メインストリート、未舗装メインストリート、わき道|あなたはどの道を歩く人?
※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼
※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。
ご質問ありがとうございます。わき道とメインストリートも例えなので、イメージとしてざっくりと捉えてくださるといいかと思います。愛着障害か、愛着不全か、普通の人かの違いは、カウンセリングをすることで、自分の半生を振り返ることで、分かってくることですから。その結果、自分がどの道を歩いているのかも視界が開けてくるでしょう。それを大前提として、お話しましょう。
私の著書「孤独と愛着」にはわき道とメインストリートの話が出てきます。この本には、わき道の話がたくさん書かれています。よろしければそちらもお読みください。本代はかかってしまいますが💦
■わき道について
わき道の人は、自分でわき道を歩いていることを自覚することが最初でしょう。それを自覚したら、それが自分の道であることを理解していくことができます。理解とは、「愛おしさが備わった納得感」です。この「理解」が、質問者さんのいう「その道が見えてきて」ということですね。
それによって、そのわき道が自分の道だと誇れるようになっていきます。誇れるというのはちょっと違うかもしれませんが、それが嫌だとは思わなくなるということです。「親しみがわく」という感じですかね。故郷のような親しみ、その親しみの中に生きていく感じですね。
なじみの道ならば、大切にするでしょう。このわき道が私の生きる道、と。
■メインストリートについて
メインストリートの人は、普通の人か愛着不全の人です。普通の人の道は舗装されていますが、愛着不全の人の道は、未舗装のでこぼこ道で、そこを高速でつっぱしろうとするので危険です。そういう違いがあります。
まずメインストリートの人とは何か?というところを理解しておくことでしょう。メインストリートの人は、親との愛着が築かれている人々です。それが不完全であっても2歳までの間に、基本的信頼感が構築されている人はすべて、メインストリートの人になります。
愛着に問題がない人でも、親が忙しくて子どもの面倒を十分に見れなかった、あるいは成人期だがモラトリアムの残骸を引きずっているような親をもつ子どもたちは、成長の過渡期で立ち往生することもあるでしょう。質問者さんのいうように、立ち往生とか躊躇しているというのは、もうその道を歩いているということですね。
ご自身が、愛着不全か、少し躓いた普通人かと思っていらっしゃるのですから、メインストリートの人ではないでしょうか。
■まとめ
愛着を形成できた人はメインストリートの人、それができなかった人はわき道の人。
自分のわき道に親しみがわくと、その道を生きていける。
メインストリートの人は、その道がちゃんと舗装されますように。
◇ラジオおやすみカフェ:今宵のメニューは…
■他の助けを求めるのもいいでしょう
もし、あなたがどの道を歩いていたとしても、そこで悩みが深い場合は、臨床心理士などの心理の専門家にアドバイスを求めるとよいでしょう。時間はかかるかもしれませんが、あなたのカウンセリングがうまくいきますように。
■この記事に興味を持った方は、ソレア心理カウンセリングセンターをLINE登録ください。登録いただいて「プレゼント希望」とメッセージを送っていただけると、「歌と心理学」の小冊子をもれなく差し上げます。下のQRコード(を長押しして)からご登録ください。▼
■Twitter でも発信しています。フォローいただくと、発信ばかりでなく質問箱への質問やそのQ&Aを見ることもできます。【Twitter】→ https://twitter.com/soleapsy