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備忘録:「四月になれば彼女は」と「満ちてゆく」

「四月になれば彼女は」再読

川村元気さんの本が読みたくて、発刊されてすぐに読んだのが「四月になれば彼女は」でした。

映画化されるのは時間の問題だと思ってましたが、まさか風さんがその音楽を作るなんて!!
風の民としては、予告をみたときの衝撃と言ったら…!!

そのお陰で、もう一度読みたくなり、再読。

前回読んだ時の私は、いわゆる"恋"しか分かっていなかったと思いました。
愛は深く無限に広がるあたたかいものだと、薄っぺらに頭では理解していたと。

そして数年後、状況が変わった私自身、愛がなんたるかを、あの時よりは分かったのかも。

恋と愛は違う。恋<愛というわけでもない。
愛はそんなに美しいものだけで満ちているわけではない。
面倒だったりもする。
見捨てられない、しがらみも愛ゆえ。
愛と憎しみは正反対にあるわけでもない。
許すのが愛だとするなら、許される前のどろどろした人間くさい過程があるからこそ、際立つ愛。
愛はふんわりしたものではない。愛は行動。
愛しむ、慈しむ気持ちは、哀しい気持ちと似ている。失いたくないと思うからかな。

言葉にすると軽薄だけど、よわい50歳の私はこんなことを思う。

なお、これは小説にこれらを感じたわけではありません。
これらが感じられたら、この小説は成り立たない。
愛は行動、というのは少しだけあったかな…。

小説の中身よりも、前回と今回の感想が違う自分に驚きがありました。
時間をおいて同じものを読むのも、おもしろいものです。

また10年後に読んだら、何を思うのかな。

満ちてゆく

そして、風さんの「満ちてゆく」。
初めて聴いたときは身震いして涙がじんわり溢れた。
私は「Grace」を聴いた時に、もうこれ以上の作品は出ないだろうと思うほど、それこそ満ちた気持ちになりました。

そこから、またこの「満ちてゆく」。
何年も前から依頼されていたそうですが、「帰ろう」のような死生観と「Grace」のようなひろがり。
幸せと哀しみは似ている。
ピアノのように唄うこの曲にそんなことを感じました。

本当に26歳が、こんな旋律にこんな言葉を紡げるのか。
人と人の掛け算は、創造性や可能性を広げるのだと、改めて思わされました。

この曲を聴いていると、生かされていることに感謝しかなくなり、すべてが愛おしくなってしまいます。

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