い安徳帝が示せたというのが真剣に凄いと思う。俺は多分できない。

「去年の歌合せで知盛様が聞かせてくださったラップが美事でなあ、俺もできるようになりたいと思って練習中というわけさ」

 平知盛は流石に俺でも知っている有名人だ。まだ成仏していないのも驚きだが、そんな人がラッパーになっている方が驚きだった。

「舐達麻というヒップホップクルーに感銘を受けたと仰っていた。坊主、俺にも舐達麻の音源を聞かせてくれよ」

「いや、そりゃ上手ぐね」

「そりゃまたどうして」

「8歳の安徳帝に聞かせるにはアナーキーすぎる」

「数えで843歳の方なんだから無用な心配じゃないか?」

 そんな風に、佐藤さんとワイワイやりながら通学するのが俺の日常だ。恐らく、俺は都会に出ないと思う。こんな馬鹿馬鹿しいほどに面白い土地は日本中を探したってここくらいしかないだろうから。となると最終学歴は中卒となるが、そこは佐原文化保存財団の人たちに色々教えて貰えばいいかと思っている。彼らは明らかにインテリだ。

 ふと、田に異常があって目が移る。騎士の霊がいたのだ。その騎士は、俺たちを視認すると同時に襲い掛かってきた。何語かも分からない言葉を叫びながら。霊には物理干渉が可能な個体もある。どうでもいいだろう、と放っておくと死ぬかもしれない。
 ぬっと佐藤さんが俺と騎士の間に立つ。そして背負っていた長刀を抜き放って八相の構えを取る。その姿勢に気圧されたのか、騎士は直ちに突撃を止めた。じりじりとした睨み合いに状況が移行する。

「我が名は佐藤平次。其方は何者であるか」

 何語かも分からない言葉で返答があり、騎士と佐藤さんが一合を打ち合わせる。佐藤さんが打ち勝った。そのまま、佐藤さんが攻める形で状況が推移していく。
概ね安全が確保されただろうと胸を撫でおろして観察していると、騎士の異様に気付く。霊体は霊素が生前の自己認識を反映して形成されるものだ。生前に装備していなかったものは反映されない。ならば、騎士の鎧に竜の鱗があしらわれているのはともかく、胸に象嵌された竜の首がタッピング歯軋りをしているのはおかしくないか?
 騎士が何事かを叫び、竜の首が火を噴いた。騎士の叫びを聞いた瞬間に向かって右手側に回り込んだので、佐藤さんは無事だった。無事じゃないのは俺だ。火が俺へと迫って来ていたのだ。

「う、お……っ」

 熱を感じる。確実に物理干渉可能な霊体だ。体が発火点を超えて燃える──なんてことを言っている場合ではない。水を張ったばかりの田に飛び込んでのたうち回る。なんとか火が収まり、熱い肌で泥の痛みを感じながら気絶した。




「この度は、初動の遅れによりあなたを危険に晒してしまい、誠に申し訳ありませんでした」

 白い天井を見上げていると、横に居た佐原文化保存財団の職員さんが頭を下げていた。綺麗な人だった。良いんですよ、生き残れたし、と口を動かそうとしたら、皮膚が突っ張って痛みが走った。

「あなたに加害した霊的実体ですが、異世界に起源を持つ人物でした。言語を解析してインタビューをしたところ、迷宮にアタックしている最中に死亡し、死んだ自覚が無いままあなた方へ襲い掛かってしまったのだそうです」

 再び頭を下げられる。生き残れたんだし別にいいですよと言いたいのだが、痛みのせいでそれも難しい。常識的な長さで低頭を終えた職員さんは、俺の目を見て呆れたような顔色になった。
 俺にあったのは好奇心だけだったからだ。この町、異世界の霊まで呼び寄せるのか。つくづく面白いな、とさえ思う。
 職員さんは、気を遣うのは止めたようだった。そうしてくれると俺としても助かる。

「霊素にとって次元の壁は壁ではないという仮説は提唱されていましたが、いざ実現してみると……まあ難儀ですね。ああ、君。あまり危ない事に首を突っ込まないようにね。佐藤平次もクラスA霊的実体なんですから、あまり関わらないように」

 それだけを言い残して、職員さんは席を立った。
 肩をすくめたかったが、痛くてできなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?