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どうやら親のモラハラを受け続けてきたらしい

うちの妻がまた何か覚えてきたらしい。

「これ書いてみて」


それによって僕の悩みを炙り出そうというものだった。

その結果、僕の悩みはちゃんと出てきたので、今日はそれを書いてみようと思う。


質問の内容

と言われて出されたものがこれだ。

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「コントロールできるもの」

「コントロールできないもの」


そこで僕がコントロールの意識化に置いていないのが、相手の意識や、行動だった。


つまり簡単じゃないものに対して、意識を弱く持っているらしい。

だからこそ、子どもたちも放置に近いカタチ。

逆に子どもたちは子どもたちなりに考えて進んで欲しいって思っている。


自分点数化

次の質問は自分を点数化すること。

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意外にも僕は家庭の部分に自信がないことが分かった。

さらに、全体的に数値が高いのにも関わらず、自分自身の評価は思ったよりも低かった。


伸びしろがあると思ってちょっと低めに付けたのだが…逆にスキルなどに関しては十分にあると自分では思っているらしい。

家庭に関してはまだまだ成長できると考えているらしい。


どうして評価が低いのか?

評価が低い理由は僕はやはり親から愛されていないと感じているらしい。

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この評価が低い理由が『13歳の頃のトラウマ』を乗り越えられないからのようだ。


あの時、親にたくさん迷惑をかけた。

そして、親からたくさん面倒を見てもらった。


しかし、そのおかげで「あれはやったか」「これはできたか」など押し付けられるようにもなった。

親の心配が僕自身を押しつぶしてしまったようにも感じる。


そのため、いくらやっても満たされず「まだまだできることがあるはずだ」「自分はまだ未熟だ」とレッテルを貼ってしまっているのだ。


そのため、未だに言われてしまう。

「普通はこうなんだから。」

「親の教育がなっていない」

「お前はだからダメなんだ」

などを言われ続けている。


同じ家に住んでいない人は「分からない」

妻から教えてもらって「あっ」と思ったことは、親であろうと同じ家に住んでいないんだから、何も分からない他人であるということだ。

つまり、子育てや、自分たちの家庭状況の当事者ではない。

本人でも分かりにくいことをどうして他人が分かるのか。そもそも受け取めようと思っていない人が受け止められるハズがないのかもしれない。


だから、ある一部分だけを切り取って「なんかダメだな」って思ってしまうのだ。

僕だってそんなことはたくさんある。

なるべく深いレベルまで理解しようとしたりもするし、過去も今も全て知っているわけではないので見えない部分もたくさんある。


だから、他人の評価は簡単に下したりしないようにしている。

それでも、やっぱりそういう目線で見てしまうことは誰にでもあるのだ。


僕が両親と違うのは、それを自覚して言葉を言うのと、自覚もせず言葉を言うのではまったく伝わり方が変わってしまうのだと思った。


分からないことを自分の感覚で自分の思うように相手に押し付け、相手の尊厳を奪う。

これはある種のマスターベーションでもあり、これがモラハラの正体なんだって気付いた。


そんな妻がとあるツイートをシェアしてくれた。


たしかにそのとおりだ。

両親は僕自身を見ていない。

だからこそ、そこに愛を感じないんだ。


そういう悲しい気持ちになるのと同時に、割り切ることも大事なのかもしれないと思う今日このごろだった。

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