青葉の取材日記 #2

「……さて、こんなところでいいかしら?」
千歳はひとしきり隣の時雨と会話をし終えると、テーブルの低い椅子を挟んで向かいに座っている青葉の方を振り向いて言った。
「はい、これだけ分量があれば、記事を一つ書くのには十分だと思います。お二人とも、どうもありがとうございました。」
「どういたしまして。時雨も、付き合わせちゃってごめんなさいね。」
「いいさ、僕も久しぶりに昔話ができて楽しかったからね。」
隣に座る時雨は、相変わらず落ち着いた雰囲気で千歳の隣に座っている。
「私も、話を聞いていて面白かったですよ。」
青葉は素直にそう答えた。
「それはよかったわ。……私としては、あなたの話も面白そう、と常々思っているんだけれどね。」
「私ですか?」
「そう。重巡洋艦としての、あなたの話。そして、提督や私達との出会いの話。」
千歳が何を言いたいのかについて、青葉は彼女のその表情と口ぶりから多少想像することができた。思い当たる節が無いわけではない。
「青葉の話ですか……。うーん、いまここでするような話でもないですし。」
「そうね、無理強いはしないけれど。……その気になったらいつでも言っていいのよ?」千歳が急に真面目な表情になったので、青葉は思わず少し苦笑いしてしまった。
「もう、なんですかそんな改まって。……これから記事を纏める仕事もありますから。これで失礼しますね。また今度、お話しします。」
そういって、青葉は手慣れた手つきでボイスレコーダーと筆記用具を仕舞い、立ち上がった。
「そう?じゃあまたね。」
「頑張って、青葉。」
「はい、ありがとうございます。」
そういうと、青葉は二人の元を離れた。

「……うまい具合にはぐらかされちゃったわね。」
「そううまくいくものじゃないさ。おとなしく提督に任せておけばいいんじゃないかい?」
「やっぱり、貴方もそう思った?」
「そうでなきゃ、提督はこんな指令、出さないと思うな。」
「どこまで知ったのかはわからないけれど、そういう事よね。やっぱり。」
誰に言うでもなく、千歳は一人で呟く。
「それにしても、最近いろんなところに気をまわし過ぎじゃないかい? どんどん女房役が型にはまってきているように見えるけど。」
「もう、時雨までそんな事言い始めるの? ……まぁ、いいわ。私にできるのは見守ることだけですもの。それは私も、貴方も、提督も同じ。」
「うん、そうだね。きっと提督は、僕ら以上に見守ることしかできない。」

二人と別れてから自室までの道すがら、青葉は一人で物思いに耽っていた。
(私が、青葉がこの鎮守府に来たときの話、か……。)
その時の思考はいつもよりも深く、自然と歩みが遅くなる。
(私は重巡洋艦。青葉級一番艦。かつては艦隊の旗艦も務めた。)
今、思考があふれているのは、さっきの千歳の言葉のせいだろうか、それとも、司令官から受けたこの風変わりな指令のせいだろうか。
(……そう、指令官。)
思考がまた切り替わる。
(ある日あの人はこう言った。「君を艦隊に迎えることに決めた。」)
最初は、その意味が分からなかった。何故なら青葉は、既にこの艦隊に編入されたことがあったからだ。数合わせながらそれは一度にとどまらず、声をかけられた時には錬度も新参からは頭一つ抜き出たといった所だった。聞けば、主力で活躍する艦娘たちは時と場所は様々ながら、全員その言葉を掛けられたことがあるらしい。中には主力艦隊の編成から抜けて現在はあまり運用されていない艦娘にも、声をかけられたという者はいた。
(なりふり構わず声をかけている、という風でもないのだけれど……基準が良くわからないな)
それが、青葉にとっての正直なところだった。
ただその後艦隊編入にあたって司令官と会話を重ねていくうち、艦隊の他の面々と話をするうちに一つだけ、分かったことがあった。
自分に声が掛けられた一因は、どうやら自分が重巡洋艦だったことにあるらしい、と。青葉がその言葉をかけられて以降、艦隊は重巡洋艦中心の編成へと移行していったようにみられたからだ。
そうこうしているうちに第二艦隊で重ねていた演習により錬度が上がり、第一艦隊に配属される機会が増えた。そうして必然的に司令官と接する機会も増えた青葉は、指令室の様子に驚いた。
(司令官に熱心に重巡洋艦の長所について説いていたのが、貴方だったなんて。)
作戦会議の為に訪れたその先では、寝ている加古の近くで司令と重巡洋艦の運用方法について語る、古鷹の姿があったのだ。
(古鷹級一番艦、古鷹。重巡洋艦の中で誰よりも小柄な、けれど誰よりも勇敢な”私たち”の姉。)
最大の攻撃力を持った軽巡洋艦として設計されながら、その攻撃力ゆえに重巡洋艦というカテゴリーの中で扱われることを余儀なくされた艦の娘。それでいて、過去も今も変わらず勇猛でい続ける戦士。
青葉はそれまで、彼女の勇敢さはその規格外ゆえだと思っていた。誰の系譜にも属さず、ただ自分のあり方を見つめる。技術実証の側面が強かった夕張や、性能の向上を極めた島風など、唯一無二の存在に見られる、そんな強さなのだと。実際、同じ古鷹級の加古には、そういった超然とした空気を感じていた。(彼女に強さという単語を当てはめるのが、本当に適しているかについては少々考える必要があるが。)
孤独からくる強さ。しかしそれは違っていたのだ、とその時青葉は考えを改めた。
(貴方は、誰よりも重巡洋艦であろうとしていたのですね。)
自分の体躯に似合わぬ強大さを誇るでもなく、重巡洋艦の名に驕るでもなく、自分の境遇を悲観するでもなく。
そのともすれば軽巡洋艦を彷彿とさせる小さな体躯で働きを上げることで、重巡洋艦の力を示す。後から来る私たちの働きを、予感させるように。
それが、あの人の矜持だったのだ。
(だから、貴方は、あんなにも……)
脳裏をかすめたのは、青葉にとって、あの部隊での最後の記憶。青葉が古鷹の強さを強く、最後に、心に刻み付けた瞬間の記憶。
殆ど毎日のように顔を合わせる今、古鷹はその時のことについて何も言わない。青葉も何も言うつもりはない。何故なら、古鷹という存在はそこにいて、青葉という存在もここにあるからだ。あの時とは違うお互いを見つけた今、それをお互いにぶつける必要はない。なにより、あの時のあの感情は失った者の感情だから。今はまだ必要ないのだ。
(こうして、この鎮守府で出会わなければ、こういった気持にはならなかったのかもしれないな)
勿論、思いの丈をぶつけたいと、そう思ったこともある。でもこの感覚もまた、いろいろな偶然のもとに手にした尊い物だから。そう、青葉は思っていた。
「あ、青葉。お疲れ様!今日はもう秘書官のお仕事は終わり?」
とてもびっくりした。
「古鷹さん!今入渠から帰ったところですか?」
「うん、ちょっと無茶しちゃったからね。結構かかっちゃた」
そういって照れくさそうに笑う、当の姉の姿がそこにあった。
「無茶はだめですよ。古鷹さんはいまやわが艦隊の主力なんですから」
驚いたとはいってもそれは一瞬で、彼女の笑顔を目の前にしてからは、青葉は先ほどまでの思考を仕舞い込みペースを取り戻していた。
「それはわかってるんだけれど、だからこそ張り切っちゃって。」
「それでもです。あんまり無茶してばかりだと、秘書艦権限で司令官に言いつけちゃいますよ?」
それはこまるなーと、古鷹が苦笑する。この様子だと提督にも度々窘められていそうだ。
「じゃあ無茶せずに頑張るね。重巡洋艦のいい所、もっと知ってもらわないと!」
――ああ、この人には敵わないなぁ。
さっきまでの思考も合わせて、改めてそう思う青葉だった。
「……本当にすごいですね、古鷹さんは。」
そう言葉が出たところで、青葉は自分を不思議そうにのぞき込んでいる古鷹に気付いた。
「どうかしましたか?」
「うんとね、今日青葉が私を見る目がまた少し違うな、と思って。今日の秘書艦のお勤めで何か変わったことでもあった?」
(古鷹さんは今まで、私にどんな目で見られているかを常に把握していたのでしょうか)
そう思うとやや冷や汗をかくように感じなくもなかったが、そこは深く考えないようにした。今度からは気を付けよう、と心に刻むに留める。ひとまず微妙に話題をずらすのも兼ねて、例の指令について話すことにした。
「えー、古鷹さんの疑問の答えになるかは分かりませんが、少々変わった指令を受けまして……」
もう何度目だろうか、説明もだんだん慣れてきた。この分なら、次辺りからはスムーズに取材を進められそうだ。
「ふぅん、みんなの取材をするんだ。なんか、青葉にぴったりなお仕事だね。」
「そうでしょうか?」
たしかに、自分は取材能力があることを強くアピールしてはいるが、この鎮守府に限って言えば、この指令が自分にとってぴったりかはわからない。
「ピッタリだよ。だって青葉は色んな物をみて、いろんな事を考えられるじゃない。……最後の時まで。」
最後の一言に心臓が凍るかと思ったが、古鷹は笑っていた。それも作り笑いではなく心の底からそう思わないとできないような、柔らかい表情で。
「だから、頑張ってね、青葉。私は青葉の見たものをもっと知りたいから。」
「……はい、ありがとうございます。」
青葉は半ば気落とされたように答えた。そして何となく、それだけで話を切り上げるのが惜しい気がして、つい言葉を紡いだ。
「……ええと、その。今の記事が終わったら、古鷹さんの記事も書きたいです!」
どうしてこんな気持ちになったのだろう。でも今この瞬間なら、言える気がした。だから言った。古鷹は少し驚いたような顔をしていたが、やがてまた優しい顔に、けれど今度はすこし困ったような表情も浮かべながら答えた。
「私?……でも私は後の方がいいんじゃないかな……。あんまり面白い話も持ってないし。何を話せばいいかな?」
そこまでは考えていなかったので、言葉に詰まった。
「それはまだ考えてないですけど……。で、でも、今が気乗りしないなら次じゃなくてもいいです。なんなら司令官からの指令外でもいいです。絶対に古鷹さんの記事は書きます!青葉、決めました!」
そうはいっても、古鷹に拒否をされたら青葉としては引き下がるしかない。決めたなどとずいぶん強引なことを言ってしまった気がして、青葉は言った後になってすこし胸が締め付けられるような思いがした。
しかしふと古鷹を見ると、彼女は不思議な表情で青葉を見つめている。それは、青葉が向けられたことのない表情だった。しかし、どこかで見たことがある表情だ。あれは……
「うん。分かった。私が話したいことが見つかったら、青葉が聞きたいことが見つかったら、青葉に記事を書いてもらおう。私も、決めた。だから青葉、楽しみに待っていて。私も、楽しみに待ってる。」
古鷹はまた、元の微笑に戻っていた。
「……。ええと。はい、よろしくお願いします。」
青葉もまた、平常心を取り戻しつつある。結局、あの不思議な表情をどこで見たのかは思いつかずじまいだった。二人の間にまた元の、静かな時間が流れ始める。
「じゃあね、青葉。頑張って。」
流れを変える一言を先に発したのは古鷹だ。
「はい、古鷹さんもお大事に。
青葉もそれにこたえる。体を大事にしてほしいという事は、偽りない本心から言った。
「ありがとう。……それにしても――」
最後に掛けられた言葉で、青葉は古鷹の態度に得心がいくとともに思い出した。さきほど古鷹が見せた、その表情について。
青葉は古鷹が去った後、歩きながら掛けられた言葉を反芻する。

――さっきの青葉の言葉、まるで提督の、あの時の言葉みたいだったね。

青葉の『宣言』を聞いたときに、古鷹が見せたあの表情。
それは彼女が、指令室で司令官と居るときに見せていた表情にそっくりだったのだ。


【青葉の取材日記 #2】

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