神の救いの普遍性

お盆の期間中は、教会の和室で寝泊まりをさせてもらい、訪れた人たちと交流をしながら毎日を過ごした。


「これが、福音の喜びというものか!」

と毎日をおさえきれない喜悦で過ごした。

それは、ちょうど一年前に出会った幕屋のものと、具体的な地上的な形式も表出の仕方も違っていたが、

生命の深い本質においては、全く同じ性質のものだった。

ここにきて、味を占めた私はすっかり、キリストのとりこになってしまった。

もっともっと、神様を知りたい、交わりたいと熱望するようになった。

多摩教会には、何人かの自分と同じ世代の牧師や神学生がいたこともあって触発されたのだろうが、

その時の日記に、

「神学生になりたい。福音を伝えねば、と思っている。

霊的、宗教的に深まりたい。」と書いている。

そういえば、四国遍路終わりの時に、高松のA神父から、神学校を打診されていたな。

もっともっと、祈りも深めたいし、勉強もしたい。


一方で、「大実業家、成功者になる。」「作家になる。」ともすぐ下に書いている。斎藤一人さんや永松茂久さん高橋歩さんみたいになりたいとも考えていたのだ。

方向性や方法は違えど、それぞれの生き方の根底には同じ素敵なバイブレーションが流れている。

当時は、ほとんど儲けのない自営業と最低賃金のバイトなのに、そんなことを考えていた。

お金から逃げたくなかったというのもあるし、娑婆の仕事で召命を果たしたいという気持ちもあった。

自己実現や夢や目標を描いて挑戦していくビジョンと、

純粋に福音のみ一本で生きていきたいというそういうジレンマは多分にあった。


晴佐久神父の姿を見ると、

「こんな可能性を思い切ってやっていってもいいんだ!」

「もう、超かっこいい!」

だった。


ちなみに、司祭の召命は、「職業としてなりたいからなる」というよりも、

「もうそれしかなかった。」というケースを多分に聞く。

いろんな神父様に、「どうしてこの道を選んだのですか」と聞くと、それぞれいろんな深い話が返ってくる。

信徒が、どんなに一生懸命祈りに励んでいても、どんなに学びを深めても、素晴らしい話をできたとしても、

一生のすべてを神に差し出した神父との間には、それがいかに地味であろうとも、

どこかしら絶対に越えられない聖なる深淵が横たわっている。



「私の本音は何なんだ」ということで、ブロックを外して書いてみたら、

遊びたい。楽しいことばかりしたい。

そこに人を巻き込んでいきたい。そのことで、お金を稼いでいきたい。

「立派」「しっかり」「マジメ」をやめたい。

「ありがとう」でいきていきたい。

勉強がしたい。

ラブラブな妻が欲しい。

ということが出てきた。


ううむ、「清貧」「貞潔」、無理だ。

・・・財産を捨てることが出来ず、イエスについていくことを断念しひどく悲しんだ青年がオーバーラップする・・・。




終戦記念日の土曜日も講座が開かれた。

所狭しと人が押し掛け、私はいつも、晴佐久神父の隣の席にどうぞと勧められた。

ううむ、山上の説教でイエスのそばの特等席に座っていたお弟子さんたちの気持ちってこんな感じなのかも。


「神様は、私たちのどんな想像よりも大きくて、そして、私自身よりも身近な存在であると思うのですが、

「神様」では、なんだかしっくりきません。

どう呼べばいいですか?」

と質問した。


これまた、「とてもいい質問ですね」と褒められ、鼻高々。

天の父よ、天のアッバ(パパ)と呼んでいいんだよ、とイエス様は教えてくださいました。「天の」は、計り知れない完全性をあらわし、「父」は、ママでもいいのですが、まことの親の親しみをあらわしています。

幕屋では、「天のお父様」と呼びかけていた。

いつの間にか、今に至るまで幾度となく、十字を切り、ごくごく親しく「天の父よ」「天のお父様」と呼びかけるようになった。

歩きながらでもお風呂に入りながらでも、

沈黙のうち耳を傾けたり、愚痴を聞いてもらったり、泣き言を言ったり、感謝を言ったり、ただ呼びかけるだけ呼びかけてあとはそれ以上何もせずそこにとどまったり、「あとはよろしく」と委ねたり。


この「天の父」は、何教何宗をこえた、無からすべての宇宙を創造し支え、人間一人一人を生み出し、呼びかけておられるまことの親だ。


カトリックでは全員が救われる。他の宗教でも救われると宣言している。浄土真宗のお寺に呼ばれてお話もした。普遍的真理を共に分かち合っていくという姿勢で。「自分は正しい」とはいっても、完全なる白も黒もない。
完全な白は神以外にない。グレーでいい。
人を許したふりなんてしてるだけ(笑)人は人を許そうと思って許せない。気が付いたら許せていたというか、どうでもよくなるもの。


その話を聞いて、四国遍路をし、神社仏閣をこよなく愛する私としてはとても安心した。

そう、そういう何教の枠にとどまらない普遍的な存在の根源を私は信じていたし、また、

そこで、このすべての生みの親である天の父とつながる。


また、「死について」も、質問させていただいた。

25~6歳ごろにそのことを考え出してピークに達した。いくら考えてもわからない。そもそも、自分で生まれたわけじゃないでしょう。イエスの直感として、「新たに生まれなければ神の国を見ることが出来ない」。
イエスは言っている。「あなたたちは決して死ぬことはない。」私、死なないんですよ(笑)




その晩は、庭に集まって焼き肉だったか流しそうめんだったかで盛り上がって、若者と話し込んでいた。

「はれれ、はれれ」と、呼ばれる神父。

「あ、僕、はれれって呼ばれてるので、そう呼んでください。」と。


「あ、そうだ!君、今思いついた!

旅費全部出すから、無人島キャンプに来なさい!」


「え!いいんですか。

ただ、お盆明けに仕事入れててちょっと休みをもらわないと・・・」


「なんと・・・仕事と神の国を天秤にかけるとはぁ~」

「わかりました!行きます!行きます!」


こうして、急遽私の無人島キャンプ行きが決まってしまった。


全く、なんという身に余る恵みだろう・・・。



ちなみに、携帯電話もスマホも連絡手段の一切は持ってきていなかったので、このときとても後悔した。

周りの人に、グーグルマップで、家庭教師先の住所を調べてもらい、はがきで休ませてもらう旨をお伝えした。












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