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詩のあわいの扉

私がボディワークセラピストとして活動するまでの道程をお話しできましたら。

私は元々タイマッサージから身体の世界に入りました。
その前はライブハウスや水産業に従事したり、浅いところを自由にとにかく働き者に、宮崎の狭くて温かい世間の中で暮らしていました。
そんな中でも、子供の頃から自身の持つ特色や環境の影響からなんとなく心理職に就くことを目指すことが習慣になっていました。

名古屋に移り、産業カウンセラーという資格の勉強をしていた中で、話すことでカタルシスや自己理解が得られることはわかっていながらもその一方で、
「どうしても語ることができないこと」
というものが存在することを実感しました。

語るという行為の曝露による再体験への恐れ。
それは踏み出し語り出せば癒しにもなるかもしれませんが、新しい傷つきを生むかもしれない。
そんな懸念が生まれていました。

その頃、同時に私は瞑想を学び始め、心理職に必要な生育暦分析を瞑想によって進めていく方法をトレーニングとしてしていました。

ここで声を大にして注意を促したいのですが、生育暦分析も本格的な瞑想も必ず指導教官や導師などの指導者の元で学び、実践してください。
我流ですることは心身共に大変危険です。人の脳を甘く見ないこと!

そこでもやはり自分の内面へダイブすることを堰き止める大きなNOが今度は身体から発せられる。

心理学や瞑想を学びながら、なんだか言語化できない大きな渦のような世界を感じました。

その時に出会ったのがあまりに有名な、ソマティック界隈では必須の書である(と私は勝手に思っています)、べッセル・ヴァン・デア・コーク博士の「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」でした。

この本が扉を開くきっかけとなり、私は今に到ります。


その後私自身、明確な治療法のない羞明の症状に見舞われ自分の生き方・考え方、身の回りの環境全てと向き合うことになりますが、クラニオの講座に参加した時の解剖の知識を学ぶ際に、このような痛みという明らかな座標があったおかげで随分理解が捗りました。
体験としても腑に落ちるのでより血になり肉になったと思います。

例えば、羞明そのものの原因は他にあるとしても顔の痛みと三叉神経の位置から、外科手術が必要なためにビビって放っておいた親不知の存在が関わっているのではないかと閃いた時、三叉神経への理解は体感を伴った知識となりました。

後日談ですが、この親不知は無事手術をし、おかげさまで羞明の症状も改善の方向へ一歩進むことができました。

ところがその手術のトラウマが身体に残っていることをオステオパシーの先生から伝えられ、また別の機会にクライニオバイオのセッションでリリースしてもらう、という2度も3度も学ぶ機会をこの親不知は与えてくれたのです。


そしてこの羞明は近頃「眼球使用困難症」と呼ばれているものにおそらく近しいものだと思えることもわかってきました。


身体と心のつながりを探求していくことは、自分の内側を掘り下げて存在の自由を獲得していく道程でもあると思います。

今回、自分のこの羞明について取り上げたのは
「病気の私だって頑張っているんだから、みんな頑張ろう。世界は美しい!」
なんてことを言いたいのでは全くなくて。
世界は今日も美しいことは間違いなく。

私が伝えたいのは身体のあげる声は、その人が自分の人生を歩むよう促す声である可能性が大いにある、ということ。
そしてどうやら身体の声を採用する、ということは自分の人生の舵を握ることにつながっているようだということ。

自分の人生を生きたい、と願い歩まれている方を私もその中の一人として応援したいと思っています。

詩の言語の価値はそれが話されている言語からどれだけ離れているかに直接由来している

パブロ・ネルーダ『 アレハンドロ・ホドロフスキー サイコマジック』より


この奥行き深い世界を三昧に味わえたらなんと素敵でしょう

『マインドフルに本来の自分に戻る』
https://somattica.com/

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