元カレみたいな友だちの話



元カレみたいな友だちがいる。とはいっても、彼に対してわたしが恋愛感情を抱いていたわけでも、あるいはそういうの無しに肉体関係を持ったわけでも、お互いにそんな空気が流れつつもなぁなぁになったとかでもない。彼のことを元カレみたいだと思うのは、彼が当時わたしより物知りだったからで、そのあと縁を切ってしまいもう二度と会えないからだ。

ボノボンというお菓子があった。今もあるのだろうけれど、もうずいぶんと意識下には現れていない。コンビニとかで見かけているのかもしれないがそれすらもわからない。大学2年生か3年生のころ、彼が教えてくれた。
ボノボンは親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさで、多分周りがパリッとかサクッとかした素材、それを口の中で割ると中にチョコレートクリームみたいなものが入っている激しく甘いお菓子だった。1つ10円か30円くらいかで買える。初めてもらったときのことはもう覚えていないけれど、初めにくれたのは間違いなく彼で、いつからかそれは仲間内で日常的にやりとりするものになった。レポートを頑張っている友だちに、1限に出たという友だちに、「お疲れさま」だとかあるいは「ありがとう」だとかそういう意味でボノボンをあげたりもらったりした。ボノボンは激しく甘く、寒い日は帰り道の自分を鼓舞するために、眠いときは授業中に眠気覚ましに食べた。銀色に赤字のロゴがクッキーバニラのような味、薄茶色に茶色のロゴがチョコレート味だった。

わたしは大学進学とともに上京してきた田舎娘だったから、埼玉生まれの彼にいろんなことを教えてもらった。いろんなところに連れて行ってもらった。彼の家は北与野にあったけれど、東京在住でなくても東京にこんなにも詳しくなれるのだということもそのときに知った。同級生のうち、半分ほどが東京の実家から、残りの半分は埼玉や神奈川、千葉の実家から通ってきていた。
彼の住む北与野のマンションには2階遊びに行った。本当に大きなマンションで、こんなのはきっと生まれた県にはないのだろうなと思うくらい大きなマンションで、入り口から家の玄関までが果てしなく遠く、果てしない数の窓と扉があった。玄関を入って左手の細長い一室が彼の部屋で、壁際の本棚と敷いてある一組の布団でいっぱいいっぱいになってしまうその空間は、なんだか秘密基地みたいで羨ましかった。布団から起き上がったときにちょうど良いような位置に低いテーブルがあって、たしかキーボードが置いてあったように思う。わたしは、一年生の文化祭の帰り道にパスケースに入れていたはずの学生証と家の鍵だけをどこかに落とし、自分の家に入れなくなってその部屋に一晩泊めてもらった。彼の父親が帰宅したので、申し訳なくてリビングの方には足を踏み入れることができなかった。彼はわたしに自室を譲ってリビングのソファで寝てくれた。部屋の本棚の角に、わたしが貸した江國香織の「すみれの花の砂糖漬け」という詩集が置いてあった。それは返ってくることはなく、今わたしの部屋には新しく買った同じ本が置いてある。
二度目は他の友だちも含めて4人ですき焼きパーティーをしたときだ。一時期4人で一軒家を借りてシェアハウスにしないかという話が持ち上がっていた時期がありその物件を見に行こうと計画していたのだが、全員約束の時間に起きることができなかったので計画を変更し、北朝霞の駅から北与野の彼の家まで歩いていくことにしたのだった。季節は冬で、とても寒かった。大きな道路沿いを歩くと強い風が吹いた。夕暮れ時に大きな川を渡る橋の上を通ったときは、あまりに寒くてわーきゃーと叫びながら走り抜けた。わたしたちは地図を見ることなく、コンパスだけをたよりに、かなり時間をかけて北与野に向かった。当時仲間内でたくさん歩くことや地図を見ずに歩いて移動することが流行っていて、わたしの徒歩好きはこの頃に形成されたものだ。映画のチケットを先に予約してしまい上映開始時間というタイムリミットを設けて行うパターンもあり、それもまたスリリングで楽しかった。あの頃歩くのが本当に楽しかったからいま歩くのが好きなのだということは、とてもうれしいことだ。あの頃一緒に歩いた誰一人としていまはもう連絡をとることが叶わないのだけれど、それでもわたしはいま、歩くことが好きだ。ありがとうと思う。
橋を渡ったあとでファミリーマートに寄った。暖かい午後の紅茶と、それぞれコロッケを買った。それを歩きながら食べた。温かかった。元気を取り戻し、また歩いた。すっかり日が暮れていた。
彼のマンションの最寄りのスーパーは「ロヂャース」で、これもまた、わたしが彼にもらったはじめての一つだった。地元には「ロヂャース」はなかったけれど、それはかつて結婚生活を浦和で始めた両親の話にはよく出てくる名前だった。わたしはあの日初めて「ロヂャース」で買い物ができてうれしかった。そのあと両親に「ロヂャース」に行ったよと話した。
4人組は男女2人ずつで構成されていたが、その日すき焼きを作った記憶は全くなく、わたしはもう1人の女の子とソファってきゃっきゃしていたような気がする。実家ですき焼きを食べたことがなかったので(思えばわたしが食べたことがないと言ったから、その日はすき焼きを食べようということになったのだったかもしれない)、すき焼きを食べられたこともとてもうれしかった。帰るのが惜しくて、泊まっていけばと声をかけてもくれたが、結局終電で帰ることにした。ぎりぎりまで家にいたので駅までも走って行ったような気がする。もう1人の女の子の友だちはとっくに終電を逃していてそのままうちに泊まりに来た。夜通し恋バナをして、朝になって2人で寝た。

高円寺に行ったこともあった。彼は古着も好きだった。古着は誰かが使ったusedという意味ではないのだということも教えてくれた。わたしはusedの服が欲しかったので残念だった。商店街を一緒に歩いて、古本屋さんや古着屋さんをひやかした。帰りにかわいいカフェに連れていってくれた。高円寺で人と会うとなると、いまだに結局いつもそこにいってしまう。その店は、日本のヒット曲を子どもたちが大勢で歌っているBGMがずっとかかっている。

学校帰りに荻窪に繰り出し、ふらふらと歩いて適当に見つけた店で飲んだこともあった。わたしは大学時代飲み会をあまり好まなかったが、彼と2人の時はときどき飲んだりもした。クラフトビールのお店だった。当時わたしはビールが飲めなかったけれど、彼が選んでくれたリンゴのビールを飲んだ。苦かったけれどたしかにリンゴの香りがして美味しかった。わたしが飲めなくなると彼が飲んでくれたので、安心してお酒を飲んだ。

西荻窪には行ったことがないねといって遊びに行ったこともあった。そのときは、本当にふらふらとただ散歩をした。学校帰りだったのか、夕方に集合したのだったか覚えていないけれど、記憶の中の景色は夜だ。しばらく歩いたあと、駅のそばまで戻ってきてセブンイレブンで飲み物を買い、近くの公園で飲みながらおしゃべりをした。ぼんやりとした記憶。

吉祥寺には、一緒に美味しいかき氷を食べに行った。屋台のようなやつじゃなくて、もっとふわふわの美味しいかき氷があることも、彼が教えてくれた。美味しいかき氷を食べに行こうよ!と誘われて二つ返事でOKをした。わたしはその日桃のかき氷を食べた。わたしの人生で食べたかき氷の中で、明らかに圧倒的に美味しかった。そのあと井の頭公園に行った。ふらふら歩いて、ここは『火花』で見たことがあるというような話をしながら進んだ。わたしは『火花』がとても好きなので、初めてちゃんと井の頭公園を歩くことができてうれしかった。動物園を見ようと思ったが、月曜日で休園だった。がっかりしたので一緒にボートにのった。わたしはうまく漕ぐことができなかったので、ほとんど彼が漕いでくれた。桜が咲いていた気がする。
帰りに、すごくおいしいチャイのお店に連れていってくれた。わたしはチャイが苦手だったけれど、その日その店で飲んだチャイがとても美味しかったので、それからチャイが飲めるようになった。まだあの店あるんだろうか。また行ってみたい。

おぼろげではあるけれど、まだまだたくさんの思い出がある。捕まえようとすると消えてしまうくらいの記憶。でもたしかに実感がある。多分中野とかも一緒に行ってるはずだし、映画や舞台を一緒に見たり、野球を見たり、とにかく大学でできた1番の友だちだったのだ。なにか気になるものがあれば一緒に見に行ったし、授業だっていくつか一緒に受けた。いつから、なにを理由に疎遠になったのか全く思い出すことができない。ただ、いつかめ組のライブが発表されたときに一緒に行こうと話していたのに、そのライブが行われるまでの間に少し距離が生まれていたので結局地元の友だちと行ったとき、そのあとライブに行ったと話をしたら「なんで誘ってくれなかったの」と言われたことは覚えている。なんだか寂しかったから。わたしは彼が好きだった。恋人にしたいと思ったことはないけれど、でもちゃんと、友人として、かなり彼のことが好きだった。いい人だったし、優しかった。一緒にいると楽しかった。なんで疎遠になってしまったのか、本当に思い出せない。

「ボノボン」ということばを久しぶりに聞いて、彼のことを思い出した。書き出してみるとこんなにも思い出があって、それも楽しかった思い出ばかりで、ずっと忘れたくないなと思う。きっと忘れてしまうけど。

ほらなんか、元カレみたいだよね。
元カレみたいな友だちの話。

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