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変容するということ

生まれ育った東京を出たとき、わたしは30歳を過ぎたばかりで、まあ話すと長いのだけどいろんな理由があって一時的に東京にいられなくなったみたいな感じで失意の中にあったし、今から思えばちょっと途方に暮れてもいた。大人になってからの友達は多いほうだったから、最初の移住先だった京都にも頼れる人はいた。わたしはそういうツテを辿って物件を決め仕事を決め、嵐山にある2DKの部屋を一人で借りて住んだ。引っ越してからの仕事は順調で、同僚はめちゃくちゃ性格がよくてノリも合った。女性ばかりの職場で夜勤帯の勤務をしていると、異性トラブルともほぼ無縁で、わたしの生活は大いに安定した。それに何より、東京のスピード感と生まれた土地の煩わしさから距離を置いた生活は自由で、楽で、快適だった。

東京ではかつての友達が日々頑張っていた。わたしもその様子をSNSで眺めたりしていた。東京を出る前の数年間で起こった、ほぼありとあらゆることに疲れ切っていたわたしは、テレビを見るような気持ちで友達の近況報告を感慨深くスクロールした。有名なメディアに取り上げられました、会社を興しました、いい会社に転職しました、結婚しました。同年代は総じて本当に頑張っていて、わたしはなんだかひとりで勝手に遠いところに逃げてきちゃったけどみんなすごいなぁ、としみじみした。昼間の陽の射す嵐山の2DKの部屋で、ごろごろしながらそんな投稿を眺めていると、なんだかもう現世から3cmくらい浮いたところにいる老婆みたいな気持ちになってしまった。

あるとき、京都でちょっとした人間関係のトラブルが続いたことがあって、東京を出てから初めて友達にLINEで泣き言を言った。彼はわたしと同い年で、大人になるまでの人間関係がほぼ切れているわたしにとっては幼馴染のような、悪友のような、そういう存在の人だった。適度にわたしに関心がない人だったので、変に心配したりしないでうまく流してくれるだろう、そんな期待も少しあったと思う。500kmも離れたところにいる人に負担を強いるのは本意じゃない。そう考えていたわたしに届いたのは、予想外の返事だった。

「なんで東京にいた頃から付き合いのある人達のことでそこまで傷ついてるの?」
「住んでる場所が変わるってことは、環境が変わるってことなんだから。面白いと思うものだって、変わったっていいんだよ」

その返信を読んで、ものすごくびっくりすると同時にちょっとイラッとしてしまった。彼はその頃、会社を興して事業にすごく集中していた時期で、これはきっと彼自身が日々考えているようなことなんだろう、とわたしは感じた。それでも、前提をひっくり返すようなことを言わないでほしいし、相変わらず乱暴だな、とも思った。なんと返したかは覚えていない。けどその後しばらく、ずっとそうして言われたことの意味を考えていた。

近畿圏には彼とわたしの共通の友人が何人かいて、それぞれ彼の事業に好き勝手なことを言っていた。大人になってからの友達と言ったって、そういうところは大学サークルのようなものだと思う。目立った動きがあれば褒めそやしたり腐したり、人間なんて勝手なもので、論評だけはみんな一人前だった。そうしていくつかの意見に触れるうちに、あるとき突然、彼の言ったことの意味が分かった。

面白いと思うものだって変わったっていいんだよ。

面白いと思うものが変わるというのは、それまで大切だったものが大切じゃなくなる、ということと同義だ。わたしはずっと昔の子どもの頃に、事情があって地域の相談学級に通い半年でそこを離脱したことがあった。本来の在籍校に戻るというわたしのチャレンジを、相談学級の教職員を始めとした周りの大人は全力で心配し、人によっては止めようとした。関わりのあった同級生は、恨み言を言ったり引き止めにかかったり、あるいはおずおずと、ずっと友達でいようね、などと言ってきた。若いと言う以上に幼かったわたしは、それらすべてに心の底から辟易し、数日前まで仲良くしていた彼等の目を一切見なくなった。

そこまで過激じゃなかったとしても、「変わる」というのは本質的にはそういうことなのだと思う。わたしは変わったんじゃなくて、変化を保留にしただけだ、とそのときに薄く気づいた。でもいつかは変わらなくちゃいけない。変わらなくちゃいけない部分が自分にあると分かったから、東京を離れたのだ、と思った。

昨今言われがちな「人生を変えたいなら付き合う人間を変えろ」とかいう自己啓発セミナーみたいなフレーズは、わたしはとても野蛮だと思うし、原因と結果を混同しているとも思う。けど、何かに対して面白いと思う気持ち、愛着を持つ気持ちが変わってしまう可能性も含めて、わたしたちは少しずつ変容する。生きている限り、意図的であるとないとに関わらず、そういうふうにしてヒトは人生を更新していくのだと思う。

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