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7000円で聞いた人生の話

新横浜で調子に乗って終電を逃した。

泊まりの友人たちと別れて、ギリギリ目黒までは戻れたものの、そこから最寄り駅までの電車がない。目黒に着くまでに調べまくって考えた。カラオケか快活CLUBで始発を待てないこともない。大学生のうちならそうしたと思う。でももう社会人だ。大人しくタクシーを拾うことにした。

最寄りまでは5000円くらいで帰れるようだった(実際は7000円かかった)。幸い現金はたくさん手元にあった。ただ薄給会社員、一抹のお金出したくなさが残る。やっぱりカラオケにこもろうか……。

もうそろそろ目黒に着くというところで思いついた。タクシーの運転手さんに人生の話を聞こう。移動費+お話聞ける代で満足度的にはお釣りが来る。俄然やる気になってエスカレーターを駆け上がった。

私は人の人生の話を聞くのが好きだ。職業柄そういった機会も多いし、Twitterでもよくスペースにフォロワーを呼んで3時間みっちり話を聞く会をやっていた(最近はあまりやれていない)。

先日はファッションスナップの「あの人の東京1年目」という連載の、佐藤二朗の回を読んだ。今や国民的に大人気の面白俳優さんだけれど、本格的に俳優を始めたのは30歳近くなってからだという。今の私よりも数歳上の、若々しい、ちょっとあどけない感じの営業職時代の写真が載っている。有名人の人生のうちの、何者でもなかった時代を知ると、自分もそんなに焦ることはないと安心する。

ミュージシャンの伝記映画も好きだ。本人の資料と知人の証言をまとめた作品は、ビートルズのいくつかと、カート・コバーン、デヴィッド・ボウイなどを観た。俳優を使ったセミフィクションは、エルヴィス・プレスリー、ボブ・マーリーなど。単に「名前だけ聞いたことがあるすごそうな人」だった存在に、人1人分の人生が見えるようになると、物事の受け取り方がまるで変わってくる。そして勇気をもらえる。ジョン・レノンなんか、終生(というか年齢を重ねれば重ねるほど)愚かで、むちゃくちゃで、ガキですごい。こうありたいと思った。本当に。

そんなふうに人の人生をバクバク食べて生きているので、目黒駅前に並ぶタクシーをウキウキで物色した。普段ほとんどタクシーを使わないので、タクシーアプリのラッピング車はそのまま乗っていいのかどうかわからない。それに車高が高いとタクシー感がなさそうだ。ノスタルジーに浸るなら車高は低くなければいけない。前から3番目のタクシーを選んだ。

頭の禿げ上がったおじちゃんが待っていた。発車した後、掛かっている名前がかなり古風で珍しかったので、ここぞとばかりに話しかけた。聞くと72歳だという。名前の印象ほど高齢ではなかった。

名前の由来の話がひと段落した後、「人の人生の話を聞くのが趣味なので、どうして運転手になったのか、聞いてもいいですか」と正直に言った。運転手さんは快く話し始めてくれた。

運転手歴は13年。それほど長くはない。ずいぶんいろいろな仕事をしたという。最初は記者で、雀荘の経営者向けの業界誌をやっていた。当時は機械式の卓が導入される過渡期だったんだとか。その後は広告代理店で、ハイネケンの日本進出の一助になったんだそう。私はちょうど前日イベント会場で見かけたハイネケンの自販機を思い返した。

もともと大阪の方で、記者時代には妻子を置いて勢いで東京に赴任したという話もあった。私には絶対に真似できない身軽さだ。有名人の人生を聞いていてもよく思う。私が勝手に「あれもいけない、これもいけない」と思い込んでいるだけで、先人たちは意外とむちゃくちゃやっていたのだということを。

今どのくらいの地点かわからないので、メーターの金額を見ながら所要時間を推測して、質問を調整した。許されることならもっと記者時代の話も聞いていたかった。でも私には到着するまでの時間しかないのだ。

タクシー運転手になる前の前は建築会社にいた。バブル時代の会社で、不景気の影響で潰れてしまい、しばらく「大工もどき」をやっていたそう。「大工もどき」は「大八(大"九"になれないので)」と呼ばれるそうだ。へえ〜。

年を取っていよいよ「大八」で雇ってくれる先もなくなり、紹介されたのがタクシー運転手だった。

「タクシー運転手にだけは絶対になるまいと思ってましたよ」と言う。正直、私はタクシー運転手さんのタクシー愛を聞こうと思って乗車したので(?)、びっくりしてしまった。

「タクシー運転手なんか底辺のやつらがやる仕事だと思ってましたからね、僕らの時代は。荒っぽいやつが多かったから。客と揉めた話、今でも時々聞きますよ」
私は生まれてこの方安心安全のタクシーにしか乗ったことがなかったので、またもびっくりだった。私が揉め事を起こすような客じゃないからかもしれないが。

運転手さんは、記者も建築も好きだったと言っていた。「絶対になるまい」とまで思っていた仕事をしている今は、どうなのだろうか。
「前よりは良いですよ。お金にも困ってないし。案外悪くないですよ」

見下してすらいたというタクシー運転手としてハンドルを握るその人は、それでもあっけらかんと、それどころかいきいきとしてさえ見えた。見えただけで、本当のところはわからない。だけどいかにもおしゃべりに慣れた運転手らしくどんどん話を広げていってくれる口ぶりや、赤信号のたびに大きく振り返って話を強調する姿は、健全そのものだった。

一つ、思わぬ嬉しい一致があった。運転手さんは音楽好きで、仲間内でずっとコピーバンドをやっていて、ブルース、カントリー、そしてビートルズを演奏しているというのだ。現役ビートルズブーム直撃世代だ。私は後部座席で飛び上がった。

降り際に、私が一番好きな、全然メジャーじゃない曲を伝えた。同世代の友達には絶対に伝わらない話だ。運転手さんはもちろんすぐにピンときて、「昔演奏しましたよ」と口ずさんでくれた。大興奮の私。そして、今度コピーするという曲もいくつか教えてくれた。さすが名曲揃いだった。ビートルズは全部名曲なんだけれど。

後ろ髪をグイグイ引っ張られながらタクシーを降りた。こんなにたくさん話して盛り上がったのに、友達のように「また今度」とは言えないことに驚いてしまった。私がタクシー会社に名前を問い合わせない限り、もう二度と会えない。巨大な喪失感だった。たった1時間しか話していないのに。

だけど、だからこそあまりに特別な夜だった。あれから忘れるどころか、日が経つほど特別な記憶になっていく。人生のうちでたった1時間しか会わなかったけれど、永遠に近い時間になったし、ここにこうして書き残したからもう本当に永遠だ。

私がビートルズにハマったのはつい1ヶ月前のことだ。それよりも前にタクシーに乗っていたら、こんなふうに全く違う世代同士で同じ曲を歌って盛り上がれることもなかった。そしてそもそも、終電を逃していなければこんな機会もなかった。

いくつもの偶然とともに、それでも、半分は自分で望んで作れたことも大きな喜びだった。移動費7000円は高いけれど、人生の話を聞く代なら。そう思って行動したら、期待以上のお釣りが来た。

運転手さんをただ「タクシーの運転手」としか思わなければ、こんなに特別になることもないだろう。きっとスーパーの店員さんや、電車で隣に座った人もそうだ(私は電車で隣の人が寝ているシチュエーションがすごく好きだったりする)。私は、そういった何でもないところに1人分の人生があると実感できるのが嬉しいのだ。私だって、そういう何でもない1人だから。

有名人だって同じことだ。ジョン・レノンをただジョン・レノンと、カート・コバーンをただカート・コバーンとしか(あるいは「すごい人」としか)思わずにいることだってできただろう。だけれど私は、彼らの七転八倒の人生を知って、まだまだ味方がいるように思えたのだ。

カスハラやら、搾り取るような増税やら、戦争やら、みんな人を人と思っていないからそんなことがやれるんだと思う。目の前の人にも、どこか遠くの人にも、人1人分の人生がある。そう実感できたら何か感じ方考え方が変わるんじゃないだろうか。そう思うのは綺麗事だろうか。

とにかく私は人の人生を聞くのが好きだ。その人がそうやって生きているように、私もこうやって生きているのだと実感できるから。

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