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記憶の記録6

引っ越してしばらくしてから、私は犬が欲しいと言い始めた。すると父親が、どこからか覚えていないが、雑種で黒い身体に白い足とお腹の女の子をもらってきた。四つ目の模様がありかわいかった。ジョイと名付けた。
隣の隣に住むおじさんが、林業だったのかほぼ毎日山に登っていたのだが、いつからかジョイも連れていくようになった。もちろん私も弟や友達と一緒に散歩に行っていたが、毎日きっちり行っていたかというと、正直自信が無い。ごはんなどの用意はしていたが、当時から飼い主としての自覚は薄かったかもしれない。
とはいえ大好きだったし、広いグラウンドに連れて行ってリードを外し、たまに脱走されて長々と追いかけたりもした。陽が落ちるまでべそをかきながら探したこともあったような気がするが定かではない。

当時の小学校の先生たちは多様だったように思う。男女比は半々といったところ。
細身だけれど”スポーツ刈り”にしていた眼鏡の男性教諭は高学年を持っていた。おしとやかな女性を絵に描いたような若くて優しい女性教諭は低学年の子供たちの元気さにいつも圧倒されていた。髪が腰くらいまであって”トレンディドラマ”に出てきそうな溌剌とした爽やかな女性教諭は子供たちに負けず元気な人だった。

私の担任だったのは、我が家と同時だったか一年前だったかに異動してきた、村の生活がまだ浅い、若くてめちゃくちゃ元気な体育会系の教諭だった。背が高く、器械体操か水泳でもしていたのかというようなきれいな逆三角の体型で、かっこいい~とキラキラした目で見上げたものだ。
担任は熱血漢らしかった。子供たちが悪いことをすれば顔を真っ赤にして全力で怒鳴って怒る。遊ぶ時は担任も子供なのかと思うほど無邪気に全身で遊ぶ。高圧的な”こわい先生”ではなく、”友達先生”といった接し方だった。いつも真っ直ぐで、全力で、真面目で、感情表現が豊かで、子供たちと正面から向き合ってくれた大人だったように思う。

数年後、村外への引っ越しが決まった時、担任に言われたことがある。
「○○(私の下の名前)に”先生は良い先生だと思う、一緒に遊んでくれるし、怒るときはちゃんと怒ってくれる”って言われて嬉しかった」といった内容だった。怒るときは本当に怖かったから本人も気にしていたのかもしれない。
今では随分と生意気に言ったものだと思うが、自分たちにしっかり向き合ってくれる頼れる大人の男性、という存在があることが嬉しかったのだ。
当時、父親は自宅の裏に小さいプレハブを建て、仕事と食事、風呂以外の時間はほぼそこで過ごしていたし、ただの恐怖の存在だったので余計だ。
歳の離れた兄のような、友達みたいなお父さんのような、そんな担任を今でも時々思い出す。元気におじさんになっているだろうか。

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