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大宅賞のリニューアルに際してプライズの社会的機能を考える

第1回「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」(長い)、受賞作が決定しましたね。

長い名前をあえて全部書いたことには理由があって、第47回まで続いたいわゆる「大宅賞」こと「大宅壮一ノンフィクション賞」と今回の賞は、実際は別物なんだろうなと思っているのです。読者賞の受賞者とは個人的に友人だということもあって、ノミネート時点からなんとなく気に掛かってはいたのですが、どうもいまひとつ「リニューアル」の意図がわからないなと思っていました。受賞が決まった際にも、手放しでおめでたいと感じられず、それはなんでなんだろうともやもやしていたのですが、これを読んでちょっと納得した。
本日発表大宅賞。ネット投票を導入、リニューアルしていたノンフィクションの栄誉のゆくえ - エキレビ!

上記エキレビ!のエントリによれば、大宅賞は、今回のリニューアルを以て「ネットを通じての読者投票と、日本文学振興会が委嘱した有識者による投票を行ない、その集計結果を参考に選考顧問の後藤正治(ノンフィクション作家)立ち会いのもと授賞作を決めることになった」のだそうです。10余名の有識者による投票と講評を踏まえるとのことですが、それはあくまで「参考」なんですね。そして現時点で、有識者投票にしても読者投票にしても、投票総数や得票数がオープンにされていない。6月10日発売の文藝春秋に載るのかも知れませんが、そう明記されているものをわたしはまだ見たことがありません。

日本のこういう「権威ある」感じの賞って、運営がすごく難しいだろうと思うのです。そして、それはこの国の「権威」や「手続き」……なんて言うとまるで政治の言葉みたいですが、言い換えれば「ブランディング」のありかたが、未成熟だからだとわたしは思っています。新人賞なんかもそうです。先に名前が知られていることが重要で、選考過程がどれだけフェアかとか、審査員がどういう人かとか、「普通の市民」にはたぶんあんまり関係がない。芥川賞作家って言うとすごいイメージあるけど、それが果たして本当にどういう賞なのか、分かっている人は少ないと感じます。それでもちゃんと賢い人達が綱引きし合って、ステータスになる賞にふさわしい運営がなされていたら良いのだけれど、例えば今回の件のように「大宅賞」という略称だけを引き継いだまま、選考過程がどうにも不透明で、でも市民にも関心を持ってもらいたいからネットで票を集めよう!みたいなやりかたを見ていると、どうにも安直な考えで運営をしているんじゃないかっていう疑念を持たざるを得ない。

わたしはノンフィクションも小説も好きだし、きちんと書かれた文章を読むことそれ自体を楽しいと思っていて、好きです。そして、そういうこととはまた別に、ヒトが表現をする現場を守っていくということは、社会的な意味のあることだと考えています。

かつて、イギリスに本社のある社会的企業で、いわゆる市民運動に助成金を渡す仕事をしていたことがあります。物書きとしての作家への賞ではないのだけれど、構造としてはかなり近いです。そして、当時のわたしは明確に「表現への支援」という意識で仕事に臨んでいました。その会社の根幹事業は製造小売業だったので、単純に会社の商品を好きでいてくださるお客様に、どうやったら助成金の活動を知ってもらって、肯定的に受け止めてもらえるかということは、在任していた2年の間、ずっと本気で考えてた。力不足だったけれど、少なからずそのための仕事をしました。その経験も踏まえて、日本人の多くは「権威」が好きだけど、それがなぜ「権威」なのかを考えることは、すごく苦手なんじゃないかって思ってます。ブラックボックスになっている方が、考えなくて良いし、楽なのかな。そういうことじゃないと思うんだけどね。少なくとも、表現とか文化とかっていうのは。

ちなみに、先日ある作家(演劇を作ったり批評をしたりしている若手のアーティスト)と話していたときに、新人賞の話になって、かつてのわたしの勤め先のイギリス本社では面白い市民運動家にお金を渡すためにどんどん新しいプライズ(賞)を創設したりしている、という話をしました。彼曰く、ヨーロッパではアーティストに対してもそういう風に支援をする空気があるようで、「賞という口実で面白い奴にどんどんリソース付けるのマジ大事」という非常にチャラい結論に至ったのですが(笑)、シーンを作っていくプライズというのはむしろそういうものなんじゃないかとも思っています。狭い業界の中で囲い込んで祀り上げるようなやりかたではなくて、次に何をしでかすか分からない相手に、だからこそ勝手に動けるリソースを与える。予定調和な賞の威光よりも、作家の発展性に賭ける。賞を与えることで作家にステータスを付け、名前を知らしめることにつなげる、っていうのももちろん大事なんだけど、今の日本でそれをやってもどんどん「権威」が名ばかりで重たくなっていくんじゃないかな、と思ったりもします。

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