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多くの人は自分の人生を生きているが、わたしの人生は一向に始まらない。

【質問】波打ち際にずっといる感じです。陸の内側では多くの人が人生を展開しています。わたしの人生は一向に始まってくれません。

【お返事】人生が始まらない感じがあるのは焦りますよね。この感じは誰しもが、どこかの時期で持つかもしれません。特に、中高年になってもこの感じを感じるのはつらいですね。今回は、人生について「始まる」とはいったいどういうことなのかを、考えてみました。

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■メインストリートを行く人、わき道を行く人

人生を歩くことを考えると、どこを歩くかについては、人によって、あるいはその人の時代によって、歩く道が違ってくることもあります。

ある人はメインストリートを歩きます。質問者さんのいう「陸の内側」ということですね。そしてある人はわき道を行きます。「波打ち際」でしょうか。

多くの人はだいたいメインストリートを歩いています。人によって、メインストリートかわき道かが変わるのですね。通常の世界で生きている人はだいたいがメインストリート人になります。通常の世界とは、愛着で彩られた、愛憎の世界ですね。

わき道人は、そうではない人ですね。少数民族です。少数といっても絶滅種ほどではありません。数%はいます。

もともとはメインストリート人だが、時代によってわき道人を感じている人もいるでしょう。こういう人の故郷は、メインストリートですね。だからわき道人とは違う世界です。でも、わき道のテイストは分かる。この手のタイプの人は、芸術肌の人に多い気がしています。

質問者さんはどっちの方でしょうか。

  • メインストリート人なら陸の内側にいるはずで、そこで置いていかれて焦っている感じでしょうか。

  • 焦りはあまりなくて、わき道人として途方にくれている感じでしょうか。

■始まるということ

質問者さんは、「わたしの人生は一向に始まってくれない」とおっしゃいます。これは、わき道からメインストリートを見ていて、メインストリートを善としているのでしょうか。

しかし、メインストリートもわき道も、路に変わりはなく、どちらが善悪もありません。

「始まってくれない」という表現は、始まっていないことへの切実感は薄い気がします。どことなく他人事のような感じ。もしメインストリートにいて始まってくれないのだったら、もっと焦燥感が漂ってくるでしょう。この他人事の感じも「わき道」っぽい感じです。

しかし、精神的にひきこもっている方かもしれませんね。ひきこもりの人は、メインストリートにいながら、すっかりと諦めている感じもあります。もしそうだとしたらメインストリートの人なのでしょう。あっちとこっち、どっちでしょうか?

◇人生の始まりは(当然ですが)0歳児

さて、人生の始まりについて考えてみます。

つまり2歳までの乳幼児期ですね。これが始まっていないというのはどういうことなのか。つまりここで達成されるはずの発達課題が未決着であるということです。基本的信頼感の欠如です。これでは人生が始まりません。ここが欠損しているとすれば、質問者さんはわき道の人でしょう。

もしここがうまくいっていれば、質問者さんはメインストリートの人で、わき道っぽいふるまいをしているのでしょう。つまり、人生はすでに始まっており、その道をいく上で躊躇している、ということになります。

実際にわき道の人で人生が始まっていないのならーあまりそういう人は「人生が始まっていない」という表現はとらないように思いますがー愛着障害ですので、カウンセラーに相談しましょう。ひとりでは、あるいは精神論では、路を作ることはできませんから。

■まとめ

  • 多くの人はメインストリームを歩く人

  • わき道の人は人生始まっていないことにさほど焦りはないかも

  • 基本的信頼感がないと人生が始まらない

◇ラジオのおやすみ談話室:Jim Croce / I got a name

■他の助けを求める

もし、あなたが自分の人生を生きている感じがしないのなら、臨床心理士などの心理の専門家にアドバイスを求めるとよいでしょう。あなたがストレスにうまく対処できるように、心理士は特別なトレーニングを受けています。

⇒解決しない悩みのある方は、ソレア心理カウンセリングセンター へご相談ください。

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