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あれ?会議短くね?!ということは経営がうまくいっているということだ

教師生活34年。
退職まであと3年のそいと申します。

本日の放課後は定例の学年会議。(ひと月に一度)

他の学年に比べて、いつも短め。

何なら

「特に議題がなければ・・・」
開催しないことも。

念のために、言っておきますが、学年スタッフは12名いますが、仲が悪いわけではありません。

会議は短く、おしゃべりは頻繁に

うちの学年。
おしゃべりが絶えません。
例えば、今ならワールドカップから始まり、家族のこと(職員同士も親子ほどの年齢差がありますから、お子様の話でも幼児から成人まで幅広い)から、大学時代の思い出、お笑い番組のこと、プロ野球の贔屓のチームのことetc・・・。

まあ、よくしゃべってます。

気軽に世間話ができる雰囲気です。

だからこそ、込み入った話も躊躇わずにできるのです。

生徒理解が深まるおしゃべり

おしゃべりが自然と真面目な話にいくこともまた、多々あります。

例えば、嬉しいことがあったとき。

「いつも授業中寝てばかりいるAが今日はきちんとノートを取っていたんだよね!」
と私が、向かいの先生に話題を振ると、

「そうそう、私の教科でも最近頑張ってますよ」
とのこと。

それを聞いた担任が、
「最近、当番活動も一生懸命なんですよ」
といえば、
部活動の顧問が
「最近の彼はすごく、気持ちが乗っているよね」
なんて、話がどんどんつながっていきます。

当然、逆の話もあります。
「なんか、最近Aの表情暗くない?」
「親とうまく行っていないらしいよ」
「部活でも、親のことで愚痴を言っていたのを聞きましたよ」

という会話も自然となされています。

わざわざ会議をしなくても、生徒に関する情報交流が結果として頻繁に行われているわけです。


会議のための会議で悪循環

放課後に突発的なことが起こり、緊急で学年会議を開くことも無いわけではありません。

起こっていることが『いじめ』などの重大な案件であれば、迅速な対応が求められます。
早急に起こっていることについての共通理解を図り、指導の方針、方策を立て、生徒指導部や管理職の指示を仰ぎながら迅速に対応します。

しかし、こんな場合でも、日頃から『おしゃべりをしている密な関係』であれば、速やかに意思統一を図り、迅速な対応ができます。

ところが、こう言ってしまうと身もふたもないのですが、いわゆる『仲の悪い関係』だとこうはいきません。

気軽に話をしたいと思わないから、ついつい情報が滞ります。
必要な情報が伝わるのも遅く、意思統一にも時間がかかります。
どこか『他人事』のような空気感がいつもあり、『みんなでやろう』という雰囲気に欠け、一部の人が疲弊しがちです。

意思統一に時間がかかるために、会議の時間が長引きます。
会議が長引くということは、本来行えていたはずの業務が全て後回しになるということなのです。(そもそも、会議を始めた時間が勤務時間をとっくにすぐいていることがほとんどですが・・・)
会議を行えば行うほどに、スタッフはどんどん疲弊していくのです。

トラブルは互いを磨く学びの機会


生徒が問題を起こす
→問題への対処で先生たちが疲弊する
学校あるあるです。

しかし、本来は
生徒が問題を起こす
→生徒は失敗から学ぶ(そのような指導を教師は行う)
→同じ失敗を生徒は繰り返さない
→学年が上がるにつれて、問題が少なくなっていく
という生徒指導が行われるはずなのです。

いろんな生徒がいますから、トラブルはあって当然です。
しかし、それは互いを磨き合う良いきっかけ、学びの機会とおさえる。
それが、子供が育つ学校だと私は考えています。

先生(大人)こそ多様性を大切にするチームであれ

元気の良い子、おとなしい子、運動が好きな子、音楽を聴くことが好きな子。
いろんな生徒がいるように、先生だって多様です。

「先生はこうあるべき」とかしこまるよりも、一人の人間として、少なくとも子供たちよりは人生を長く生きている先輩として、心を開いて接してみる。

いろんな先生がいた方が、いろんな子供に対応できます。
だから、多様性は大事だと感じています。

『荒れてしまった学校』では、気がつくと「怖い先生」「厳しい先生」のような似たような先生達が集められて、力技で学校の正常化を図るようなことがあります。

しかし、本来は、『荒れてしまう』前に「きちんと子供達と向き合う』ということは徹底しつつも、それぞれの多種多様なキャラクターによるアプローチを大事にする。
実はその方が子供達の心に響くものだという実感を持っています。

生徒に長所短所があるように、我々教員(大人)にだって当然あるわけです。

みんな違うし、誰にだって弱みはあるし、強みもある。
教師だからって、
『こうあるべき』
という仮面に固執して、弱みを見せないよりも、ありのままの自分らしさをまるっとさらけ出す。
そんなオープンな姿勢の方が断然楽で、自然体です。
「教師を演じる』よりも、「一人の大人(人)」として自然体で子供と向き合う。
このスタンスの方が、子供との距離感も縮まり、信頼関係も構築しやすい。
私は、経験上そう感じています。

GIGAスクール構想やら、学力向上、いじめ撲滅等学校に求められていることは多岐にわたっています。

しかし、私はそんな時代だからこそ、
『人は一人一人異なる存在』『みんな違ってみんないい』
という『人間関係の大前提』を大事にする必要があると考えます。

これは、口を酸っぱくして教えることよりも、『率先垂範』。
身近な教師(大人)の振る舞いが、子供達に与える影響は小さくありません。

身近な教員集団が、互いを認め合える多様性のある集団であり、チームとして組織的に子供達と関わっていく。

教職員集団がこのようなチームとして機能している学校は、自ずと明るい学校になっているのではないでしょうか。


教職員の明るい学校は子供達も明るい

学校に入った瞬間に、とっても気持ちの良い学校と、なんだか暗い感じのする学校があります。

気持ちの良い学校は、子どもたちの笑顔が溢れている、教職員も笑顔で応対が丁寧であることが多い。

暗い感じのする学校は、全てにおいて真逆です。

子どもらしい笑顔が見られない。(見られたとしても、皮肉っぽい笑顔→感じ悪いやつです)または、殺伐としている。ガチャガチャしている。
教職員は表情がむっつりとしていて、対応が横柄に見えたり、全体的に疲弊している感じがします。

子供たちが明るく元気だから、先生達も明るく元気なのか?
それとも、先生達が明るく元気だから、子供たちも明るく元気なのか?

私は分けては考えず、そのどちらも当てはまると考えます。

なんと言いますか、『陰陽のバランス』とでも言いましょうか。


陰陽太極図


互いに影響しながら、学校は動いています。

良い時もあれば、悪い時もあります。
エネルギーが滞っているような停滞感を感じる時もあります。

でも、表裏一体なんです。

子供達が
「この学校でよかった」
そんな心の故郷になるような学校でありたい!

そう願いながら、いつおしゃべりに花を咲かせているのです。

終わりに


うちの職場(部署)会議短くね?
そんな職場(部署)はチームとしてうまく行っていると思いますよ。

チームの構成員が、安心しているチームは、結果といてパフォーマンスも上がりますよ。

会議が長い。
会議後になんともいえない疲弊感が漂っている。

そんな職場(部署)は、組織として黄色信号(まもなく赤が点滅するかもしれない)かもしれませんよ。

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※互いの多様性を認めたら、人生の見え方が180度変わった体験を物語にしたのこちら



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