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I Miss You

言葉が意図した通り伝わる保証はない。
しかし、言葉にしなければ何も伝わらない。


星ひとみさんの天星術で、私は朝日、バーノンさんは満月、朝日側から見た相性は5点中3点だった。
(満月視点だとなぜか2点になるらしい。寂しい。)

「相手が寂しさを感じてしまう相性。はぐらかしたりせず、伝えるべきことはストレートに言葉にしたほうが、うまくいきます。」

ココロニプロロ


私はWeverseの新機能でファンレターを書こうと思った。

ちょうどよく、FOLLOWソウルコンの直前に、(sic)boyさんとバーノンさんのコラボ楽曲が配信開始された。

この魂が抜けた街を歩き過ぎる
僕は目を閉じたまま
僕はずっとひとりだった
もう 僕 目が覚めた時
ひとりでいるほうがいいって知ってる
だけどいまだに誰かを探している
僕の世界をもう少し色鮮やかにするために
だって僕はひとりでいるのが得意じゃない
だけど僕は同情するのが得意じゃない
ひとりで部屋で横になって手を伸ばしてみるけど
手に取れるものはなんだか
ねえあなたはどこに アナタハドコニ
僕はまだその時 その道の上に
まだこの魂が抜けた街を歩き過ぎている
またあなたを探して彷徨う

(sic)boy - Miss You (feat. VERNON)
バーノンパートのみ 拙訳


胸が締めつけられる。
(sic)boyさんに影響を受けて書いている面も大きいのはわかっている。
だけど「Me and you」「君と二人」と歌う(sic)boyさんに対して、バーノンさんはずっとひとりだ。
「誰か」はまだ見つかっていないらしい。

ここにあなたの実感が含まれているなら、私はファンとして無力に感じる。
ファンレターにはそう書いた。
全文は割愛するが、最も重要なのはここだった。
「あなたは本当の感情を知られることが一番の恐怖だと言うけれど、私はあなたのポジティブな感情だけでなく、ネガティブな感情も知りたい。
誰も利用なんかしないよ。
どうか、CARATを信じてください。」

これはBlack Eyeへのアンサーでもあった。
「どうして僕に近寄ってくるんだ」
「君の輝きを僕のために無駄にするな」
あなたを好きだと言う人たちに対して本当に少しでもこういう思いがあるのなら……こういう不安があるのなら、私は苦しくて悲しくて悔しい。
そう受け取られないように、友達がモデルだと言い切ったのだろうけれど。

Black Eyeが出てから半年強の間、私はバーノンさんを全然信用できなかった。
何を言っていても「どうせ」や「はいはい」がついて回った。
CARATにバーノンさんの話をすればだいたい悪口ばかりがこぼれ出た。

私はバーノンペンとして「愛する」よりも「信じる」に重きを置いていたはずだった。
このままではダメだとわかっていた。
でもどっちへ向かえば出られるのかわからなかった。
こんなにしんどい思いをして周りにも迷惑をかけるなら、降りたほうがましとまで思った。
まっすぐにCARATへの愛を歌うメンバーや、「これは僕が伝えたかったメッセージだ」とはっきり言うメンバーが心底羨ましくて、何なら心の支えだった。

Miss Youが出て、やっと前に進むきっかけを掴めた。


配信開始の翌日、ソウルコンの前日にファンレターを送った。
どうやって届くのかわからない。アイドル側から見たらちゃんと個人宛になっているんだろうか。ファン側と同じような画面だったら、絶対すぐに流れてしまって見つからないよな。そもそもあの人がまめにWeverseを見ている保証もない。


初日公演の直前、バーノンさんはWeverseに「ふは 震えるう」と投稿した。
開演前に投稿があること自体珍しいなと思った。
すぐさまリプ欄に、暑い中来てくれるCARATへの労いの言葉を繋げていた。

FOLLOWのバーノンさんは本当に楽しそうだった。
相変わらず友達みたいなファンサをしていた。
2日目の終演後、またWeverseの投稿があった。
普段よりも丁寧な言葉で感謝と愛を伝える中に、また「皆さんの前に立つたびに毎回物足りなさが残る部分がありますが」と、ネガティブな一文があった。

綺麗なことばかりの言葉よりも、
緊張とか、後悔とか、
そういう言葉はよっぽど実感をともなって伝わるのだと感じる。
だって、人はお世辞でネガティブなことは言わないから。

読んでくれたのかどうかはわからない。
仮に読んでいたとて、それで自担の何かが変わったとか、影響を及ぼせたと、確証もないのに勝手に思い込むのは傲慢だろう。
ただ単純に、バーノンさんの実感のこもった言葉を受け取れたのが嬉しかった。
フィクションかもしれない歌詞じゃなくて、正直に、自分自身の言葉として書いてくれたのが嬉しかった。
久しぶりにバーノンさんの言葉を信じることができた気がした。


思い通りになってくれて満足か?と囁く声がある。
あんなことを言って、気を遣わせたんじゃないのか?と責める声もある。
私はまだバーノンペンでいることが怖い。
私は今この瞬間もバーノンさんを傷つけるようなファンかもしれない。
私はもうとっくにバーノンさん本人を好きじゃなくて、勝手に都合のいい幻想を見ているのかもしれない。

だけどこれだけは自信を持って言える。
自分が作って世に出したものの感想が返ってくるのは、嬉しいでしょう。
本当に読んでもらえたかはわからないけど、仮に読んでくれたなら、その点だけは絶対にバーノンさんにいいことをしたと思う。


終演後の深夜に、こんな言葉が思い浮かんだ。

「大丈夫じゃなくても大丈夫」

バーノンさんはできれば寂しくなくあってほしい。
だけど、全然寂しくないバーノンさんだったら、私は好きになっていないと思う。
幸せで楽しくて恵まれていても、同時にどこかにぽっかりと穴が空いていたり、不安に震えたりするのが人間だ。
人は大丈夫じゃなくて当然だ。大丈夫じゃないことは、全然恥ずかしいことじゃない。

それは誰よりも私自身に必要な言葉だった。
肩の力がふっと楽になった気がした。


私はバーノンさんを勝手に解釈して、勝手に自分と重ね合わせたりなんなりして救われていくことしかできない。
ファンなんて全部自己満だ。
だけどあなたをきっかけに私が楽になったり成長できたりしたら、たとえそれが勝手な像でも、あなたは喜んでくれないかな。

届かないってもどかしい。
早く東京ドームで会いたい。
たっくさんのCARATのうちの1人、たっくさんのバーノンペンのうちの1人では、あなたの孤独は埋められないだろうか。



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