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ヤバめの芸術論【エッセイ】

しかし、この国は暑すぎる。

どんな些細な時間にも、常に頭に過ぎるその感情は自分を溶かしてしまうようだった。緊張が紐解けることはなく、食えなかったおにぎりは鞄の中で楕円上につぶれてしまっていた。それに不快感を覚えた私は、全てを夏のせいだと暑さに押し付ける。
交通にとって無益な信号を渡る。
空は嫌にも快晴だ。

コンクール当日、県庁がある市に電車で向かう。
とにかく、席に座るのが嫌だった。プライドの所為か、人を重んじる事を鵜呑みにしていたのか、とにかくその時は人前で座ることを躊躇していた。
電車に揺らされる中で椅子の角に肘をかけ、見知らぬ中年の男の前で絵を描く。「安息するアイロニカル」と題したその絵は、顔面が歯茎に変形したラクダのような生物が、無の空間の中に佇んでいるという内容であった。私はその絵をあの人に覗かれた。

「なんなんだよそれは。」

そう言って彼女は笑ってくれた。
それだけがこの暑さの中、コンクールに向かっている理由であったと思う。

どう描くかではなく、何を描くかである。
そんなシュールレアリスムに関心をもっていた。ルネ・マグリットやサルバドール・ダリに憧れ、自分に沿った絵を描いていく。その時は確か、それが、自分にとって素晴らしいものであっても、駄作であっても、他人の反応に高揚した。

あまりに顕著な変化でさえも、気にかけることはしなかった。それが良いものであったのかは定かではないが、この世で生きていく上での、紫電一閃な時の流れに1度1度、反応するのは無益な行為だと気づいていたのかもしれない。老獪を積んでいてのことなのかもしれないが、それ自体も無益なことだとは、その時の私は知る由もなかったのだろう。

もうすぐ終わってしまう関係に虚しさはある。
仕方ないことだとは思う。
ただ、彼女と関わりを持ち、彼女の変化に気づけていたことは人生にとって無益ではなかった。
空が雲に覆われて卯の花色に染まっていた。
天気の悪い方が生きやすかったりする。
芸術的という言葉を使うのは間違っている。ただ、焦点の合わない空が好きだった。
交通にとって無益な信号を待つ。
快晴なんてもの、求めるはずがなかった。

しかし、この国は暑すぎる。

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