第二回 耳をすませば

自己紹介の記事しかないというのも、せっかく来ていただいた方にどうかと思うので、それっぽい記事も書いておこうと思います。最近スタジオジブリ作品を見返しているので、その話。嫌いなものについて熱弁を振るうよりは好きなものの話をするほうがたぶん楽なので、そうします。私は「耳をすませば」が公開された1995年に生まれたのですが、生まれた場所の地名は「桜が丘」です。「耳をすませば」の舞台は「聖蹟桜が丘」なのですが、実質上は同じ地名です(「聖蹟」は天皇が御幸した場所に付く冠詞です)。両地とも東京都西部にあるので、気になる方は地図を見てください。似たような雰囲気の街なので、「耳をすませば」を見ると、黎明期から発展期の東京都郊外都市の活気が懐かしく感じられます。単なるノスタルジーです。あと十年早く生まれていれば、あり得たかも知れない風景を見せてくれるわけですが、私自身は幼少時に東京から地方に引っ越したため、寂れてしまった桜が丘しか見られません。「地球屋」のようなお店を探して散歩することはありますが、なかなか見つかりませんね。まだ携帯電話の普及していなかった時代の東京です。それから団地。「車内の風景」がまだ存在した時代の京王線(いまでは大半の人々がスマートフォンの内部に存在していて、電車には風景として誰もいない。いるのはスマートフォンを覗き込む複数の端末)。老人ホームではなかった時代の図書館。オフ会の会場ではなかった時代の中学校。非現実と空想を含んでいた時代の現実(飛躍しました。ようするに空想のバーチャルリアリティがリアリティを原型に存在していたということです)。ノスタルジーは人を憂鬱にしますが、考えてみると現在というのは過去の未来であって、この未来を90年代の日本人は望んだのだから、私たちはそれに応答しなければならないように思います。応答する方法は知りません。スマートフォンで90年代を検索するのは簡単な方法です。そこでは耳をすまさなくても、あらゆる端末の声が聞こえてきます。そしてそのなかには「耳をすませば」を単なる恋愛ストーリーに回収しようとする連中の声も含まれています。「【悲報】非リア充の奴は見ないでください」と言われると、私は見られないことになるのだけれど、そもそもあり得たかも知れないリアリティを現在感じられない私は、確かに映画など見るのをやめて桜が丘を歩いたほうが、精神療養になるのかも知れない。そこでスマートフォンを覗きながら道を歩く雫に出会えたら、愚痴の一つでも聞いてもらいたいものです。