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2022年もあと少しですね
あと少しですね、今年の残りも。
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今年は色んなことがあった。
まず思い出すのは、初めてちいさき命を介護して看取った所だろうか。
毛玉と暮らし始めてから月日のカウントが毛玉軸になっている気がする。実際それは間違いない。
初代が2匹とも居なくなってからの方が実はSNS活動が盛んになっていて、写真を撮る枚数もかなり増えた。初代に関してもっと沢山写真を残しておけばよかったと思った訳では無いのだけど、我ながら不思議だ。
毛玉の寿命が短いのは悲しいが、長ければ良いという訳では無いと思っている。当たり前だが我々人間にとっては短い期間であっても、彼等にとっては一生だ。ならば、こちらもその短い灯火に精一杯応えなければと思う。
話は飛躍する。
これはずっと考えている事なのだけど、あまりに苦しく先が無い闘病生活が待っているとしたら、苦しみの前に安楽死を選びたいとも考えている。それは毛玉だろうが自分だろうが大切な人だろうが変わらない。(対人間の場合は本人の意思が最優先だが)
ちいさき命を預かる者である以上、飼い始めたら最後、必要あらば最後の手を下す責任までちゃんと負うのが役目だと思っている。それをする覚悟が無い人間は生き物を飼わ無い方が良いんじゃないか。
そう言いつつも、私自身まだ手を下したことは無いので実際その時になったら怖気づきかねない。
別れはいつも悲し過ぎるがいつかは必ず来る。自分にとって早いか遅いかだけで
今はただ、毛玉たちに如何に快適に過ごしてもらうかということだけ考えながら、たまに美味しいものでご機嫌取りをしつつ暮らしている。
永遠のいのちはない。
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