すずめの戸締まりの感想

ネタバレありの感想です。観てない方は、こんなつまらない所でネタバレを喰らわないで劇場に行ってお金を落としてきてください。
コンテンツはお金を払わないとまたやってきてくれなくなるので、ぜひ足を運んで楽しみましょう。

行くまでは面倒だけど、行ってみると意外と楽しいですよ。




見てきてすぐの雑多な感想を書きました。自分語りも含めて書いてるので、そこは適当に聞き流しながら読んでもらえたらと思います。

後、映画を見てだけの感想です。解釈違いとかがあれば、他の所がきっと正しいです。何故なら映画しか見てなくて自分の思ったことだけを書いているからです。それをご承知の上で、感想を書いたので読んでもらえると嬉しいです。


総評

自分の中で、4段階評価で4を最高点とすると3点の感想だった。話としては好きだけど、自分が好きな要素が薄かったので自分の中では一歩及ばないかなと思っただからだ。でも、これは話の構造上仕方ない気もするから惜しい作品とはあんまり思っていない。それに、こんな感想を書きたいと思うぐらいには面白かった。

3/4の理由

では、何が足りあれば満足であったのかというとそれは狂気で、たとえ何があろうと何としても己の意思を貫いてやるというものだ。
すずめの戸締り主人公の狂気が足りない。正確には、狂気はあるけど誰も咎めないから、「たとえ何があろうと」の部分が狂気として成立しない。何としても己の意思を貫くという話だった。なすべき義務を果たしてきて、周りはあんたがそう言うのなら頑張れよという話だった。
狂気の描写は目の描写が一番物語ってるかな。他の作品(君の名は、天気の子)だと男主人公の目がイカれてる。僕はあんな追い詰められた主人公の狂気が垣間見えるところが好きなんだ。その点、すずめは最初から最後まで強かった。要石どかして問題起こした時も、第一声はどうしようで、どう責任をとればいいか想像できないが故のどうしようだったように聞こえた。


すずめは、正直どう考えてもイカれてるのに、自分が正気だという確信に近い狂気を物語の初期装備で持ってる(死ぬのは怖くない!)から、メンタリティ最強でブレないのよね。だから人の話を基本聞かないし、説明もしないのかなと思った。
なので、物語という意味では、主人公の成長という意味では何も起きてないいと思った。
じゃあ主人公が何をしたかと言うと、「義務を果たした」これに尽きる。
つまるところ、常世の世界でかつての自分が生きていくために借りたものを返しにいく話だったと僕は思った。一度しか開けられない扉を開けて生きる理由をもらったすずめは、その扉を閉めるために十数年後(うろ覚えでごめん)にそれを返しにいく。だから、ラストシーンは家の鍵を閉めて、遠く(日常)へ行くための自転車の鍵を開け、漕ぎ出した。その先に草太との再会があった。
良いタイトルだ。借りてきたものを返し、義務を果たし終えたすずめは、自分が望んだものを手にする。それが戸締りで、けじめを付けてきたということだ。

これをやるためには、すずめは義務を果たすに値するような強烈な感情を抱く相手が要るし、その身を燃やし尽くしてまでも成し遂げたいことではなく、果たさなければならない義務が必要になる。だとすればこれは女主人公じゃなきゃ成り立たない。男はそんな強さは持てない。少なくとも、初期装備で狂気上昇判定なしで持つのは本当に無理だと思う。躊躇するんだ。

話としても面白いし、こんな組み立てになった理由もすごくわかるけど、やっぱり主人公がイカれてないから超好きにはなれなかった。
正確には、イカれる過程を見せてくれないから超好きにはなれなかった。多分、始まりの町で生きていくことを決めた瞬間から、椅子と一緒に引き継いだんだろうね。生きていくと決めるのはそういうことなんだ。決めたら後は生きていくしかない。
そして最強のメンタリティを手にしたすずめは、健全な肉体を得るべく何かに励み、フィジカルエリートになったと……。

フィジカルエリート

少し話が逸れるけど、兵庫の山の上の遊園地まで走って観覧車で遊ぼのシーン、マジでフィジカルえぐいと思った。山道数キロ走って観覧車で懸垂して体持ち上げるわ、あの不安定な足場で踏ん張って扉閉めるわで、正直笑った。強すぎる。
後、芹沢君の車が壊れて後20キロですって聞いた後、走りますって言ったのも笑った。勢いで言ったのはわかるけど、まあまあ根性いる距離だしできると思ってるのが強さを感じた。走っててあんまり息あがってないし体の軸めちゃくちゃ綺麗だしで見とれてた。すごい。
たまきさんはたまきさんで2ケツして20キロ自転車漕いだのか?宮崎ってフィジカルエリート育成所なの?


一番好きなシーン


個人的に一番好きなシーンは、たまきさんがすずめに、「自分の人生にあったはずの時間を返せ」と呪いを吐くシーン。あのセリフには、呪いをかける側になった人間じゃないと理解できない、言われることで救われる言葉だったりする。あんなことを言うなんて保護者として最低だという人は、幸福を一つ持っているのだから誇ってほしい。
あの呪いは、語る側が自身の役割から降りないとかけられない言葉だ。それまで与えてきたものをかなぐり捨てて、責任を取れと突きつける言葉だ。そんな鋭い言葉をぶつけられて何が救いかという話なんだが、それをぶつけられるということは対等だからだ。一人の人間として認めているからこそ、責任を取って時間を返せと刃を突き付けられる。それは神戸を垂れて受け取ることしかできなかった人間からすると、面をあげさせられて胸元を掴まれたような衝撃でもある。洋画ならやっと目が合ったなと言えそうなシーンだ。初めて不敵に笑えるような状況ともいえる。これは同じ目線にならないとできない。
その刃を突き付けたとしてもなお、まだ関係性を続けていきたいと伝えることができるのであれば、それは幸福なことだと思う。僕もそういうやり取りを見て救われた。みんな幸福だ!良い話だったね。


結び

長々語ってきたが、とても面白い作品でした。日々の人生で、芹沢君のようなメンタリティを持てればいいなと思いながら、感想書いて全員にスルーされたときは「はい、全員シカトと。」いうことから見習っていきたいと思う。
勢いで書いた文章を、最後まで読んでいただきありがとうございました。また何か感想を書きたくなったら書くのでその時はまたよろしくお願いします。


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