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ラブグラフでの4年をふりかえる

CXO退任し、ラブグラフを退職しました

本日、株式会社ラブグラフは、株式会社ミクシィへグループインしました。

合わせてこのタイミングでCXO退任、ラブグラフを退職しました。始めに、株主・アドバイザー・ゲスト・ラブグラファーと多くの方々の支えあっての4年間でした。本noteは備忘録がてら振り返りまとめます。本当にありがとうございました。

入社したきっかけ

前職のLINE株式会社に入社後、新規プロダクト開発や機能開発を担当していた。チャレンジングな機会に恵まれていたし、福利厚生も文句なし、海外にいく機会も豊富と何一つ不自由ない社会人生活だった。

同時に、所属部署の直属の上司でありLINEを発案した方の熱量や仕事ぶりに大きな影響を受け、LINEが「当たり前」のサービスで生活インフラに溶け込んだように、自分も2−3年後に当たり前になるサービスを作りたい!という思いを抑え切れなくなったことも事実だった。

ラブグラフのこまげとは、私が大学時代にたまたま帰国したタイミング(カンボジアに在住していた)で共通の友人経由で紹介してもらい、数年の間は特に連絡も取らず、PJTリリースの投稿に久しくコメントをもらって再開したのが始まり。

ラブグラフに決めた理由は「ブランド・アウト」「写真の可能性」「ビジョン」。入社した当時はD2Cという概念はまだ一般的ではなく、出張撮影サービスというコンセプトで、当時カップルをターゲットにしてSNSを圧巻していた、まさに作り手が描きたいブランドを広めていくスタイルに可能性を強く感じた。後は「世界中の愛をカタチに」をフラグに掲げ、感性の教育をプロダクトで実現できることにワクワクした。

入社当時の集合写真@中目黒オフィス

4年間のふりかえり

入社する前、リードエンジニアとCOOが辞めていた

入社する少し前の話。エンジニアと採用のアトラクトをしてくれたCOOが退職し、会社という飛行機の片翼を失った。入社当時からSTRIVE(旧GREE Ventures)との経営会議で、組織をどう再建していくか?について議論する日々。組織関連のトピックに頭を悩ませながら、プロダクトマネージャーの役割とマーケ・アライアンス等ビジネスサイド全般の意志決定を任され、気が狂うように昼夜土日問わず仕事をしていた。

残キャッシュ残り数ヶ月。1打席でHRを打つか、終わるか。

組織の雰囲気は少しずつ改善されたものの、翌月のKPIを追うのに精一杯で、短期的かつわかりやすい施策を中心に事業が回っていた。そんな中プロダクトマネージャーとしての責務は、そプロダクトの理想を描くこと、大きな問いを模索し続けること、チームのトップスピードを維持すること、そのために必要なすべてをやること、これに尽きたと思う。

具体としてはミニCEOとしてデザイナやエンジニアと共に、組織図編成、アジャイル開発の導入、ユーザーヒアリング・データ分析基盤構築などのProduct-Centeredな組織の0->1に必要な整備・運用から始まり、マーケティング組織で広告運用・SNS企画・KPI設計・アライアンスなど。食わず嫌いはご法度と課していた。

整備・運用も落ち着き、たび重なるユーザーヒアリングのおかげあって、PMFの具体像と必要な仮説が見えた。大雑把に言うと、カップル層からファミリー層に顧客を広げていく(ための商材設計・UIUX・マーケ)ことはラブグラフに必要な変化であるというものだ。出張撮影ラブグラフが若年層のSNSから口コミが広まってブランドが生まれた成功体験もあり、この新規展開や全体戦略は、今までのラブグラフを大事にするメンバーには受け入れがたいという反応が多かった。

それでも、埋没コスト(過去)に囚われることなく、状況(現在)と目的(未来)を軸に意思決定し、組織と対話し続けることをやり続けた。そこには入社当時から信じていた、ラブグラフが「世界中の愛をカタチに」するために必要な成長痛だと確信をしていたからだ。

日に日に最後のバッターボックスの日は近づいていた。毎月のバーンレートと残キャッシュを見ながら、会社としての残り時間を報告する経営会議。

そんな中で心強かったのが、STRIVEからフル出向していた根岸さん。泥臭い作業を繰り返し、経営メンバーと等身大で事業の停滞に向き合ってくれた。今となっては本当に頭が上がらない。

底を抜けた事業。6ヶ月で300%成長。

リアルオペレーションビジネスとしての難しさを抱えながらみんなで顧客に向き合い続け、プラン改定や大規模なプロダクト改善を経て、ついに会社に希望が見えた。新規受注数は徐々に増え続け、KPIを大幅に更新。大変なスケジュール感だったが、特にエンジニアのなりさん、デザイナーのゆきなさん、ブランドのあっちゃん、根岸さん、こまげやラブグラファーのえーちんの尽力あってこそ成し遂げられたことだったと思う。結果、経営が足元で精一杯だったところから視座・視野がどんどん広がっていったのを実感した。

この時からよりカメラマンの気持ちをわかろうと、ラブグラファーになるためのトレーニングを始め、自身もラブグラファーになった。

思い出深い初めて撮ったウェディング写真。
満開の桜の下で。
子どもさんともたくさん触れ合うようになった。

CPOからCXOの挑戦。

社員も増え続け、現COO本間が入社したことで事業はより安定し、新規事業も順調な滑り出しだった。そこでたち現れたイシューは全国に広がる500名を超えるカメラマンの「撮影体験の向上」だった。ラブグラフのコアバリューはラブグラファー(ラブグラフ所属のカメラマンの名称)がいかに最高な撮影体験をユーザーに提供できるか?それが人に依存せず再現性があるか?だった。

このオペレーション構築のため、CPO(最高製品責任者)から広義のUXを捉えるためCXO(最高体験責任者)に衣替えし、ユーザー体験全般に責任範囲を広げた。具体的には、教育制度の仕組み化、採用システムの構築、採用戦略と実行、人事制度の導入、ピアボーナス、ラブグラファーのコミュニティ運営など。コロナ前には年1度、全国のラブグラファーが集まるイベントがあり、ラブグラファーたちの縦横のつながりも強く、再現性ある施策を実行していった結果、再現できない組織風土が生まれた珍しい事例かもしれない。

ラブグラフジャーニーの記念写真。

ここまでの学びや気付き

備忘録としてここまでに学んだことをまとめる。

  1. スタートアップ入社は「嫁・婿入り」だ。

    • スタートアップに入ったからには「自分がこの会社を何とかするんだぞ、何とかしないと大変なことになる」と奮い立たせて事をなしていかなければいけない。役割はあってないようなもの。ときには嫌われる覚悟を持ってNOを言う。そういう覚悟が未来を創る。

  2. 人はみなダイアモンドの原石である。

    • 事業は人なり。環境の変化が激しく人の連携度合いが高い組織においては、価値観の尊重やインクルージョンが大切。なるべく組織の声を拾ったり風通しの良さに目を向けるべし。人ほど過小評価されているものはない。

  3. イーグルアイをもつ。

    • 組織や事業が複雑さを増していけばいくほど客観的な視点を持ちづらくなる。行き詰まったりはたまた順調なときも、自分・他人軸と内部・外部環境のマトリクスを俯瞰してみる。

  4. 問いは、見つけるものではなく、見つかるもの。

    • ネイティブアメリカンの言葉に「問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。」がある。問いを持つとは、見つけに行くというより、自然と浮かび上がる感覚に近い。偉大な問いは常に存在しており、出会えていない時は、着目するレイヤー・視点に誤りがある可能性が高い。

  5. 共通言語を創る。

    • ミームはパワフルだ。カルチャーを生み出し、組織に統一感が生まれる。ラブグラフではユーザーのことを「ゲスト」と呼び、カメラマンのことを「ラブグラファー」という。そしてその言葉の定義とは?から自然と育まれていく土壌を耕す。

  6. Simple is THE best.

    • シンプルはthe best(優れた手段)であり、best(優れた目的)ではない。目的に応じて使い分けられることが重要だ。シンプルであることと怠惰はときに表裏一体である。

  7. 大胆な意思決定は、小さなムーブメントから。

    • つまりは、理想を持つ現実主義者であること。目の前の課題、ユーザの声や直感的発見を直視しながら理想を持ち続けるところのギャップに何を決めるべきか?がある。

  8. 再現性へ投資。

    • 偶然のラッキーには期待しない。いかに同一打席数でのヒット率を上げ、空振りかホームランかのバッティング数を増やせるか?そのための計算と努力が必要である。

退職のきっかけ

ここまで踏まえて、なぜこのタイミングで退職を決めたか?は3つ。

1つ目は、ラブグラフの未来に自分が「目の上のたんこぶ」になると思った話。SmartHR創業者の宮田さんの「変化に適応し続けられる奴が一番強い」の言葉が全くそうで、ここ1年で経営方針や組織に起こる様々な変化に自分が適応できなくなってしまった自分がいた。ラブグラフのサービスは今でも大好きで、この世界観がもっと広まったら、そのためにもっと頑張りたいこともたくさんあった。

けど結果、心と体が頑張れなくなってしまった。昨年末にストレス性障害になった。1ヶ月の療養期間に、このまま組織に残り続けることは、会社に進化にもたらすよりも目の上のたんこぶになってしまっているのでは?と自分に問い続けていた。今回のラブグラフとmixiの発表もあり、このタイミングで会社の未来に必要なメンバーに譲ったほうがいいと決意する次第となった。

2つ目は、今後数十年かけて研究したいテーマが見つかったこと。CXOになってからTHECOACHというスクールでコーチングに通い始め、そこからコーチング周辺の学び(最近だと成人発達理論、プロセスワーク、ゲシュタルト療法)の過程で、それらと資本社会とのプロトコルやインターフェースの変化への関心、また国際政治の変化やWeb3.0の台頭の先の人のあり方・ウェルビーングについての事業をつくりたいと思っている。抽象度はまだまだ高い。

その根底には、今まで抱えてきた「生きづらさ」を誰かの支援を受けながら向き合い続けて、自己存在感を噛みしめている今こそが、他人に優しくなれて、自分を愛せている実感があるから。弱い(克服する)とか、だめ(良くならねば)とか、自分を卑下するような言葉がこの世から少しでも減ったらと、そう強く願っている。

いまとこれから

今はいくつかのスタートアップに関わりながら、プロのコーチとして活動している。午前中は仕事して、夜はゲームかコーチングか大学の勉強かプロセス指向心理学のスクールの宿題に追われている日々である。

これから先、しばらくは「自分を生きること」を徹したい。具体はまだ決めてないけど、2月に結婚して新居に引っ越す準備や、今年はPCCという日本でも300人前後しかいない国際コーチング連盟認定資格の取得に向けて動くことは決まっている。次の仕事の挑戦が固まったら、またnoteでも書こうと思う。

長かったようで短かった4年間。ラブグラフに関わってる多くの方々の応援や支えに心から感謝しています。本当にありがとうございました。

ラブグラフ恒例の追い出し会
こまげとあっちゃんとの3人のラストディナー


長々自分のことばかり書きましたが、ご拝読ありがとうございました。
ランチ・お茶・飲み会など、気軽に誘ってくださったら嬉しいです。


いただいたサポートは、今後のnote執筆のための活動費(具体的には睡眠/瞑想系グッズ)に充てさせていただきます😂