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伝わらなくても、受け取れなくても


FOLLOW in 東京ドーム。参戦は1日目だけだったけれど、2日目にもたっくさんのCARATさんに会えたので、気持ち的には2日間…いや、前夜祭もしたから3日間たっぷり参戦した気分だ。

会ってくださったCARATのみなさん、本当にありがとうございました。
お手紙も読みました。
みんな、私が思っている以上に私のことを見ていてくれてるんだなって、頭ではわかっても実感が湧かないです。
ただただ、ありがたいなぁ…と。

2日目のSHAKE SHACK前、本当に楽しかった。警備員さんには相当煽られたけど(笑)
最初は5、6人だったのが、だんだん10人以上集まってきて、繋がってる人も繋がってない人も輪になってわいわい喋って。
しばらく黙ってても、それでポツンとすることなくまた自然に輪の中に入ることができて。
こんなに"居場所"を感じたこと、今までの人生でなかった。


10代まで、本当に友達がいなかった。
小学生の頃は、傍から見たらいじめられてるとか利用されてるような関係でしか、友達についていけなかった。
中学・高校は高3以外ずっとほとんどメンツが変わらないクラスで、ずっと一人で息苦しかった。さすがに一人で生きていけないからなんとなくグループには入れてもらったけど、所属してる感が全然なかった。放課後はいつも他のクラスの子と過ごしていた。
中学の卒業アルバムのグループ撮影の時、申し訳なくてどこにも入れてと言えなかった。あとで先生に呼ばれて一人で撮って合成されて、もっと申し訳なくて消えたかった。
大学は一番楽しくて友達もたくさんできた。でも、どこかで「自分の実力を認めさせなければここにいられない」という焦りがあって、いつも偉そうな態度を取っていた。

SHAKE SHACK前では、FF外でその日初めて会った人もいるのに、まるでずっと前からみんな友達だったみたいに感じた。
誰も私を、邪魔者扱いも、特別扱いも、腫れ物扱いもしなかった。
なんでそんなことができるんだろう。
みんなと対等な1ピースとして自分がここにいられているのが不思議で、だけどそれができている事実には疑いを持たなかった。
「所属している」。生まれて初めての感覚だった。


FOLLOW初日、私は「掛け声でみんなを引っ張る」役割を自分に課していた。
LOVEで、ずっとコンプレックスだった自分の声の大きさで、初めて純粋に大好きな人たち——CARATの役に立てて、必要とされること、感謝されることが心底嬉しかった。
だから今回も頑張ろうと思ったし、でも同時に、LOVEから一気に曲数が増えて、覚えきれていない曲がいくつもあったから気が気ではなかった。

最後の掛け声ありの曲・Sara Saraまで(HITはなくなるだろうなと勘づいていたので)(追記:コルコルも掛け声あるわ!でもあれは脳死のノリなので)、一瞬たりとも気が抜けなかった。
ボロボロな曲もあって、心底不甲斐なかった。
会場中から降ってくる声に励まされて、頼り切っていた。

ずっと気を張り詰めていたので、申し訳ないことに、MCでもほとんど笑えなかったしパフォーマンスにも集中できなかった(アリーナで埋もれてしまってステージがほとんど見えなかったのもある)。
怖い顔して腕組んでて、雰囲気ぶち壊しで申し訳なかった。でもそれくらい、私には声が全てだった。
私が楽しまなくても、私の声でSEVENTEENやCARATが喜んでくれれば何でもいい。そう思って力の限り声を出した。


埋もれとはいえ、距離は近かったので、着てきたKENZOのTシャツをバーノンに見せたかった。
あなたの宣伝で買ったよ、と伝わったら、バーノンは喜んでくれるんじゃないか。そう思っていた。

結局、見せることは叶わなかった。確かに、アリーナで埋もれていたら服装なんて見えるはずがない。

その一方で、バーノンは私を見つけてくれた。近いステージ上からじゃなく、後ろのほうを通る遠いトロッコから。
Run to youの時に、BE THE SUN名古屋2日目(noteはこちら)で個人的に伝説の「天井席確定ファンサ」を成功させたうちわの片方「 버 」を持っていたら、2番のバーノンパートで運良く視界が開けて、「二人を結ぶラインに沿って」という歌詞に合わせて指をさしてくれた。
パートの中で歌詞に合わせてファンサされるのは、ジャニヲタ時代からロマンチックだなと憧れていたので、バーノンに夢を叶えてもらってしまって舞い上がった。
これはどっちが狙ったとかじゃなく、完全に運が味方した。

連番のギュペンをバシバシ叩きながら報告して、浮かれ気分で方向転換したトロッコを目で追った。やっぱり埋もれは埋もれで、バーノンの姿は隙間から少しずつ見えるだけだった。
だけど、トロッコが列の真横に来た時、不意にバーノンが列を覗き込むようにしてもう一回私を見てくれた。そして手を振ってくれた。
私は咄嗟に「 버 」の裏面の「VERNON」のほう、BE THE SUN名古屋1日目に見つけてもらってWeverseのアイコンにもしている面を見せた。
その文字が見えたかどうかわからない。ファンレターの封筒、誕生日メッセージ、Weverseのファンレターのデザインも同じカラーリングとフォントにしているけれど、バーノンがそれを覚えているかどうかもわからない。それに、KENZOもたぶん見えていない。
私の思いは一つも伝わっていないかもしれないのに、バーノンから一方的にもらったものが多すぎた。


それから24時間は、パート内で指をさされたことに浮き足立っていた。収録カメラも入っていたし、もし円盤化するなら私をさした瞬間が映像に残る! 早くその映像を切り取って誰かに自慢したかった。

だけど、24時間以上経ってから、「もう一回」しかも「バーノンから」探してくれたことの特別さに、はたと気がついた。
だって、私はバーノンをずっと見ているけれど、バーノンには他に見るべき人がたくさんいる。一回私を指さしたんだから、私はそれで終わりで他の人に行ってもいいはずだった。というか私はそう思って油断していた。だから手を振られた時、めちゃくちゃ慌てた。

なんでもう一回見つけようとしてくれたのかわからない。
一人一人へのリアクションにすごく時間をかける人だから、歌いながらの指さしはバーノンにとっては不十分だったのかな。
私も「一瞬だったな」とは思ったし、センステから近い席だったから本当はKENZOTシャツかボードを見せて、リアクションをもらいたかった。バーノンを笑わせたかった。だから、満足したかと言われたら嘘になる。

だけど、私が予想外の指さしに舞い上がってギュペンに報告している間に、バーノンは他の客席を見ながら、頭のどこかで「あの人をもう一回見よう」と確かに思ってくれていた。
そこにどんな理由があったのか、私はこれからも知ることができない。
でも、私が目の前にいない間に、私がバーノンの頭の中にいたのは事実なのだ。

そのことに1日以上経ってから気がついた時、ものすごく嬉しかったのと同時に、その場ですぐそのありがたみに気づけなかったことをたまらなく申し訳なく思った。

私がバーノンに伝えようと思ったことは伝わっていないけれど、バーノンが私のためを思ったことだって、私は十分に受け取れていない。
今まで気がつかなかった自分の傲慢さに直面した。


私は、役に立たないと他人に受け入れてもらえないと思い続けてきた。
バーノンを喜ばせなければ。大声で掛け声をしなければ。目の前の相手に喜んでもらえる言葉をかけなければ。相手の話を興味を持って聞かなければ。相手の知らなかったことを教えなければ。
班長や委員長になったり、行事のしおりのイラストを描いたり、先に家庭科室に行って全員分の椅子を用意したり。勉強のできない人にわかりやすく教えたり、誰も真面目にやらない掃除を一人で終わらせたり。

嫌だと思ったことはなかった。そうすることでしか他人にとっての存在意義を見出せなかったから。
「お互いに役に立つことをしていないのに、どうしてこの人たちは友達なんだろう」
中学生の頃、本気でそんな疑問を抱いていた。

オタクの友達はクラスメイトよりも気兼ねがなかった。だって、「好きなアイドルの話ができる」ことはお互いに役に立つから。
だからアイドル以外の趣味や人生の話まで合わない限りは、どちらかが別の界隈に行けば関係はそこまでだった。
「自分が寂しくならないために、友達を利用している」という自覚がずっと明確にあった。
申し訳ないと思いながら、どうしたらいいのかわからなかった。
それ以外の関係の築き方を知らないから。

それなのに、CARATは見ず知らずの私にも当たり前みたいに笑顔を向けてくれて、話しかけてくれる。
私はなんにもあなたのためになることをしていないのに。
あなたの目に私がどんなふうに映っているのかわからない。
なんでそうしてくれるのか、私にはちっともわからない。


ソンムルでもらった手紙を読んで、一人一人の中に私がいることにびっくりした。
あなたの目に映る私はどんな姿なんだろう。どれくらいあなたに影響を与えていて、どれくらいの大きさを占めているんだろう。
わからないから、ありがたいと同時に不安にもなる。

こんな私と友達でいてくれて、ツイートやnoteを読んでくれて、SEVENTEEN以外の話までしてくれて、いつもありがたさと申し訳なさでいっぱいだ。
私は何者でもなくて、人に見てもらうために何者かになろうと必死で、今だって私が「CARATだから」「バーノンペンだから」みんな興味を持ってくれているんじゃないかと思っている節が大いにある。

だけどそれだけではないのかも。
感覚ではやっぱりよくわからないけど、頭でそう思えてきたのが、SHAKE SHACKで過ごした時間だった。


BE THE SUNの時は、久しぶりの日本の有観客ライブ(ペンミ除く)で、バーノンはあんなにファンに会いたがっていたから、絶対にその思いに応えなきゃと思って天井席でも見えるうちわを作って行った。
そこには、言葉を選ばずに言えば「日本のバーノンペンは少ないから、私一人の存在もバーノンにとっては大きいものになるはず」という思いもあった。
だからLOVEの時、名古屋とは比べ物にならないくらいの人数の東京のバーノンペンを見て、「私は必要ないかも」と思った。
掛け声では役に立てて、CARATとしての存在意義は守れたけど、トロッコで近くに来たバーノンの名前は一回も呼べなかった。

FOLLOWはまたバーノンペンが増えていた。倍以上になっていた気がする。BE THE SUNの時よりもずっと、バーノンはファンサに忙しそうで幸せそうだった。
そんな中なのに、バーノンは願ってもないことを私にしてくれた。私はあなたに何も伝えられなかったのに。そしてあなたの思いを十分に受け取ることすらできないのに。

他人を喜ばせる前に、私は他人を喜べていないじゃないか。


note「あなたを好きなのは」より


私はバーノンの思いを全部知ることはできないし、周りの友達の思いも全部知ることはできない。
自分だけが「わかってもらえない」と思っていたけれど、私だって誰のこともわかっていないことに気づかされた。
きっと私が取りこぼした誰かの優しさ、誰かの熱、誰かの切実さがこの世にはゴロゴロ転がっている。
私たちは全員、永遠に両片思いだ。

トロッコが移動する十数秒間、私のいないところであなたが何を考えていたのか、私は知ることができない。
だけど、それを言葉にしてもらわなくても、
今、私の知らないところで、
私がなんにもしていないところで、
誰かが私のことを考えてくれているということ、
だから私はひとりじゃないということ、
今はまだ慣れなくても、
少しずつ、わかっていきたいと思う。



みんな、私と友達になってくれてありがとう。
こんな私だけど、どうか末永くよろしくお願いします。


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