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エッ

谷 (1996) は「基本的信頼感尺度」を作成しています。

1.失敗しても自分を隠さない
2.自信がなくなることはない
3.見捨てられたかもとは思わない
4.人生に対して不安はない
5.すぐに立ち直ることができる
6.自分を十分に信頼している
7.困った時には援助が期待できる
8.人は関わり合いで生きている
9.人間は信頼できるものである
10.周囲の人々に支えられている
11.頼りにできる人が多い

皆さんは上記にどれぐらい当てはまるでしょうか。

https://www.direct-commu.com/chie/mental/basic-trust1/


エッッッッ
味方なんてもともといないのが普通なんじゃないんですか⁉️


基本的信頼感(sensesofsbasicstrust)は、アメリカの心理学者であるエリクソン (Erikson, E.H.) のライフサイクル論の中で提唱された概念です。エリクソン(1959)は、基本的信頼感を以下のように定義しています。

「社会や他者に対する筋の通った信頼 、 自己の存在を肯定的に捉えられる感覚」

同上

自己の存在を肯定的に捉えられている若者が現代社会に一体どれだけいるのか…

皆さんは、人間は信じられる、根っこの所では善人だ、困った時は誰かが助けてくれる、という感覚はありますでしょうか。もしある場合は、他者に対する基本的信頼感がしっかり育っていると言えるかもしれません。

同上

変な話、私は人間みんないい人だと思ってるし、仮につらく当たられても何か事情があったんだろうと思うくらいには人を信用しているが、
「困った時は誰かが助けてくれる」とだけは絶対に思わない。(母に)お節介を焼かれたことは山ほどあるが、私が本当に今困っているなと思った時に誰かから助けられた経験は一切ない。
っていうか助けるってどうやるんだ。具体的な方法がないんなら助けるも何もできなくないか。

自慢じゃないがコロナ禍の時は、コロナに罹って家から出られなくなった友達(現在はいろいろあり絶縁済み)に自腹で食料を送ってやったような私が…その4分の1でも助けをくれる人が思い当たらない…そもそも私はコロナに罹らない…

私にとって「私は一人で生きているわけではない」というのは、「私は自力で自然界から食料を調達できない」というのと同義で、べつにコミュニケーションの中では生きていない。私が書くほとんどの文章は、向こうからやってくる面倒な誤解を避けるために説明しておくものだ(あとの文章は誰にも読めなくていいので自分で読むためだけに書いている)。

最初のチェック項目でしっかりとマルがつくのは、「失敗しても自分を隠さない」(隠すとあとあと面倒が大きくなることがわかったため)、「すぐに立ち直ることができる」(いつまでも落ち込んでいると体力を無駄に消耗するため)くらいだ。
7、8、10、11は特に全否定したい。人が関わり合いで生きてるわけないでしょ!?www

平均的人類、どんな世界で生きているんだろうか。そもそも"Twitterにいる人"という時点でけっこう平均値が変わってきそうだけど。



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