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「お金が欲しい」は「お金が欲しい」わけじゃない。

意味深なタイトルだが、分かってしまったことがある。

僕はお金が欲しいと思っていなかった。

衝撃の気づきである。


さきほど、ティーチャーズアソシアの会員がやっていた、ガイドゲームフェスティバルに参加した。

ガイドゲームって何?って人も多いと思うのだが、本質を自分で言ってしまうという哲学的な対話ゲームである。


このガイドゲームは、アソシアのメンバーがハマってガンガン広めているので、やりたい人はぜひ参加して欲しいと思う。

このゲームの凄さは参加者だけじゃなくて、主催者側にも大きな気付きがあること。


そこで、僕はお金が欲しいわけではないということに気づいたのだ。


問い:あなたにとって善とは?

ガイドゲームではカードをシャッフルして、そこに出た質問に答える。

今回、僕たちのチームで出た問いがこれだ。

あなたにとって善とは?


『善』

善いということは分かるが、具体的に言葉にしてみたことはない言葉だろう。

人によって解釈も違うし、一歩間違えば善と言いつつ悪を語りそうな感じもある…。とても難しい言葉だ。


僕はこの善を聞いた時、動物的の本能的なシンパシー、エネルギーを連想した。

つまり、善も悪も理解できない動物たちでさえも善いと思う行いこそが善であると考えたのだ。


僕はここで保護猫をそのまま家族として迎え入れた話をした。

いたずらもする猫だったので、めちゃくちゃ怒って気持ちが離れてしまった時がある。


しかし、少しずつ、少しずつ気持ちを近づけて、1年かけて僕の布団の上で寝てくれるまでになった。


こういう動物であっても嬉しいと思うこと、喜ぶこと。

これはどんな動物にとっても有効なんだってことが善であり、これの対象は家族だろうが、友達だろうが、会社だろうが、世界だろうがどこでも良い。


大小はあれど、善いと思う行いをすることが善である。

と言ったのだ。


僕のやりたいことはお金が欲しいではない

そこで見えてきたこと。

今日はゲストとして参加してくれた方が「もっとお金が欲しい」という悩みを出してきた。

奇しくも僕と同じテーマだったのだ。


そこで、みんなからの問いかけや、もちろん自分自身がゲストに対して発する言葉を聞いて、一つの答えが見えてきた。

「お金は目的ではない」


そう、お金を得て何をしたいのか?というのが本質だったのだ。

いつも言っているけど、僕はすっかり忘れていた。


そもそも人間は物質的なことを追いかけることはしないのだ。

その先にあるものを価値として認識する。


なぜ食事をするのか?というと、空腹を満たした瞬間を味わいたいから…と同じことである。


思いっきりできない自分が嫌。輝く自分が見たい

では、僕の場合は一体何が欲しかったのだろうか?

お金がないと何が得られないのだろうか?


みんなが答え合わせをしている間、考えてみたのが、お金がないとやりたいことを思いっきりできないことが辛い。

つまり、自分自身にフタをしてしまった自分を見たり、感じたりするのが嫌だったのだと思った。


なぜ、開放的な感覚にならなかったのか?

それは自分が開放的な行動や、言葉を使わなかったから。


そもそもの単純な理由だった。

もっと開放していい。


自分はそれくらいの仲間と力量を持っている。

気づいたらあとはやるだけだ。


よし、明日からは最高に楽しい自分になれそうだ。

みんな、お楽しみ様でした!


P.S.ガイドゲームフェスティバルは毎月第4金曜日の夜にやる予定のようで。

次回は5月28日(金)の21時。


興味があったらぜひ出て欲しい。

きっと新しい自分で出会えることだろう。


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