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今回の例の件に関する私的まとめ

はじめに

 今回の例の件について色々モヤモヤすることがあったが、ようやく整理がついた。整理していくうちに自分はあまり意識していない判断するとき重要視していること(価値観?世界観?)にたどり着いたので、記録も込めて文章に起こす。基本的に自分用なので、一部意見のほしいところ以外は有料にしておく。(9/12、ほとぼりも覚めたので、全文公開)

①とあるゲームセンターの格ゲーコーナー利用者の素行が悪いため、その店の格ゲーコーナー全体を縮小する
②とあるゲームセンターの3rdプレイヤーの素行が悪いため、その店の3rd台を縮小する
③とあるゲームセンターの3rdプレイヤーの素行が悪いため、その店の格ゲーコーナー全体を縮小する
④ とあるゲームセンターの3rdプレイヤー「も」素行が悪いため、その店の格ゲーコーナー全体を縮小する

 あなたは、これらが「全て違う主張である」と思うか?まぁ、③と④は言葉の綾で済ませていいかもしれない。または、①が③や④に変換されたとき「3rd勢の責任が重くなった」と思うか?
 どちらかまたは両方とも「思わない」という人や「そもそもとあるゲームセンターってどこ?」という人は、直ちにこのページを閉じて、別の楽しい趣味などに没頭することを勧める。

変な話を振ってごめんね。てへぺろ(・ω<)

以前のことから考える

 店長は①を主張した。しかし、その店長に「直接確認し回答を得た」という同好会の主張は、当初②なのか③なのか④なのかイマイチはっきりしなかった。他の人とのやりとりで「どうも④らしい」ということが判明し、彼自身も「④です」と補足した。これでめでたしめでたし…で話は終わらなかった。というのも同好会の特徴が非常に悪い方向に働いたからだと考える。

 特徴一、同好会は常に自分と他の3rd勢を区分している。彼はこれまで「私達は私達だけで集まっている」「自分たちの考えにピッタリとマッチした方々だけで集まろうしている」と発言し、また「単にイベントを開きたいわけではない」とも言及している。いわば独自路線を模索しており、彼が普段使う3rd勢という区分に彼自身は含まれていない。会発足後に関西圏の大会や対戦会に参加していないことも独自性を物語っている。
 特徴二、彼は何かしらの「良さ」を説明する際に、別の何かの欠点だけを述べる傾向がある。同じ腕で対戦することの良さを説明する際に、「上級者を悪く言うつもりは無い」と添えながら、3rd以外の格ゲー対戦会を「失敗である」と評したり、上級者との対戦を「無意味でお金の無駄」と評したり、「限られた人しか上には行けないので、そのお金と時間で他に楽しいことができる」などと評している。で、同じ腕で対戦することの良さは語らない。「将棋や柔道と同じです。」程度しか語ったことがない(僕からすれば、将棋や柔道に段位や手合違いがあるのは同じ腕で対戦したり楽しむためではないのだが、それは置いといて)。

以上2点を踏まえると今回彼は
・(同好会以外の)3rd勢の素行「も」悪いため、格ゲーコーナーが縮小される。これは店長に確認を取っている。
・(同好会以外の)3rd勢は「自分は無関係だ」と思わないでほしい。大切なのは自分に置き換えてマナー改善に努めることだ。
と発言しており、「相対的に自分たちのマナーが良い」と3rd勢ではない誰かにアピールしている。後件肯定の誤謬?確かにそうかもしれない。「何を書いたか」だけを見れば、彼はこんなことは書いていない。

流石に邪推が入ってない?

 多少そう思うので、別な視点というか「彼が書いたこと」のみに注目してみよう。先ほどより相対的に先入観を排除してみると…
「呼びかけ方は強力で広範囲。それでいて、解決策は抽象的で投げっ放し。」
ちょっと以下に置き換えて考えてみよう。
例文「昨今、子供の行方不明が増加している。これを読んでいる人は『自分は無関係だ』などと思わないでほしい。一人ひとりの行動で、こういった悲しい事件は減らすことができる。」
こう言われて「いや、攫われたか家出したか知らんけど、結局どうしろと?」と感じるのは自然なことだろう。もしかしたら「え?なんで俺らの無関心のせいみたいにいうの?」という人が出てくるかもしれない。そういった誤解を生まないよう、呼びかけの際には「できるだけ簡単な具体策」を併せるのが通例なのだが、彼の文章にはそれがない。

 彼の目的が「3rdだけでも縮小されないようにする」だとして、目的達成に必要な多くの協力を得るため「自分を無関係だと思わないでほしい」と多くの人に呼びかけるまでは良いかもしれない。しかし、「自分に置き換えて云々」では抽象的過ぎてその方法で3rdを増台できる(あるいは縮小されない)かすら分からない

まとめのまとめ

 不特定の誰かに呼びかけるときの表現はとても難しい。呼びかける範囲が大きくなるほど、一人ではとても制御できなくなる。「自分は関係ないと思うな」などの言葉はより多くの人を巻き込むものであると知っておくべきだろう。そして巻き込んだ人から問い合わせがあることも。
 また「意見と人格は切り離そう」とか「誰が言ったではなく、何を言ったかを見よう」などと簡単に考えない方がよい。ある人の発言や判断に、その人がこれまで形成してきた知識、価値観などの人格が入るのは当然なのだから。だからどうしても「誰が言ったか」が重視されるのだ。精査や検証には、自分の時間やお金など何らかの資源を費やすことも忘れてはならない。

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