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記憶の記録3

時間制限30分。

コンクリだらけの町から、家の裏はすぐ山、という土地に引っ越したことは、子供だった私にとって遊び場が広がったということだった。
本当にすぐ山だった。以前は畑にしていたであろう分だけ切り拓いてあったが、その奥には大きな針葉樹が広がり、少し怖い感じもした。自然への畏怖みたいなものだろうか。
猿や猪、鳥類、猫、たぬきやイタチなんかもいた気がする。野性動物と共存しているのはどこも同じだろうが、やはり東京より種類が多かった。猿は何食わぬ顔で近所の畑を荒らしていくし、猪が出たからしばらく気をつけてと村内放送が流れる。
小さな神社、美味しい湧き水、山に沿った家々、川へ降りる大きな坂道、河原に作られたグラウンド、大きなアスレチック系の遊具が備えられただだっ広い公園、まあまあボロいメロディー橋(人が通ると音楽が流れる)。
川沿いにはキャンプ場がいくつかあり、観光客向けの蕎麦小屋や、釣り堀なんかがあった。ヤマメを釣ってすぐ炭火で塩焼きにしてもらうのは本当に美味しかった。パリパリのヒレも食べたくらいだ。

子供は当時から少なかった。私の学年が一番多く6人、ほかは2~3人、1人の学年もあった。
小学校はひとつ。車で30分くらいだったか別の集落があり、そこに分校があったが、子供が減りすぎて閉鎖になったようだった。そのあたりに住んでいた子供たちはスクールバスで通学していた。
体育や音楽は1~2年、3~4年、5~6年で組んで合同でやった。国語などほかの教科も一緒にやることもたまにあった。給食は全員一緒だったような気がする。休み時間もみんなで遊んだ。

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