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「今 -明日 世界が終わっても-」を歌詞"だけ"でよむ

SEVENTEEN日本ベストアルバム『ALWAYS YOURS』のリード曲「今 -明日 世界が終わっても-」。
地球滅亡を描いたMVが印象的で、「世界が終わる日もCARATのために踊る」というメッセージが第一に伝わってくる。

ただ、MVと歌詞はちょっと違ったものを語っているように思う。
MVの印象に引っ張られがちなので、MVの要素は除外して、あえて「歌詞だけ」でこの曲を読んでいきたい。


たったひとつを守りたいんだ
少し上がった唇 その笑顔を

SEVENTEENの文脈からして、「CARATの笑顔を守りたい」という意味なのは自明だろう。

平凡な日々集め 大人へと
大変だけど後悔はない

これ以降は1番と2番が同じ歌詞の繰り返しになるので、ここまでのAメロが世界滅亡の意味を外側から読み解く大きなヒントだ。

このホシパート、けっこう唐突では?と私は思う。「CARATの笑顔を守りたい→世界が終わる日もそれは変わらない」ならスッと意味が通るけれど、ここで大人になる話をするのはなぜだろう?

今日を経て明日に巡り会う喜び
この想い全部が美しい

ホシパートと見比べると、「平凡な日々集め」≒「今日を経て明日に巡り会う」。実は意味がほぼ繰り返し。でも印象はかなり違う。

一見平凡な日々の積み重ねに見えて「大変だけど」、「後悔はない」。平凡であっても一日一日との巡り会いが「喜び」であり、日々を喜ぶ心は「美しい」。

この曲の主題はもしかしたら、「ここまで日々を重ねて大人になってきた"今"のSEVENTEENへの賛歌」ではないだろうか?この仮説でこの後の歌詞も読んでみる。

「もしも世界最後の夜が来たら」
「僕は君のために何ができる?」

ハイライトメドレー尺や曲名を先に知っているCARATからすればようやく主題!という感じだが、前提知識なしで順番に歌詞を読んでいったら、この「もしも世界最後の夜が来たら」こそが唐突。だからこそ「」がついているのだろう。

なぜSEVENTEENはこんな仮定を持ち出したのか?これはあくまでも私の言葉になるが、直前までの歌詞からこう解釈してみる。

「ここまで日々を重ねて大人になってきた僕たち。でも、どんなに作品を作って記録を打ち立てても、明日世界が終わってしまうなら何も残らない。そんなことがあったら、僕たちがやっていることにはファンにとってどんな意味があるのだろうか?」

君にLast Dance
まぶしすぎるその笑顔を
守れるなら もしできるなら
僕らLast Dance and Last Chance
今夜 世界が終わっても
大事にしたいのは 僕らの「今」

さっき書いた問いの解釈にのっとって、あえて「世界の終わりにCARATのために踊る」という意味"以外"でサビを読むと、メッセージはこうなるのではないだろうか。

「たとえ未来に何も残らなくても、これまでの日々を積み重ねてここにいる"今"のSEVENTEENの輝きを、"今"CARATに届けることを大事にしたい」

まさに公演アイドルの考え方。ステージは生もの、"今"のものだ。

同じく『ALWAYS YOURS』収録曲「Sara Sara」の「数字は僕らには意味がない」や「最後に何も残せなくても」ともリンクするようだ。

もちろん、SEVENTEENが未来に何かを残すことを諦めているというわけではないことは、ドギョムの「ベテルギウス」カバーを根拠に言い添えておこう。世界滅亡はあくまでも仮定の話だ。

それでも、SEVENTEENもCARATもいつか人生の終わりの日を迎えるのは確かだ。永遠に何かを残せるわけではない、ならばなぜアイドルをするのか。

私は「今 -明日 世界が終わっても-」を、「何のために、どんな姿勢でアイドルをするのか」という決意表明の歌だと解釈した。これは私個人の一つの読み方にすぎない。CARAT一人一人が、大事なメッセージをこの曲から受け取っていることを願う。


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