東北の光

あれほど灯りが懐かしく感じられたことはなかった。           

岩手県のある小さな駅で、私は衝動的に途中下車をしてしまったのだった。今思えば啄木が生まれた渋民村のあたりだったろうか、日は既に落ち、辺りは暗くなり始めていた。                         風が吹くと耳が痺れ、頬が痛いほど冷たかった。私は寒風吹きすさぶ雪道を歩いた。真っすぐに続く暗い線路の上を、まるで犯罪を冒した逃亡者のように、ただひたすら、歩いた。私は何処かに消え入りたかったのかもしれない。                                二時間ほど谷間の道を歩いた。意識が時折遠くなり、くたくたになって自分が今どこにいるのか分からなくなった頃、真っ暗な前方に灯りが見えてきた。それは田舎の小さな駅舎だった。                        

今は開き直ってオヤジとしてやさぐれてるが、そのころは心がすさんでいた。もう三十年以上前の事である。まだJRが国鉄と言われてる頃、私は東北周遊券を使って、旅に出た。エリア内なら急行までは乗り放題の便利なチケットだった。                            その頃大都会で暮らしていた私は、個人的な事情で、挫折し、自己嫌悪と劣等感に挟まれて、鬱屈した日々を送っていた。何処かに逃げなければ終ってしまう。そんな感じだった。無論、旅の過程で、誰かと触れ合ったり、旅の醍醐味を味わったりもしない。ただただ、一月の寒い東北を、彷徨った。  

花巻では駅で何となく決めた民宿に泊まった。普通の民家の一部屋を客間にしたような宿だった。夜、庭先でその宿の幼い子供たちが花火を始めた。私は二階の部屋から、その様子をぼんやり眺めた。時ならぬ冬の花火は案外に眩しく白く輝いた。                         

竜飛岬では、毎日新聞青森支社の記者に声をかけられた。辺りは吹雪いていた。たまたま取材に来ていた記者は独り佇む私を自殺志願者と思い、声をかけたのだった。そのあと車に乗せてもらい、青森まで戻った。記者は馴染みの居酒屋だと私にごはんをごちそうしてくれた。            

能代駅では正月休みを終え、都会に戻る出稼ぎ者たちと遭遇した。彼らはそれぞれに思いを抱えて夜の暗いホームに立っていた。その時急行列車が近づいてきた。列車の灯は闇を切り裂いて駅に入ってきた。それまでお国なまりで和やかに会話をしていた出稼ぎ者たちも一瞬表情を固くした。都会へ戻るのだ。

私もそれから程なくして都会に戻り、その旅をきっかけとして、やがて平穏に戻っていった。                          ささやかな東北体験だったが、あの、駅舎の明かり、冬の花火、赤ちょうちん、夜汽車の灯が今も私のこころの暗い部分を、ひとつの希望のようにやさしい光となって温めてくれている。


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