見出し画像

オンラインで本が売れるということについて

 BASEで久しぶりに『橋本治「再読」ノート』が売れた。本の売れ方というのは本当に不思議だ。ドカドカと売れるときがあるかと思うとパタッと止まり、またポツリポツリと売れる。そしてまたドカドカ、パタッ、ポツリ。シーンと静まったように動かない日が3日も4日も続くと、あぁ、もうこれで飽和状態で二度と売れないのか、と天を仰ぎたくなるが、またそのうち、少し動いたりする。
 リアルタイムで売上がわかるオンラインでさえこうなのだから、買切りで仕入れてくださった書店での動きはなおのこと、覚束ない。でもひと月後、あるいはもっとしてからも追加注文をいただけると心の底からホッとする。
 本は何年も何十年もかけて売るものだと頭では理解していても、目の前の動きにとらわれて、つい焦ったり、絶望したりしてしまう。本は売れるほうが不思議な商品で、基本はオンデマンド=富山の薬売りだと言った橋本治の教えを胸に刻みつつ、コツコツと売っていこうと思う。これまで買ってくださった方、読んでくださった方には心から感謝申し上げます。

 それにしても、思わず発した一つのツイートのために(もちろん、もともとその本がもっていたポテンシャルが最大の理由にせよ)本が増刷されたり、香具師の口上じみた呟きがそれなりに機能したりするのをみると、書かれたテキストとオーラルな言葉との関係も不思議だと感じる。
 テキストに辿り着いてもらうためには「声を上げ」ざるを得ず、ただ黙っていたのでは読まれもしない。でも呟きは呟きでしかないから、本の中身の1%も伝わらない、あるいは決定的な誤解をもたらすこともある。
 本を読んでくれ、そこに全部書いてある、と声を枯らして叫んでもダメで、効果的な一言は、そうした率直さとはまた違う、芸やひねりが必要になる。「炎上商法」という言葉が生まれて久しいが、炎上しないことには本(本来なら「炎上」にかけられる水であるべきもの)が売れない世界は、『華氏451』とは違った意味でディストピアだと思う。
 でも本が売れないことには物書きは干上がってしまう。金銭的な意味だけでなく、書いても読まれないなら、書く意味はないからだ。静かに読まれるために、ラウドスピーカーのように喋らなければならない矛盾。これがオンラインで本が売れる時代の根本的なパラドックスである。
 そんなとき、著者が黙っていても本が着実に売れる本屋という場所の偉大さを感じる。本屋で本を買う人に栄光あれ、とも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?