ACCEPTということ
久しぶりにとあるアフリカの男性とZOOMで会話をした時の話。
私はこのところずっと落ち込んでいた。先週、就活で最終面接まで行った会社が落ちたところだった。
はじめてそのメールを見たときは「あっ死にたい」と軽く思った笑。(面接では「あまり落ち込まない、切り替えのできるところが長所です」と言っていたのにも関わらず笑。ちょっと笑える。)
一日中家にいて、働いたり学校に通っている家族の代わりに家事をして過ごす。掃除機をかけながら、皿を洗いながら、テレビを見ながらふとあの面接の一部始終がいつの間にか頭の中で再生され、みるみるうちにタラレバの世界へと落ちてゆく。
もっと質問を積極的にしていれば。あの時にこう答えていれば。PRはもっとこういう所を混ぜながら話すべきだった。
そうやって記憶を整理しながら、次第に納得もしていった。一言でいえば私は、社会に繋がらず家に籠って就活をするという状況にずっと焦っていた。日々、色が無くなる生活に怖さを覚えていた。内定を取る事だけを見ていた。入社後のことまでちゃんと見据えていなかった。それが何十枚も上手な役員には見破られた、ということだ。完全に、私に落ち度があった。
そしてZOOMでの話。彼とChallengeというテーマで話していた際、彼はACCEPTという単語をよく使った。毎回毎回、Challengeに対してもがきあがいていたら病気になってしまう。死んでしまう。だからいつも耐え忍ぶ。受け入れる。そんなことを言っていた。
受け入れる。その言葉が一滴の絵の具のように胸にジワリ、広がることに気づく。それは反省とか内省とかじゃなくて、もっと本質的な雰囲気がする。なんていうか、感情を抜いて現実を両手で受け止めようとする感じ。悟りにも似ているのかもしれない。落ち着いた心で見定める器の大きさ、強さを感じる。私は受け入れることをしていただろうか、ふと思う。自分の落ち度や欠点を見て落ち込んでばかりで、負のエネルギーに振り回されてばかりだった。そういえばコロナも、今の生活も、アメリカの黒人に対する暴行事件などニュースも、気づけば私を蝕んでいた。
彼をACCEPTと言わしめる、その強さはどこにあるのかと聞くと、彼はReligionと言った。なるほど確かに途上国滞在経験がある私にとって、そのReligionは聞き覚えがある。全て起こりうる出来事は神様が決めたこと。そうやって受け入れる彼らの強さに、何度も私は驚愕したものだった。神様を信じている人の、そのあっけらかんとした感じの思想が生きやすそうで眩しくて少し羨ましい。
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