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この残酷でサイテーでカスなのに美しいものがある世界の終わり

みなさんは「このサイテーな世界の終わり」というドラマご存知ですか?Netflixのなんか限定かなんかのドラマでイギリスとかのやつです。

そのドラマの主人公のひとりのジェームスが、母親のことを「気付きすぎる人だった」(みたいなふうに言っていた気がする)ともうひとりの主人公アリッサに説明していた。
私ずっとこの表現が頭にのこっていて。
気付きすぎる人。

なんだろう ナーバスすぎるとか神経質すぎるとかマイナスな表現じゃなく「気付き」すぎる、ってポジティブでいいなって思ったのかも。
(そしてそういう表現ができるジェームス、好きだし君はサイコパスでサイコパスじゃないよ 3期も楽しみだよ)

気付きすぎる私たちに必要なのは、気付いたことでいっぱいになって溺れずに、活用出来るようになること

すごく難しいことだけど
それができるようになったら、気付きすぎる人はすごく最強の人間だと思います


進撃の巨人でミカサがこの世界は残酷であるけれど同時に美しい と言っていました

私もこの世界のことを残酷でサイテーでカスだと思うけど、美しいとは思えない
日々の中に美しいものはあるけれど、世界自体はただただ残酷で、サイテーで
はやく終わればいいな、明日隕石が降ってくれたらと

でも手元にある美しくてあたたかいものと別れるのが嫌で怖くて、自分からは去ることができない

だから私は、たぶんしばらくは、このサイテーな残酷な世界でいきていく、と思います

そして、いつか、世界を美しいと思えたら、それがサイコーのわたしの人生の終着じゃないかなって
思っています

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