400番目の名誉学術称号に寄せて

このほど韓国の名門・忠北大学から池田先生に「名誉教育学博士号」が授与され、世界の大学・学術機関から先生に贈られた名誉学術称号は、400を数えるに至った。たゆみない対話によって人間主義の思想を世界に広げ、平和の連帯を築いてこられた先生の比類なき闘争に感謝を深めるとともに、弟子として、心からお祝いを申し上げたい。

威信をかけて授ける〝英知の宝冠〟

大学や高等教育機関が授与する名誉学術称号は、〝敬意をもって〟〝名誉のために〟などを意味するラテン語の「ホノリス・カウサ」に由来する。つまり、称号の授与は授与する側の名誉でもあり、敬意をもってその人物を迎えるのである。

同時にそれは、「どういう人物に価値を認めるか」を社会に示すことでもある。そのため、受賞者を決める際は一般に、教授会や評議会などによる厳正な審議が重ねられる。

例えば、2005年に池田先生に名誉博士号を授与した南米パラグアイの国立イタプア大学では、次の過程を経て授与を決定している。

  1. 教授が評議会に推薦する

  2. 学生・教授の代表が審議会で検討する

  3. 総長を中心に全ての学部長による討議を経て合意する

  4. 総長の決裁で授与

また、池田先生に「名誉博士号」を授与したイギリスのグラスゴー大学では、「評議会の名をもって、私は、評議会が推挙するこの人物に対する名誉博士の学位授与を要請いたします」と始まる「推挙の辞」を受けて、総長が「グラスゴー大学評議会の名において貴殿に本学名誉博士号を授与する」と宣言する形で授与がなされた。

さらに、地域によっては名誉学術称号の授与条件の規定や承認を、国家が担っている場合もある。フィリピンでは、大学が授与を決定しても教育省が承認しなければ、授与できない。中国では、教育部が授与の基準を厳格に定めている。その基準には「学術に対して造詣が深く、知名度が高く、かつ当該学科で大きな成果を収めたことのある者。また、国際学術界に認められている者」「学術交流と国際協力などに対して重要な役割を果たせる者」などと謳われている。

名誉学術称号とはまさに、大学・学術機関が威信をかけて授ける〝英知の宝冠〟であるといえよう。

インド・デリー大学のメータ副総長(当時)は、池田先生に名誉博士号を授与するにあたり、こう語った。「『(池田先生は)私たちが栄誉を与える以上に、私たちに誉れを与えてくださる』という、まさに希有な例であります」

「戸田大学の卒業生」

私にとって忘れられない原点の一つが、2006年、創価大学生時代に参加した、200番目の名誉学術称号となった北京師範大学「名誉教授」称号の授与式だ。席上、池田先生は恩師である戸田先生への感謝の思いを語られた。

その時に限らず、先生は、名誉学術称号の授与式をはじめ、折あるごとに、自らを「戸田大学の卒業生」であると語ってこられた。そして、世界の大学からの栄誉は、各国・地域のメンバーが信頼を勝ち取った証しであると強調され、感謝を述べてこられた。

小説『新・人間革命』第21巻「宝冠」の章には、そうした真情がつづられている。〝(名誉学位の受賞は)ひとえに戸田先生の薫陶の賜物でございます。私は、この栄誉を、弟子として先生に捧げさせていただきます。さらに、私の教育と平和の戦いを支えてくださっている、学会の全同志と共に、分かち合いたいと思います〟と。

どこまでも師匠への報恩、また全同志への感謝に貫かれる先生の姿に、感動を禁じ得ない。

戦後の混乱の最中、夜学で学ぶことを断念し、苦境に陥った恩師の事業を支えた若き日の池田先生。〝その代わりに〟と、個人授業を通して万般の学問を授けられた戸田先生。

先生は、立正安国の大闘争のなかで刻まれた、この〝戸田大学〟の薫陶を、無上の誇りとされてきた。ある日、講義を終えた戸田先生は、机の上の一輪の花を取り池田先生の胸に挿して言われた。「この講義を修了した優等生への勲章だ」「金時計でも授けたいが、何もない。すまんな……」――。

当時を振り返って池田先生は、世界から名誉学術称号が拝受するにいたった根本の要因は、「師匠より賜った一輪の花に対する感謝と、ますますの精進を誓った『心』にこそあった」(第21巻「共鳴音」)とつづられた。

世界の知性が賞賛してやまない、池田先生が切り開かれた平和・文化・教育の偉業。それは、どこまでも師匠への報恩感謝に貫かれた師弟不二の闘争に他ならないことを胸に刻み、師が開かれてきた地平をさらに広げゆくことを改めて誓う。

男子部長 西方光雄

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