40代からの「報われない」生き方

今40代を迎えている人は、おそらく就職氷河期世代だろうと思います。

とりわけ、地方出身者、経済的に貧しい家庭で育った人にとっては、長い平成不況は教育格差や学歴格差が広がる要因となり、苦しい思いをして生き抜いてきた人も多いと思います。

なぜ40代の地方出身者は報われないのか?

簡単なことです。

①インターネットがないことの情報格差。

②裕福な家は一握り。多くの貧しい家庭は大学にも行けない。

③就職先はおろかバイト先すらない地方の経済環境。

④バイトすらできない、家に金がない、進学をあきらめるという負の連鎖。


私は両親から「早く働け家に金を入れろ」と言われながら、偏差値20落として親戚から金を借りて逃げるように地方の公立大学に入りました。

地方の貧しい家庭は「勉強は道楽、働きたくない人間の口実」と考えている人も多く、大学というものにかなり偏見を持っていた人は多いと思います。

特にバブル期、日本が浮かれていた時代、大学生は親からふんだんに仕送りをもらって遊び惚けていたのですから当たり前です。

そのような「大学生観」がそのまま不景気時代にも受け継がれ、苦しい思いをして、睡眠時間を削ってバイトと大学の授業を受けていたにも関わらず、卒業すると就職面接では「どうせ遊んでいたんだろ?」「その程度の大学にしか入れないやつなんていらない」と散々なことを言われました。

当時、日本は人件費のより安い中国への製造拠点の移行を積極的に進めていて、日本国内で産業の空洞化ということが言われるようになりました。

リストラ、自己責任、いろいろな言葉が個人にのしかかり、苦しんでいない奴は許さないという風潮があったように思います。

そんな風潮は、「有名大学に入っていない奴は楽した人間」という考え方もありました。

当時、やりたいことがあり、六大学の私立を受験だけして合格していたにも関わらず、学費が賄えないのであきらめたのですが、地方公立大学を卒業して得たものは何もありませんでした。

いくら専門知識を深めても、いくら経験を積んでも、いくら努力しても

「所詮は〇〇大学でしょ?」

とか

「〇〇さんは有名大学出身で、今はこんなすごいことをしてるんだって。それなのにあなたはどうなの?」

とか

ひどい就職氷河期で、いろいろな仕事を転々としました。

今でこそブラック企業や働き方改革という言葉がありますが、20代の頃は時間外労働200時間、派遣社員をしていたころに特にひどかったのが、派遣先での委託業務が終わりかけになると急にクレームを言い出し、「契約違反だ」と言い始めることでした。つまり、契約金を払いたくないということなのです。

精神的にも肉体的にもボロボロになっています。

そういう環境でも、努力して、資格を取ったり、経験を積んでいろいろできるようになったりもしました。

しかし、今、高齢化と労働力不足を背景に、老人が定年を延長し、会社に居座ってあれこれ偉そうに指図するのです。

本来なら一部門の責任者としての能力も実績もあるのに、老人にポストを与えないといけないという理由だけで、蔑ろにされた上に、業務と職責ばかり増え、給料は増えません。

辞めるというと慌てて給料を増やしたり、役職をあげたりしますが、それだけです。

「どうせ、このコロナでお前なんて他にいくところなんてないんだから」

と嘲笑って、また元通りになるのです。


明日、私は仕事を辞めます。

職場の人間関係が精神的に限界であること。

社長が代わり、生理的に受け付けないこと。

人員カットをし過ぎて、私一人でもう限界であること。

人を増やすように言っていたにも関わらず、3年間、まったく対応しなかったこと。

財務会計、管理会計、人事労務、法務、総務、システム管理(サーバ管理、セキュリティ管理、ネットワーク管理、インフラ管理)、庶務、雑務を、私がたった一人でこなしていましたが、もう限界です。

この3年間、前任者が無知のためにめちゃくちゃにしていたものを、一つずつきれいにし、システム化し、プログラムを書き自動化し、なんとか一人で回せるようにしてきました。

しかし、新社長は「俺はM&Aをするんだ。この業界に新風を入れるんだ。」と嘯き、私はそのために大学院にまで入り準備をしてきました。

しかし、どうでしょう。「M&Aは言ってみたかっただけ」でした。

そして、「どうせ事務員なんて仕事にあぶれてる、あいつだって他にいくところなんてないんだから辞めたくても辞められない」などと鼻で笑っているのです。

古株のお局さんは、私がやることなすことすべてを否定します。

私が何かすれば「ふつうはそういうやり方はしない」だの「あいつはおかしい、調子に乗ってる」などと陰口をたたく始末です。

この頭の悪い中年女性は、「女の仕事を男がしているw」と、私のことをなめているのです。


40代という、あの平成の長期不景気の時代に、それこそ寝ずにスキルを身に着け、肉体的にも精神的にも過酷な環境を、血反吐を吐くような思いで生き抜いてきた私に、これ以上、社会は何を耐えろというのでしょうか?

昔、小泉純一郎は「痛みに耐えろ」と言いました。

これだけ私を痛めつけて、あなた方は私をサンドバックだと思っているのか?

いい加減にしてください。

もう何も信じられないし許さない。

この先どうなっても構わないです。

家や車を売ってもいいし、家庭が崩壊してもいい、妻、子供と心中してもいい。

無責任でしょうか?

社会がそれだけ私を追いつめておいて、「お前は無責任だ」というのか?

お前たちの頭のほうがおかしい。

結局、何も考えずに口に出した言葉が単純に「無責任」となってお前に反響しているだけの話なのだ。

私は自分の置かれた人生を、何とか丁寧に、不幸を他人に転嫁しないように生きてきたつもりだったし、だから社会が良くなればと思ってボランティアは採算性のない事業もやってきたけど、それももう限界だ。

大学もやめよう、会社も辞めよう。生きることも辞めてしまえ。

夫も父親も辞めてしまおう。

もともと両親などは私を「穀潰し」だと罵ってきたのだ。

虫けらのような私に、生きる価値などなかったのだろう?

だったら、もはや死んだほうがいいのだ。

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