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出会うために生きていく。

思い込みって強力。
時に呪いのよう。

思い込みによって自分の世界はできているんじゃないかと思うことさえある。

目の前にいる夫のことを、本当は夫の仮面を被った夫じゃない人なんじゃないかなんて疑ったことはないし、場所やものや記憶だってそうだ。

だからささいな思い込みが変わったりなくなると、けっこう世界の感じ方が変わる。
でも大抵、思い込みって自分ではそれが思い込みだと気づいていない。

だから思い込みを見つけるには、人との関わりや対話の中で指摘してもらうのが有効だ。

先日、🐰さんのおかげでひとつ思い込みが見つかって、あきらかに体や気持ちが軽くなり、日常が楽しくなった体験をしたので、そのことを書きたい。
それから自分が何が好きなのか、人生で何を大切にしたいのか、も改めてわかった。

お話した時のことを🐰さんが文章にしてくださって、文字通り拝読した。
やさしくも力強い応援メッセージを受け取った。
有難う御座います。

うさぎさんが私の発言を受けて返してくれた言葉を文章として改めて読んだ。
そして憑き物が落ちた感覚になって、あ、そういうことか!って腹落ちした。

「本音がいえない、ってことは、逆にいえば本音があるってことでしょ? 本音がいえない、とか、意見がいえないって何度もいわれると、逆に「いいたいことがあるから聞いて」って聞こえるんだけど」

なるほど。「本音が言えない」私って🐰さんから見ると「本音がある」から「聞いて」と言っている人なのか。

これは人との対話でしか気づけなかったことだ。

さらになぜ本音や意見を言わないようになってしまったのかと問われて、親の影響だと答えた。今まで幾度となく、同じやりとりをしてきた。

しかし自分の発言を文章として読んで、あれ?と思った。
ーもう私、親のせい、親の影響で意見が言えなくなったと思ってないかも。

「小さい頃から“口答えしてはいけません”っていわれ続けてきて、口ごたえして叱られたこともあるし、進学とか就職とかも、自分の希望は反対されちゃうし、結局親の意向に沿って進んできちゃったから、だんだん自分の意見をいわない癖がついちゃって……」

幼少期とか若い時分は、まだ親に私の意見も聞いてほしかったのだろう。
でも、今は親に聞いてもらう必要はない。他に聞いてくれる人がいるし、親にわかってもらおうとそもそも思っていない。
それにどうしても親に聞いてほしい話がある時は、ちゃんと伝えることができるだろう。

幼い頃の満たされない思いを勝手に今まで持ち続けていただけだった。それで親のせいで本音が言えないと今も思い込んでいたんだ。
自分ができないことを人のせいにしていたかったんだ。

ただ、自分の意見にしろ、なにか物事の説明にしろ、人にわかりやすく伝えるはの苦手。
そこは練習や改善が必要でしょう。

と、そう思うことができて、気持ちが軽くなった。
人生を常に覆っていた雲が、うすくなった感じ。この影響は実はじわじわ大きい。
この変化がものすっごくおもしろい。
これまたうまく説明できない。

思い込みって瓶に貼ったたラベルみたいなものだろうか。
ラベルに「塩」と書いてあれば、その瓶の中身を砂糖かも?なんて疑わないように。
でも、ちがう人が見たら、違和感に気づいて、
「こんな色の塩は見たことないから、もしかして砂糖とかちがうものなんじゃない!?」と疑うことができる。

この日を機に、私って実はコミュ障とか自称しつつも、
人と出会うこと、そして聞くこと、話すことが好きなんだな、と思った。

人と出会い、その人との関わりの中で、大なり小なり
自分とは違う視点を与えられている!
おもしろい。
そして見聞きし感じたことを伝えるために、書くことも続けたい。

そのために人生送ってるのかも。と思った。

思い込みラベルはがしも、引き続き地味に続けていきたい。

🐰さんとの対話のおかげで、書きたい気持ちの原点も振り返ることができた。
これについては、また次回書きます!


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