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タロットカード占いのyoutube配信をたまたま観たのですこし考えた。どうやら、タロットカード占いは偶然選ばれたキーワードによってアドバイスの方向を決定することで、説得力を増しているようにみえる。それ自体は占いが当たる、当たらないという問題はまったく関係ない。

見ず知らずのひと、あるいは友人からアドバイスが欲しいときがある。しかし、ひとはいつも合理的なアドバイスを求めているのだろうか。あるいは理屈だけでは解決できない悩みを持っているひとに対してはどのようにアドバイスすればよいのか。

そういうとき「世界(ザ・ワールド)」のカードが正位置で出れば、それに従ってアドバイスができる。「世界(ザ・ワールド)」が正位置で出たときの意味は、成就、完成、完全、総合、完遂、完璧、攻略、優勝、パーフェクト、コングラッチュレーションズ、グッドエンディング、完全制覇、完全攻略、正確無比、永遠不滅(Wikipedia調べ)。

「世界」はたまたまドローされたカードなので、それを引いたことに理由はない。しかし、「成就、完成、完全……以下同文」から得られたキーワードをもとに、悩みを受け止めるための方向性を無理やり定めてしまうことは、ときに有益なことかもしれない。

それは一見とても暴力的な決定にみえるし、そして実際その通りだと思う。しかし、悩みというのは、合理的なアドバイスのみでは解決できないこともある。そのとき、他人の理屈を使ってうまく解決することもあるだろう。しかし、それでも解決できないときには偶然に頼るしかない。

わたしも合理的に考えれば、海外留学を決断することができなかっただろう。留学には、当たり前だが良い面も悪い面もある。選択を間違えると、これからの人生に大きな影響を与えるだろう。果たしてどちらが良いのか、自分のなかの理屈だけではどうやっても解決できない。そういうときは、もはや偶然や直観に頼って決断するのも良いのではないか。いや、偶然や直観に頼るほかに方法があるだろうか。

あえて偶然が発生する状況に身を置く、という手法もあるかもしれない。フラグを立てるための行為、とでもいうのだろうか。例えば、何となく研究室にメールを送ってみる、何となく転職セミナーに出てみる。たまたま魅力的な研究室や企業をみつけたので、話してみると気が合った。よい偶然にぶつかったとき、ひとはようやく決断することができる。

もちろん何も起こらない場合もある。せっかく合理を超えた決断をするなら、よい偶然があったときしか割に合わない。要するに大きな決断は、合理だけでは難しいときがある。そして偶然とは、理由のないきっかけをわれわれに与えてくれるための装置でもある。

だからこそ、タロットカード占いは偶然を通じて説得力を増す。偶然にドローされたカードによって、アドバイスの方向が決定される。理屈では解決できなかった悩みは、突然、偶然という暴力に晒される。そのカードにはまるで合理を超えた力が宿っているように感じる。だからこそ、ぼんやりした人生相談よりも説得力が増す。

タロットカード占いの偶然性は、たまたま魅力的な研究室や企業をみつけたときの偶然性よりもはるかにランダムにみえる。しかしそのランダムなキーワードをベースにして合理的なアドバイスが為されるときに限っては、偶然性はある程度中和され、それなりに真っ当な人生相談になる。もちろんこれはアドバイスに限ったことで、将来の予言をしたときにはまったく当てはまらない。

これがタロットカード占いについての考察。まだまだ胡散臭い、というひとも多いだろうか。しかし、そもそもわたしたちが悩みを相談したいとき、果たして合理的なアドバイスが欲しいのだろうか。無数の選択肢がせめぎあい、どれが最適かを自分で決定できないとき、本当に他人の合理的なアドバイスが参考になるのか。

例えば、相談者自身が集められる情報が不足していて、アドバイスがそれを与えてくれる場合。あるいは、感情などで思考が凝り固まってしまい合理的な判断が難しくなっている場合。そのときは、他人でも合理的なアドバイスによって悩みを解決できることがあるかもしれない。

しかし、ときには理屈では決められない悩みもある。例えば、夢を諦めるか否か。そもそもこのような悩みに、他人ができる合理的なアドバイスがあるだろうか。

決断のきっかけは何によって与えられるのか。特にアドバイスをする気のない冗談、自分の経験のみをベースにした強い言い切り、他人事であるゆえの楽観的な助言……。まったく合理的とは思えないアドバイスがときに金言のように聞こえるのはなぜだろうか。

合理を超えた言葉の偶然が、直観に訴えかけて決断を促すことがある。それはもはやアドバイスする人間の意図を超えてこちらに働きかける。

普段、わたしたちはどれだけ合理的に決断しているのだろうか。締め切りがあると文章が完成するのは、合理的には解決できない助詞や読点の選択を直観によって決めざるを得なくなるからではないか。お店で食べ物を決めることができるのは、店員が来たので直観で決めるしかないからではないか。

無数の選択肢からなにか選びとるために、偶然や直観に頼ることがあるということだ。夢を諦めるかどうかという悩みも、考慮すべきパラメータが多くて、将来の予測が成り立たない。結果的に合理性を超えた決断に頼らざるを得ない。

そのような決断の特徴を、タロットカード占いから派生して想像した。タロットカード占いは、偶然で選ばれたキーワードによってアドバイスの方向を決定する。偶然と合理性の関係についてよく考えてみれば、別の面白いこともあるだろう。


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