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答えのない問いを探求する時間


級友3人で久しぶりにオンラインで再会。
そこでたわいのない会話をしていたが
折角会ったからには何かやりたいと思い

答えのない答えを探求してみるのはどうだろう?という事になった。

何かネットで良い例はないかと探索。
質問を見つけた。

私はアルバイトに行くまでが面倒で仕方ありません。でもバイトに行くといつも楽しく過ごせて終えることができます。
とは言え、やっぱりバイトに行くのが毎度億劫になるのです。どうしたらいいでしょうか?

というものだった。

友人から出てきた意見は
慣れたら何とも思わなくなるだった。
ふむふむ。それも一理あると思う。

良くも悪くも慣れる怖さすら感じるくらいに。
慣れが解決する時もあれば、麻痺という事にもなる時がある。

自分の場合はどうだろう?
と思考を巡らした。

頭をよぎったのは
「何のため」だった。

何の為にが見えなくなった時に
自分のモチベーションも見えなくなっていくものだと思っている。

生きていく上でバイトや仕事が嫌でも
こなすことはできる。我慢だって出来る。
その場を捌くことはできる。

この方は何のためにバイトをしていたのか。
好きな服買いたいから?
奨学金返す?
世界一周がどうしてもしたくして?
そこを再認識するところからスタートな気がした。

何のための目的意識の大切さを改めて感じた対話の時間であった。


こうした答えがないものに対し、
深掘りをして対話で自他共に刺激する時間。

こんな楽しく充実する時間の使い方は
シンプルに好きだ。

30代になり、
何に時間を使うか、
何に命を使うか。

何のために?

ここを今日も私は問う。

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