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タイトル1

誰がこんな未来を想像しただろうか。
友と肩を組み馴染みの校舎の廊下で笑い合ったのはほんの5年前。
大学生になったら中々会えないけど、一生じゃないよねと頷きあった。
会おうと思えば会えるのか。
ただ私が会いに行かないのか、行けないのか。
真っ白な正方形の部屋。ただ茫然と、青に浮かぶ雲の流れを見つめる日々。
自分の最期が近いと分かると何の変哲もない24時間が、苦しくなる。

大学2年の冬、休学し旅に出ることにした。日本から中国、インド、カザフスタン、モスクワ、アフリカ、イタリア、パリ、イギリス、カナダ、アメリカ、ブラジルそして日本に戻ってこようと計画していた。
何となく思い立って、少ない貯金でバックパックしながら肉体労働のような旅をした。何年かかってでもやりきりたかった。高校の友達にも報告し、準備ができた途端中国に飛んだ。思い立ってから旅立つまでの期間およそ1ヶ月。
親は泣きながら私を止めた。心配だ。行ってくれるなよと。
そして今、あの冬から3年とちょっと。私はアメリカの大学病院の一室にいた。

旅に出て半年経った頃、私の身体に異変が起きたのだ。モスクワの現地で出来た友人アンナの家にホームステイしている時だった。ある日の朝から続く謎の高熱と怠さ。1週間休んでも良くならない。アンナの父親キリルに町1番の医者を紹介され、診察を受けた。診察中私の頭の中はお金のことでいっぱいいっぱいだった。
キリルとドクターがロシア語で会話をしていた。中身はよくわからなかったけど、キリルの表情は曇り、アンナは私の手をギュッと強く握った。
そして診察室から出る時、キリルが私を抱きしめてそっと呟いた。

一度旅を中断し、愛する家族に会いなさい

確定診断は出ていないが、過去に数例確認されている不治の病と症状や状態が似ているのだと言う。日本に帰り、日本の医者に診てもらうべきだとドクターは言ったそうだ。
よく状況が飲み込めないまま、私は親に連絡をし、帰国準備をした。


帰国前夜は賑やかながらも落ち着いた夕食をアンナの家族4人と私で食べた。いつもと変わらない夕食の時間なのに、どこかドキドキするひと時だった。夜寝る前、ベッドで眠るアンナにふざけて最後の晩餐だったねと笑いながら言うと彼女は
いつも通りじゃない
と呟いた。
ハッと起き上がり彼女のベッドを見るとどこか悲しそうに微笑むアンナがいた。

日本に着いたらちゃんと連絡してよ
私が日本に遊びに行ったらいっぱい案内してよ

そう続けた。

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