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Subjective distance

ゴールデンウィーク。2ヶ月ほど前から検討していたことをやってみることにした。Twitterのフォローをいったん全部外すことに決めたのだ
(びっくりされたかたはごめんなさい、9日から段階的に一部戻していこうと思ってます)。
理由はいくつかある。コロナウイルスの影響で社会がどんどん混乱していくなかで、リアルタイムで起こっていることに関するさまざまな感情の乗ったツイートを見るのが辛くなってしまったというのも大きいし、あるいは、わたしのTLにはジェンダーやセクシュアリティに関心の強い人がかなりの数いるのだけど、特に今年に入ってからの時事的なトピックのいくつかに対して、すごく過激で敵を作るような書きかたをする人や、もしかしたら本人も気付かないうちに「役割」としてこういう意見を書くようになってきているな、と思われる人が増えたように感じたのも大きい。

誤解を与えたくないのではっきり書いておくと、わたしは「怒るべき何事か」が起こったときに怒らないのは賢明さでも上品さでもなくて腰抜けだからだと思うタイプの人間だし、2009年からTwitterをやっているので、Twitterというプラットフォームが東日本大震災以降どういう社会的な機能を担ってきたか、その意義も含めてよく理解しているつもりだ。だからこれは書き込む側の問題じゃなくて、そうして書き込まれた内容とわたしの距離感の問題なのだ。率直に言ってしまえば、わたしは3月くらいからほとんど「みんなうるさいよ」としか感じられなくなっていた。年明けにテレビを買っていたので、コロナウイルスに関する最新の情報はなるべくテレビから摂取するようにした。Twitterでは海外の状況を知らせる情報を拾うようにして、国内状況に関する根拠のない(ように見える)陰謀論的な書き込みや、主観的観測と思われる書き込みは内容を問わず見ないようにした。自分には判断する能力がないと思ったからだ。

4月に入って緊急事態宣言が発令され、お勤めも基本リモートになって、いよいよ人に会いづらくなった。そうしてTwitterを開くと、お友達がどんなふうに暮らしているかが垣間見えたりして、そういうときは少し安心した。コロナ禍で社会がどうなっていくかを語っているご意見番的なアカウントのフォローを外していくのと、実際に会ったことがあって好ましく思っている人達の、自炊写真や生活上のエピソードに癒されることが同時に進んでいった。あらゆる人と物理的な距離ができたことで、SNS上での心理的な距離の違いが初めてビビッドになった。

未曾有の状況で考えたことを書き残しておきたかったのと、プライベートな気分の高まりもあって、やがてInstagramで鍵付きの日記を書きはじめた。書いた内容をスクリーンショットにしてupする方法は、物書きをしている盟友の佐々木ののかに影響されたのだと思う。彼女を含めたごく少数の、弱みを見せられるお友達と、わたしの文章を好きだと思ってくれていそうな人に日記をはじめたことを伝えて、読んでもらう生活が始まった。誰だって本当は、自分の柔らかい部分に触れられるのは怖い。Insta日記は他のどのSNS、プラットフォームで書いている文章とも違うトーンのものになった。毎日のなかで感じたことの純度が今の感じで表現できる範囲でだけ公開して、書き続けようと考えた。そうしてTwitterではもう、自分の悲しみや感情を晒すのは極力控えようと思った。

そうして、乳化されていた液体が油と水に分離するように、わたしのなかでオフィシャルな文体とプライベートな文体のイメージが分かれていった。そのふたつが混沌としているところがTwitterの面白さだと思っていたし、そこから社会的な運動が生まれたりするのも(2013年頃は、仕事でもプライベートでもそういう状況が極めて見えやすいところに立っていたから、余計に)たくさん見てきたけど、いろんな経験を経て、その面白さはTwitterを始めた頃に考えていたほど、希望だけに満ちたものではないと思っている。イベントに来てくれた人とはむしろFacebookでつながりたいし(告知がしやすいのもあるけど、やっぱりFacebookのほうがインタラクティブなコミュニケーションを前提とした設計がされてると思う)、いろんな依頼をカジュアルにDMでしちゃうのも本当はそろそろ卒業したい。DM、たまに消えたりするし。添付ファイル送れないし。
Twitterはやっぱりリニアで一方向のコミュニケーションに向いたツールだと思うから、わたしの発信することに関心を持ってくれる人がフォローしてくれたらよくて、この機会にあらためてそこを(そこも)きちんと目指していこうと思いました。ゴールデンウィークでいつもより少しだけ時間ができて考えたのは、各種専門家も著書はおしなべてTwitterの20倍くらい面白いなっていうことで、まあわたしはプロじゃないからSNSも使って発信をしていかなきゃいけないんだけど、そういうことの正しい距離感や遠近感が、ここへ来て初めて実感できるようになった気がしている。

インターネット、特にSNSだと距離感がバグるなどと言うけれど、こんな時代だからこそ、周りの情報や発信者と自分の距離を、主体的主観的に画定していかなきゃいけないんだと思う。「こんな時代だからこそ」とか書いちゃうのはひと昔前のJ-POPの歌詞みたいでかなり恥ずかしいんだけど、とにかく最近はそんなことを考えています。

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