僕の「コロナ鬱」

 コロナによって運動会や修学旅行が中止になって...みたいな報道を見かける。確かに、やり直しのきかない学生時代のイベントが次々と、それももう2年近くも中止になるのは心が痛む。かといって、社会人には何かが中止になることの悲しみが無いというわけではない。そんな僕のコロナ鬱。

1. 県外の数少ない友人が会ってくれなくなった

 県境を超えるなと言われているし、東京都などではいま酒類の提供の自粛要請がされている。数年前は毎月のようにこの友人たちと飲み会で楽しんで、仕事のストレスを昇華させなんとか働けてきたが、そういった機会が消え失せた。これはプライベートでの話し相手がいなくなったも同然で、孤独に過ごす毎日が続いている。笑うことも愚痴を零す機会も無くなって、ただ鬱積されていくだけの日々。
 そのくせ、同じ県にいる友人たちは頻繁に会っている。鬱と嫉妬で狂っちまうよ。

2. 娯楽施設が閉まり「褒められる機会」が消えた

 この緊急事態宣言で閉まる娯楽系の施設の中に、僕がよく1人で行っていたものがある。それはカラオケだ。友達と会えなくなり、自分のやったことであーだこーだ笑ったり話したりがなくなり、僕に好意的な言葉をかけてくれるのはカラオケの採点マシンだけだった。「5つ星の歌声です!」とか、「キー合ってないんじゃね?」とか、仕事をしていたってそれが当たり前のことと片付けられる日々の中で、機会であってもそうやって褒めてくれるのが嬉しかった。
 ただ、たとえ1名様であろうと問答無用でカラオケ店は閉まっている。誰も僕を褒めてくれなくなった。

3. オフが充実しないままの仕事

 勤務先はテレワークをさせてくれない。1・2のようにオフが何も楽しくなくなったのにも関わらず、仕事だけは何も変わらずそこにある。しかも、願い出ても在宅勤務を取らせてくれない。
 ちなみにこの数年は趣味がカラオケ、というレベルだったので無趣味に成り下がった。こうやって抑圧された状況が続いたために無気力感と鬱に沈み、何か新しいことを始めようとする気さえ起きない。仕事で疲れるし。


 「コロナ鬱」で検索すると、罹患への恐怖や未来の見えなさに関する不安感から~という解説をよく見かける。ただ、僕みたいに「繋がれる機会」「趣味の場所」を奪われたまま仕事を続けていて鬱になるひと、きっと多いと思うんです。
 「ネットで相手探せば?」「家族は?」...彼らはこんな話、誰も聞いてくれませんよ。だから、こうして名無しの権兵衛として発信しているんです。

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