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『Open Heaven's Door』試し読み 「孤独」

2024年2月18日発売の拙著『Open Heaven's Door』より、無料試し読みとして「孤独」を公開します。



孤独

 孤独は一人きりの体験で、誰とも共有ができない。

 君が孤独の歌を書いて歌った時、私はあまりのわからなさに面食らった。世の中のたいていの孤独がそうであるように、君の孤独は普段の君の顔には表れていない。寂しいと口に出すことができる人は孤独ではないと思う。そういう人は、寂しいと言えばその声を誰かが聞きつけて駆け寄ってきてくれる。君は決して口に出さない。ただ黙って微笑んでいる。君は歌う。あるいは聴く。それから観る。そういうところでしか、君の孤独は目に見える形になってくれない。

 君の孤独は君の孤独であり、私の孤独は私の孤独だ。重なったり、混じり合ったりすることは決してない。しかし私は君の歌を聴き、君の聴いた音楽を聴き、君の観た映画を観、読み方によってはどのようにも受け取れる君の言葉を読み、どのようにも解釈できる君の表情を見て、君の孤独を、その身体感覚を私の身体で体験してみようとする。君の居る淵まで命綱を垂らして降りていく。太陽に照らされた君の顔が全てだと思っている人々とは、その点で私は違うのだと思う。確かに君の明るい優しさをただ享受して喜ぶ選択だってできただろう。実際私は私を取り巻くほとんどの人に対してそういうふうに接している。でも君にはそうしたくなかったしそうできなかった。一つには君が歌うから。面と向かって言葉にできず、メロディーに乗せることしかできないからこそ、よりいっそう、君の孤独は確かに孤独だ。そしてもう一つ、君の孤独の淵に降りていくことは、私自身に降りていくことでもあるからだ。

 君のいる洞穴には地図がない。変な動物もいっぱいいる。君は虫が嫌いだから、虫はいないかもしれない。ぬかるみ、曲がりくねり、崩落しそうだったり、昔買ったCDが散乱していたりする。私は君の気配を感じるが、君のいる部屋の中に辿り着くことはできない。すっかり太陽の光が届かないところまで来た。届きっぱなしで箱に仕舞われたままうず高く積まれているスニーカーの山を見て、私は私の部屋に溜まったまま束ねるタイミングを見失った空き段ボールを思い出す。太陽の光が届かない、小蝿が飛んでいる、本が雪崩れて埃を被った私の部屋に、私は友人を誰一人呼ぶことができないけれど、君なら呼んでもいいかもなと思う。本当に来るならもちろんぴかぴかに掃除するけれど。でも君なら、私の部屋がなぜこうなのかをわかってくれると思うのだ。

 君の洞穴への道は難しいけれど、相対的に見ればきっと私と似たカテゴリにある。きっとこんなところに君の穴があることすら知らない人がたくさんいる。そういう人たちは、私には想像もつかない方角にある想像もつかない形の穴に住んでいて、またそれに似た誰かの穴にどんどん入ってゆけるのだと思う。それがきっと多様性というやつだ。一つとして同じ穴はないけれど、似た穴同士ならちょっと想像力をはたらかせて、恐る恐る入っていくことができる。もしかしたらこの穴の主も私の穴を地図なしで探検できるのかもしれないと、淡い期待を抱きながら。

 君のいる部屋の扉は固く閉ざされている。私はあえてそれを叩くことはしない。いつか、永遠に近い時間が過ぎた頃、君が内側からその扉を叩く。こんこん、そこに誰かいませんか。私は返事をする。はあい。君が恐る恐る扉を開ける。そこには、私の部屋へ続く曲がりくねった洞穴が口を開けている。君は懐中電灯を手に、命綱を体に巻いてゆっくりと降りていく。

 そんな日を夢想する。もちろん都合のいい妄想に過ぎない。それを実現しようと思ったら、君はいったい何万人の洞穴に降りてゆかなければならないだろうか。それと同じくらい、君を訪ねる人も多いだろう。しかし他の人がどんなふうに訪ねているのか私は知らない。太陽の下ではとてもじゃないがそんな話をする雰囲気ではない。私は洞穴で誰とも出会わなかった。私の道は間違えているかもしれない。君の身近な人なら、もう別のルートを通って君の部屋に辿り着いているかもしれない。もしかしたら君はもう扉を開けているかもしれない。しかしそれでも、君はまだあの部屋にいる。あの扉の向こうで、一人でうずくまって何かを待っている。孤独とはそういうものだからだ。誰がどんな道を通ったとしても、私の道には私しかいなかった。私は私の前に現れた道を通ってここまで来た。私の孤独もまた、そういうものだ。

 私は君の扉の前に座る。君の恐れの扉が、私がここにいることで、天国への扉に変わればいい。そんな自意識過剰なことを考える。君にとって私は気持ちが悪いかもしれない。精神的ストーカーかもしれない。だから私は自分で扉を叩かない。もしかしたら、君はちょっと扉を開けてみて私を盗み見て、なんだ、こんなやつしかいないのかと落胆するかもしれない。私はどうなってもいいと思っている。だって君はこんなやつにも聞こえるように歌を書いて歌った。君の歌は君の落胆を飛び越えて、扉をすり抜け、あらゆる洞穴に届き、ぐちゃぐちゃに散らかった私の部屋を満たした。私の部屋に飾られた君の写真。君はもう私の扉の内側にいる。そんなつもりはなくとも、君の孤独はあらゆる穴を瞬時に攻略し、そこには確かに私も含まれている。君と似た深さの穴、君と似た暗さの部屋。君の想像力は私に至るだろうと、私は君を信じた。君は自分にはそんな力がないと思ってやっぱりまだうずくまっているのかもしれない。だから孤独は孤独だ。私は、孤独は孤独でいいと思う。君の孤独はロンリネスではなくソリチュードだそうだ。私は君の扉の前に腰を下ろす。開かなくてもいいと思っている。ただ君の扉の前に私がいるということが、私の信じる希望だ。




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