見出し画像

契約者、たまに見るならこんな配信

階段は上階と下階をつないでいるものだが、不思議なことに上階、下階がなくなって、まったく役に立たない階段があるという。
いわゆる「超芸術トマソン」だ。
上り、あるいは下る先がない純粋な階段以外にも、開いたその先に部屋ではなく壁があるドアや、川と川を渡すわけでもなく、陸の上にただぽつんとある橋なども超芸術トマソンにあたる。
その役に立たなさ、実用性のなさから芸術より芸術らしいということで「超芸術」と呼ぶらしい。
超芸術トマソンを見つけたときはとても嬉しく、はしゃいでしまうが、実際に使ってみてもそこまで深い感慨はわかず、なぜここにあるのか聞ける人も手がかりもなく、ただ存在を確認してすごすごと帰ることになる。

不思議なものというのは、そのものに意図はあるのか、どういう経緯で存在するのか、一体なんなのか、など知的好奇心をそそる。
偶然、謎、そうした自分の中に存在しないものへの出会いこそ、こころを豊かにしてくれるような気がする。
もっとも、不思議なものを見つけても、よほど本気になって知ろうとしないと、謎は謎のまま捨て置かれるのだが。

今回紹介するアーカイブは、謎だ。
なぜこれを配信でしようと思ったのかわからないし、なぜこのメンバーで集まろうと思ったのかもわからない。おそらく理由はなく、全てなんとなくで決まっている。

たこやきパーティは事前告知されていたものではなく、突発的に始まった。
なぜかでびる様、ぽんぴま、ういはろが早瀬の家に集まり、たこ焼きパーティをして、わちゃわちゃと楽しんでいる。改めて聞いてみるとでびる様を囲む会のようになっているので、契約者の集いなのかもしれない。
くそざこマリカバトルは、なぜかかえみととでびリオンが戦って、負けたほうは罰ゲームを受けるという配信だ。この頃の4人は、そんなにゲームをする印象でもなかった。
でびる様はここではじめてでろーんの狂気に触れ、仲良くなったように思う。

二つの配信とも非常に面白く、変わった取り合わせなのだが……。
なぜこのメンバー構成になったのか。なぜタコ焼きパーティなのか、またはなぜマリオカート勝負になったのか。
今も謎は謎のまま。ただ、そうあった事実を見るだけである。
しかし、ミステリアスというのは奥ゆかしさの魅力でもある。
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス。

もののけ姫の劇中で「人間を食って、人間の力をもらう」とのたまっていた猩々たち。夜ということもあったが、暗いシルエットで目だけ爛々と輝かせている「森の賢人」猩々は不気味な存在であった。
しかし、森が、山が切り開かれていくうちに猩々の姿が明確に描写されるようになる。何のことはない、猩々はただのサルだったのだ。


神秘、浪漫、粋。名前を与えれば輪郭を持つ概念の数々。
でも、全てに名前を与えてしまうのはもったいない。
このぼんやりとした感覚を、そのままの形で持ち続けることも大切なのかもしれない。仮に言葉に置き換えてみたところで、それは本当にそのものを示しうるか。
生活の中に、意識的にあえて言葉にしない、感覚のみの世界を持っておく。
そうした余裕を持ちたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?