野性の呼び声 In 川越

2023年10月15日(日)

雨の音で目が覚めた。スマホで今何時か確かめると7時を少しすぎたところだった。まだ横になっていたかったから8時ぐらいまで布団の中でぐずぐずしていた。二度寝はできなかった。とくにしたかったわけではないがマスターベーションをした。それから起きることにした。

今日は書く日と決めていた。階段を下りながら自分を描ける状態へと導いていく。なるべく書くことの助けにならないノイズは取り除かなければならない。当然スマホの電源は切る。リビングのドアを開ける前にトイレに入る。便座に腰を下ろし、自室から持ってきたブコウスキーの本を読みながら、ゆっくりとの大の方をする。本当は「クソをする」と書きたいところだが、露悪的な人間と思われたくないから「大の方」と訂正した。さて、私は大の方をするときは自然に出てくるに任せている。書くことも同じで、書こうとするとそこに「力み」が生じて、あまりいいものにならないことが多い。理想的なのはただ書くことに集中することだ。ただ書く。川の水が澱みなく流れるように、一行、また一行とただ書いていく。

そっとリビングのドアを開ける。明かりはまだついていない。妻はすでに起きていてスマホで漫画を読んでいた。ネジ丸はまだ寝ていた。

私と妻は寝るところを別にしている。別に喧嘩をしたからというわけではなく、私が部屋を真っ暗にしてある程度静かでないと眠れないからだ。ネジ丸は妻と一緒じゃないとほとんど眠ることができないから常にふたりはワンセットとなる。ネジ丸は私の母からもらった簡易的なプラネタリウムをつけていないと安心して眠れない。この簡易的なプラネタリウムは恐竜や動物など様々な可愛らしいイラストが描かれたフィルムが回転する仕組みになっていて、中心の小さい電球が点灯することで部屋全体にイラストが映写される。そのフィルムが曲者で、回転するときに「ジーーーーーー」というノイズ音を常に発していて、神経質な・・・もとい繊細な感性の持ち主である私はその音のせいで眠ることができないのである。以前は二階の寝室のベッドにふたりが眠って、私が一階のリビングの煎餅布団に私が眠っていたのだが、ある日ネジ丸が一階で寝たいと言い出し、寝る場所が逆転してしまったのだ。長年煎餅布団で寝ていた私は、ベッドよりもむしろ硬い床に敷いた薄い布団の方が嬉しいのだが。

私はネジ丸を起こさないようにホットミルクを作ることにした。レンジでミルクを温めている間に歯を磨いた。リビングを出るときに「洗濯物だけでも片付けといてくれよ」と妻に小声で声をかけた。「はーい」という感じで妻は横になったまま手を上げた。妻はこの後switchを立ち上げて『ゼルダtok』をやるはずで、先に言っとかないと妻はずっとゲームをやっていることだろう。普段は私が家のことをやっているわけだから、休みの日ぐらいは少し家事から解放されたい。

自室に戻って、椅子に座った。それからホットミルクをひとくちすすった。さて、何を書こうか。私は椅子をくるくる回転させながら考えた。本を読んだ。画面の中は真っ白いままであっという間に一時間が過ぎてしまった。やばいやばい。タイムリミットは昼までだ。遅くても13時。午後は私は家族と過ごさなければならないからだ。家族と過ごす時間も大切だが、それと同じくらいこの時間も大切なのだ。私は気分転換に再びトイレに行くことにした。実はこういう時間が書くという行為における助走の時間となる。

階段を下りる途中で、リビングの方でばたばたと慌ただしく動く音がした。妻が階段を降りる私の足音を聞いて慌ててゲームをする手を止めて洗濯機のスイッチを入れにいった姿が容易に想像できる。やれやれ。まるで尊大で愚かな男になったような気分だ。妻にそう振る舞わせてしまう私も悪いのだろうが、私だって最初からこうだったわけではないのだ。ズボラな妻にも多少は責任があると私は言いたい。結婚生活というのはむつかしい。それでも私たちは今までどうにかこうにかやってきた。この先も危機は訪れるだろうが、お互い歩み寄りの余地と姿勢が残されている限り、なんとかなるだろうと私は信じたい。私は再びトイレに入り、用を足してから自室に戻った。

よくよく考えてみると、別に書くことが何もないわけではないことに私はようやく気がついた。そうだ、昨日家族で行った川越祭りの話を書こう。

川越祭りは370年(!)の歴史を誇る伝統的な祭りだ。私は父親の仕事の都合で小学1年生から3年生まで川越に住んでいたことがあり、この時期になると私は母に連れられて妹と一緒に祭りに参加したものだ。祭りはあまり好きではなかったが、巨大な山車が大勢の人に曳き回され、太鼓や笛や鉦が奏でる伝統的なリズムに合わせて天狐や獅子やひょっとこが舞い踊る姿を見るのは好きだった。そのことを今年の夏に上尾祭りに参加したとき思い出し、ネジ丸にみせてやりたいと思ったのだ。

私たちは9時くらいに家を出た。上尾駅から出発して大宮で川越線に乗り換えて川越に向かった。ネジ丸は電車に乗るのは楽しんでいたが、人混みで疲れてしまったらしく、川越駅に着いてからは抱っこするしかなかった。クレアモール通りに近づくにつれ、太鼓や鉦の音が聞こえてくると、ネジ丸は犬みたいに首を伸ばして音の出所をきょろきょろと探し回った。クレアモール通り入り口の交差点、踏切の近くに簡易的な舞台が組み立てられていて、そこでおかめが囃子のリズムに合わせて踊っていた。私たちは歩道橋の上にいたから遠くから眺めるしかできなかった。それでもネジ丸は物珍しそうにはしゃいでいた。

私たちはクレアモール商店街を本川越駅に向かって歩き出した。クレアモール商店街は川越駅から真北にまっすぐと伸びた巨大な商店街である。全長が1200メートルもあるからそこを抜けるだけでも大変である。しかも川越祭りということもあって通りはとんでもない数の人で溢れかえっていた。午前10時の段階でこの数だから、ピークの夕方ごろにはとんでもない人数になっているに違いない。

私は人の群れというのが嫌いだ。単に疲れるというだけでなく、自分の中からエネルギーがことごとく吸い取られ、空っぽになってしまうからだ。例えばショッピングモールの人混みなんてのは最悪だ。ほとんどの人間がモールに行きたくて行っているわけではなく、他に行く場所がないから仕方なく行っているだけのように思える。高揚感もまるでなく、生気のない面をぶら下げて、ぼうっと歩いている。でも祭りにおける人の群れは、不思議と平気だった。そこにいる人たちは祭りを楽しむという目的意識があり、私もまたそんなに人間のうちの一人だった。熱に浮かされたような人々の顔はみんな晴れやかで活気がある。私は空っぽになるどころか、なんとなくパワーをもらっているような気分になってきた。こどもの頃は嫌いだった祭りの印象が、年齢のせいなのか知らないが変化しているのを発見するのは面白かった。

私と妻は変わりばんこにネジ丸を抱っこしながらお互いはぐれないように歩き続けた。通りの両側では人々が出店の準備に忙しそうだった。食材を切ったり肉を焼いたり。でも祭りということもあって、彼らの表情には活気があった。不機嫌な者はひとりもいなかった。ネジ丸も祭りの雰囲気に当てられたのか自分で歩きだした。本川越駅に近づくにつれ、あたりには香ばしい匂いが立ち込めてきて私の食欲を刺激する。「腹が減ってきたなあ!」と私。「あたしも!」と妻。二人して小鼻をピクピクさせていた。

本川越駅前の広場は出店いっぱいで、ちょっとした村を形成していた。私たちはそこで腹ごしらえをすることにした。ネジ丸に何が食べたいと聞くと、「あれ食べたい!」とピッと迷わず指差した。チョコバナナだ。私の視線はすぐに値段を捉えた。400円である。ふむ・・・しかし今日は祭りだ。値段のことはあまり考えないにしよう。そうとも。

「チョコバナナ、ひとつください!」と私は店のおじさんに言った。それから財布から100円玉を4枚取り出した。「どれか好きなものを取ってください」とおじさんが言うから、私は手前にある少し太めのチョコバナナを取ろうとした。上から下まで様々な色のチョコスプレーが散りばめられた素敵なやつだ。すると、「違うよ!」とネジ丸は私の腰をバンバンと叩いてから「あれが食べたい!」と叫んだ。見ると400円のチョコバナナの隣にピカチュウやミニオンを模したとても手の込んだチョコバナナが並んでいた。値段は700円である・・・白状すると、私はそのやたらと長細いピカチュウとミニオンの存在には初めから気づいていた。なんとか気付かぬふりをしてやり過ごそうとしたがやはり無駄だった。700円。700円かあ。700円だと? 

私は100円玉4枚を財布に戻し、千円札を一枚抜いてにっこりと笑いながらおじさんに手渡した。「まいど!」と威勢のいい声が返ってきた。そうだろうとも。「好きなのを取りな!」とネジ丸に威勢よく声を描けるおじさん。ネジ丸はしばし悩んだのち、ピカチュウのチョコバナナを選んだ。長細いピカチュウは私に向かってウィンクしていた。

それから私たちは食べまくった。まずは唐揚げと生ビール。妻が買ってきたホルモン焼きも少しもらった。どれも申し分なくうまかった。ネジ丸はピカチュウを食べた後は、カップに入ったカラフルな綿菓子をふたつ食べた。ネジ丸が歯を青くしながら綿菓子を食べている時に後ろから声をかけられた。振り返るとふくよかな女性が「すみません、その綿菓子どこに売っていましたか?」と聞いてきた。「そこのフリフリポテトって書いてある看板のお店です!」と妻はその店に向かって指でさしながら素早く答えた。「ありがとうございます! 娘がどうしても綿菓子を食べたいって言ってて!」とふくよかな女性は素敵な笑顔を振りまいて去っていった。

ネジ丸は綿菓子を食べ終えると「お腹減った」と言い出した。甘味は満足したらしい。「何か食べたいものはあるかい?」と私。「あのスパゲッティが食べたい」とネジ丸。どうやら焼きそばのことを言っているらしい。私は荷物を妻に見てもらって焼きそばを買いに行った。そこの焼きそばは一個300円で、一回りほど小さいパックで売られていた。このサイズは嬉しい。こどもにもちょうどいい。ネジ丸はペロリと平らげてしまった。

まだお昼時だったが私と妻はすでに満足していた。来てよかったと心から思った。それから私たちは少しぶらぶら歩いて祭りの様子を眺めながらぐるりと回って帰ることにした。

向こうの方で人だかりができていた。その人だかりの中心に山車が聳え立っていた。私たちはゆっくりと近づいていった。ネジ丸が見やすいように肩車をしてやった。狭い舞台の上では天狐が、背の低い柵の上に片足を乗せて身を乗り出したかと思うと、後ろに引っ込んで、気が触れたようにピンピンと跳ね上がった長い白髪を振り乱し、舞い踊っていた。太鼓や鉦のリズムに合わせてネジ丸が私の頭の上で揺れている。「降りたい!」とネジ丸。いても立ってもいられなくなったのだ。アスファルトの上に降り立ったネジ丸は身体をくの字に折り曲げたり、そり返ったりと、実に奇抜な動きを披露してくれた。正しい反応だ。近くにもう一人女の子がいる。その女の子もまた思い思いに踊っていた。ああ、くそったれ。自意識が邪魔をする。いつも家の中でやるように私もネジ丸と踊りたかった。こどもたちは実に素直だ。踊り方をちゃんと知っているように見える。それに比べ周りの大人たちはにこにこ笑いながらお行儀よく突っ立っていて、まるで頭が空っぽのデク人形みたいだ。私もそのデク人形のひとりに違いない。振り返ると、少し離れたところで妻が早く帰りたそうに距離を置いてみている。なんて女だ。このリズムが聞こえないのか? 何か大切なものを思い出させてくれそうな気がしないか? 私は思った。山車の上で踊る天狐が飛び降りてきて、私たち一人一人を殴り飛ばしてくれたらいいのに、と。その時は私も殴り返してやる。だって祭りってそういうものだろう? 昔の祭りは夜這いや乱交が当たり前で、たまに人も死んでいたらしいじゃないか。86年生まれの私にはかつて祭りはそうゆうものだったという事実を知らない。社会は幻想で、生きていくために仕方なく調子を合わせているだけだということを知らない。私が知っているのは他人はノイズとなり、安心安全の名の下に頭のてっぺんから爪先まで徹底的に漂白されてしまって、すっかり野生を忘れてしまった現代人の姿だ。私たちは世界を忘れてしまった。法の外の世界を忘れてしまった。頭ばっかり肥大して首から下がガリガリに痩せ細ってしまった。帰るべき故郷を忘れてしまった。今じゃ故郷はコンテンツの中にあるだけで、それだって感情が痩せ細った私たちはそこまで届かないことの方が多い。これでいいのか? これでしかないのか? もっとマシなものはないのか? そう思わずにはいられない。誰か助けてくれ!

結局、天狐は私をぶっ飛ばしてくれなかった。

帰りはバスで帰ることにした。大宮駅でネジ丸を抱っこしながら長い階段を上がったり下がったりするのがしんどかったから。バスが開平橋の真ん中あたりを走っているとき、ネジ丸が窓の外を指さして叫んだ。

「あそこ、パパがいつも配達しているところでしょ!」

向こうの方に巨大な煙突が空に向かって突き上がっていた。ゴミ集積場の煙突だ。そこはいちばん最後に配達する場所だった。

「そうだよ」と私は言った。


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