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僕とデアリングタクト

まるぃもさんの一口馬主アドベントカレンダー5日目の記事として書かせていただきます。
ここまでの記事です。
1日目まるぃもさん、2日目ういぱさん、3日目べふさん、4日目SoTaさん、みなさん面白いので是非読んでください。そして明日から数日間ポッカリ穴が開いているので至急誰か書いてください。

では、僕のパートを始めていきます。持ってる人は逆にガッツリ書きにくいだろうデアリングタクトについての記事になります。いやエッセイかな?


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一頭の名馬がいる

『デアリングタクト』

昨年、無敗で牝馬三冠を制し、同年のジャパンカップではアーモンドアイ、コントレイルとともに三冠馬対決を繰り広げるなど今の日本競馬における中心の一頭である。

これは、そんな名馬の活躍の裏で繰り広げられていた、僕の黒い感情の物語である。

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2018年10月13日、僕は北の大地にいた。

厚賀のオカダスタッドで開催されるノルマンディーオーナーズクラブの2017年産募集馬見学ツアーに参加するためだ。

ノルマンディーオーナーズクラブは、2012年に立ち上がったばかりの比較的新興クラブ。ちょうどそのタイミングで僕も一口馬主を始めようと考えていたこともあり、様々なクラブの資料を読み入会するクラブの検討を行っていたのだが、ある媒体に載っていた記事に心を掴まれた。

“一口馬主が儲かるという事を、私はこのクラブで実証したい”

そう豪語していたのが、岡田スタッドグループの代表岡田牧雄氏。先述したノルマンディーオーナーズクラブの顔とも言える人物である。オーナーブリーダーとして数々の実績を誇る岡田牧雄氏だが、日本の賞金体系を活かした手当の稼ぎ方は、ある種のメソッドとして確立されているように見えた。

一口馬主といえば、金融庁の介入により補償制度が無くなるなど、こと「儲ける」という言葉とはどんどんと遠のいていっている時期だった、しかし、どうせやるなら儲けたいと思うのは当然のこと。だからなおのこと氏の発言は僕の心を掴んだのだろう。

もちろん、どのようなメソッドをクラブが持っていようが、適当に馬を選んで買って儲かるほど一口馬主は甘くないということは素人目にも明らかだ。

なのでたくさん勉強をした。

当時はSNSも今ほど利用者がおらず、一口馬主同士の交流もさほど活発ではなかった。そのため情報収集も手探りで行わなければならなかった。

一口馬主をされている方のブログを読み漁り、先人たちがどのようなファクターで馬選びをしているのか。馬体に関する本、血統に関する本、とにかく貪るように読んだ。(血統に関しては今もなおちんぷんかんぷんだが)

冒頭にあるように、募集馬見学ツアーや調教見学ツアーにも積極的に参加して、プロの馬見はどのようなところを見ているのかを牧雄氏や将一氏にたくさん質問した。元来人見知りの僕が、プロの方にはグイグイ質問できるのは自分でも驚きだったが、それほどまでに一口馬主は、馬選びは僕にとって本当に楽しいことだったのだろう。

さて、そんな努力の甲斐(?)あってか、一口馬主を初めて数年間、今思えば恵まれ過ぎなほどに僕はノルマンディーで良い馬を引かせてもらった。安い募集価格だったのにOP馬になる、重賞を勝つ。それも一頭や二頭ではなく、たくさん。活躍馬の賞金で、また馬を増やせる。周囲の人に凄いと言われる。出資する馬を教えてほしいと言われる。皆から頼られる。


こうして僕の自尊心はどんどん、どんどん高くなっていった。


冒頭に戻る。

2017年産募集馬見学ツアーに参加するにあたって、見たい馬、欲しい馬はある程度目星がついていた。

ノルマンディーでずっと一口馬主を続けていると、このクラブでの勝ち筋が見えてきていた。

 ・芝中長距離馬よりダート馬、芝短距離馬を狙え

 ・ダート牝馬は中距離以上走れそうな馬体、血統なら狙う

 ・セリ購入馬は基本的に地雷、自家生産馬を狙え

 ・良血は基本罠、地味な血統で値段が下がるなら儲けもの

それまでの自分の経験と結果が、この勝ち筋の信頼度を強固なものにする。高い高い自尊心が、自分が選ぶ馬以外が走るはずもないという傲慢な考えを生む。そして、後にデアリングタクトと名付けられるデアリングバードの17はこの勝ち筋からは大きくズレていた。

比較的安価ながらもセレクトセール出身馬、馬体は見栄えするものの見かけ倒しに終わることの多いシンボリクリスエスの直系で更に牝馬、社台F出身の母にノーザン出身の父という“いかにも”な、これまでのノルマンディーだと到底走らないだろう組み合わせ。全てが地雷に見えた。ツアーで実際に見てバランスの良い馬体に薄い皮膚は目についたが、前述した勝ち筋への絶対的な信頼度とそれで走る馬を引いてきたという自負が“その馬自身”を評価することを許さない。全くのノーマーク。そもそもこんな血統ノルマンディーじゃなくノーザン系クラブで買えばいいのに。

僕はデアリングタクトに見向きもしなかった。いや、明らかに地雷なのに敢えて踏みに行く人たちを、少し見下してすらいたのかもしれない。


この世代、僕の一押しはフサイチジェットの17(リアトリス)だった。父は砂の王者で岡田スタッド生産のスマートファルコン、姉にはクラブ活躍馬ビスカリア、クラブとの相性抜群な高木登厩舎。少々値は張るし、馬体も完璧なバランスとは言えないけれど、姉へのご祝儀と考えればさほど高くない。

そしてツアーで社長に聞いたこの一言「これは買った方がいい」

決まった、勝ち筋ドンピシャだ。姉のように走ってくれたら、さぞ儲かるだろう。抽選になるような人気でもない。ここで当てたら僕の自尊心がまた満たされる。

募集開始当日、どんどんと口数が減っていく様子を見ているといてもたってもいられなかった。もう一口出資したら更に儲かるのでは?ポチ。もう一口持ってたら称賛を得られるのでは?ポチ。中途半端な口数になったな、ポチ。いけるところまでいってやれ、ポチ。ポチ。ポチ。ポチ。

最終的な出資口数は7口になった。結果的に中途半端になった。

数分ごとに追加出資していたので、心配したクラブから”手違いじゃないですか?本当に大丈夫ですか?”と確認の電話があった。大丈夫です。と返した僕の顔はきっと満ち足りた顔だっただろう。活躍馬を7口も持っている。2年後に僕は称賛の嵐を浴びているに違いない。そう信じて疑わなかった。

しかし楽しい時間はここまでだった。

活躍間違いなしと疑わない僕の期待とは裏腹に、彼女、リアトリスの馬生は怪我との戦いになる。ノルマンディー募集馬の近況更新は2歳1月までは月1度の更新、2月からは月2回の更新となるが簡単にまとめてみると

・1歳11月 放牧中に顔をぶつけてしまった

・1歳12月 右目を擦ってしまった

・2歳1月 馴致開始

・2歳2月~4月 比較的順調(坂路17秒~20秒ペース)

・2歳5月 皮膚炎 

・2歳6月 左トモの外傷

・2歳7月 順調(坂路15秒ペース)

・2歳8月 他馬に蹴られ左前腕に外傷

とにかく順調に乗り込めない、強度を保てない。一歩進んだかと思えばすぐにまた急停止。競争馬として集団の中で走る、他の馬に負けない根性を身につける、トレセンでの過酷なトレーニングに耐えうるだけの体力を身につける。競馬で勝者となるために必要なことを必要な時期に行うことが出来なかった。

実は2歳8月、左前腕の外傷を負ってしまった直後(近況更新で受傷を知る前)に静内のノルマンディーファームで彼女の見学をする機会があった。彼女が馬房から出てくる前に冗談で、”また怪我とかしてないでしょうね(笑)”と言った僕に対して、苦い顔をしながら痛々しい傷を負った彼女を出してきた担当者さんの顔を僕は忘れることが出来ない。

そこで、その時点で、僕はこの投資が成功することは無いということを強く認識した。

牧場の管理や育成を責めるつもりはない、期待していた馬が期待した通りの結果にならないことなど日常茶飯事だ。満足のいく管理や育成を求めるのであれば、自分のハードルをちゃんと超えてくれるクラブで出資をすればいい。出資をするしないの選択肢は常にこちら側にある。

こうなることもあるとわかっていた。活躍してくれる馬を持てていたとはいえ出資した全ての馬がそうだったわけではないし、今回はダメでもまた勝ち筋を読みながら活躍馬を引けばいいんだと前向きに捉えていた。自分の馬選びと、ノルマンディーのポテンシャルならそう難しいことではないと僕の自尊心も保たれていた。

あの馬がデビューするまでは。


あの馬、デアリングタクトを強く意識し出したのは、彼女がデビューする1週前の追い切りだった。栗東のCWで6ハロン81秒台、終いも12秒台前半。能力が無いと出せない時計で、次週に控えている新馬戦も”それなりに”やれるのではないかと非出資者ながら素直に思っていた。

そして訪れたデビュー戦、直線半ばまで囲まれながらもなんとか外に出したデアリングタクトはそこから豪脚一閃、他馬を見事に差し切った。”それなり”どころではない。強い馬しかできない勝ち方だった。

レースを見届けた後、背中に変な汗をかいていることに気付いた。季節は11月、もちろん暑いわけではない。強いレース内容に興奮したわけでもない。冷や汗と似た気持ちの悪い感覚は、これまでのノルマンディーの常識にかからない馬が出てきたこと、そしてそれが自分の出資馬ではないという現実を実感した僕の自尊心が発したアラートだったのかもしれない。


アラートは鳴り続ける。2戦目、エルフィンステークス。脚を測るかのように後方待機する松山騎手。いくら京都の外回りとはいえ後ろすぎやしないか?これは届かないぞ。…届かないでくれ。

そう思う僕の気持ちとは裏腹に、デアリングタクトはまたも一頭だけ違う末脚を繰り出す。直線一気、ごぼう抜き。2着に0.7秒差をつける圧勝だった。

その日の夜か、はたまた数日後か、三宮の競馬Bar『イルカHORSE倶楽部』さんにてデアリングタクトに出資されている馬仲間さんと飲む機会があった。開口一番、”あれは重賞を勝てますよ!おめでとうございます”と言った僕の顔は自然な笑顔だっただろうか。もちろん、出資者の方を称賛する気持ちに嘘偽りはない。でも、ただただ悔しかった。あの勝ち方が出来る馬だから重賞はもちろん、G1だって勝ち負けになるかもしれない。もう二度とこのクラブでは募集されないレベルの馬かもしれない。その馬を持っていない。僕が。なぜ。

誰よりもノルマンディーのことをわかっていると思っていた。誰よりもノルマンディーを愛していると思っていた。だからこそ、クラブが獲得する初めてのG1タイトルは僕も出資している馬であってほしかった。でも、もしかしたら、この馬が勝ってしまうかもしれない。そのときは、歓喜の輪の中に僕はいない。そう考えるだけで苦しかった。頭の中がぐちゃぐちゃになった。


僕の中にある黒い感情が大きくなっていく。


2戦2勝で迎えた2020年4月12日、ノルマンディーオーナーズクラブにとって特別な日となるこの日。G1桜花賞。天候は雨、重馬場。

恵みの雨だと思った。デアリングタクトは末脚が魅力の馬。これほどまでに力のいる馬場になれば流石に自慢の末脚も鈍るはず。そしてこのレースには強い先行馬(レシステンシア)もいる。届かないだろう。

レースはスマイルカナが逃げ、レシステンシアが2番手につける展開。一方デアリングタクトは前走と同じく後方待機。よくやった松山!流石にこの馬場、この位置からは届かないだろう。

4コーナーも大外を回ることを余儀なくされるデアリングタクト。手応えは抜群だが、距離ロス!重馬場!この位置!。大丈夫だ、間違いなく届かない。

緊迫するレースを見ながらもどこかほっとした気持ちで最後の直線を眺める。

逃げた二頭とはまだ大きな差がある。しかしデアリングタクトも猛烈な脚を見せる。差が縮まる。うわ来た。来るな。来るな。来い!うわ、うわ、来た。来た。これは差し切るぞ!

感情が二転三転する。差し切ってしまえば、僕の恐れていたクラブ初のG1勝利だ。ただ、顔を知っているクラブスタッフ、牧場スタッフ、この馬に出資している馬仲間の喜ぶ顔を否定したくない。クラブ会員として、クラブを愛する気持ち、クラブに成功してほしい気持ちはもちろん強い。でも嫌だ。

葛藤する僕をよそにデアリングタクトは粘るレシステンシアを見事に差し切り、三戦三勝で無敗の桜花賞馬となった。


その時、何を思ったか、何を感じたか。今となってはあまり覚えていない。ただ、歓喜に沸くTwitterのタイムラインは見れなかった。出資者の方ひとりひとりに”おめでとうございます”も言えなかった。スマホを放り投げ、何も考えないことにした。


4戦目、オークスはあっという間にやってくる。一気の距離延長に対する不安もエルフィンS、桜花賞でのパフォーマンスと手薄になったメンバー構成が吹き飛ばした。体型からも、血統面からも嫌う要素はあまりない。単勝1.6倍の圧倒的1番人気。正直ここは勝ってしまうだろうなと戦前から思っていた。

が、レースは思いもよらない展開を見せる。普通に走れば大外から突き抜けるだけのレース。中段後方から最後の直線に賭けるいつもの競馬、無理に位置を取りに行かないのは松山騎手がデアリングタクトの能力を信頼しているからだろう。4コーナーから直線、あとは外に出すだけ。

しかし前にはマルターズディオサ、外にはリアグラシア。デアリングタクトの進路が全くない。これはまさかの結果になるのかという淡い期待と焦る気持ち。僕の中の黒い感情も桜花賞ほど大きくはなかった。残り400m、前ではウインマリリンが抜け出しにかかる。

だが松山騎手は冷静だった。外が開かないと見るや即座に内に進路を取る。先頭とは4馬身から5馬身。残り350m、デアリングタクトの進路上には馬はいない。非凡な能力を持つ無敗の桜花賞馬にとって、二冠目へのビクトリーロードが開けた瞬間だった。


話は変わるが、死期を目前とした人がどのようなプロセスで死を受け入れるのかを研究したエリザベス・キューブラー=ロスという精神科医がいる。
氏によればこのプロセスには5つの段階があるとされている。

1.否認と孤立:頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認している段階。
2.怒り:「どうして自分がこんなことになるのか」というような怒りにとらわれる段階。
3.取り引き:神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
4.抑うつ:回避ができないことを知る段階。
5.受容

1000人を診た医師が語る「死の受容・5段階」「幸せながん患者・5つの分岐点」

一趣味の中で起きる感情の変化と、死を結び付けて話すことはもしかしたら不謹慎なのかもしれない。ただ、デアリングタクトがデビューしてから二冠を取るまでの間に起きていた僕の心の変化はこのプロセスの中で4つ目まで当てはまるものだったろうと思う。

ただ、ここでいう死は生物としての死ではない。
全てをわかった気になり、驕り、称賛を得たいがために他人の不幸をも望む醜くも、しかしそれがどこか人間らしい人格の死だったのだ。


秋華賞になると、デアリングタクトの敗北を望む黒い感情は消えていた。デアリングタクトが紛れもない名馬であること。自分の浅い経験だけに縋り、馬を見ているようで馬の周りにある情報しか見ようとしなかった自分がいたこと。そのせいで名馬に出資する機会を逃したこと。全てはもう変えられないこと。全てを受容していた。

秋華賞を見ている僕は、史上初となる無敗の三冠馬誕生を見たいと願う一人の競馬ファンだった。

京都競馬場の芝2000mに合わせ、少し前目で競馬をしたデアリングタクトは危なげない競馬で無敗の牝馬三冠馬となった。おめでとうと、初めて心からつぶやけた。

僕がフサイチジェットの17に出資をし、2年後にこの馬で称賛を浴びたいと思ったあの日から、ちょうど2年が経過しようとしていた。
欲しかった称賛の雨は、デアリングタクトとその出資者さんに降り注いだ。


今、”デアリングタクトに出資できなかったことは不幸だったのか”と問われれば、僕は間違いなく不幸だったと答えられるだろう。
もし出資出来ていたら、一口馬主を楽しむうえで最高の興奮と感動を得ることが出来た。配当で新しい出資も叶ったはずだ。かつての僕が望んだ称賛も得られただろう。

それでも、出資できなかったことで得られた学びも大きい。
自分の無力さ。無学さ。弱さ。傲慢さ。
それらはきっと、成功が当たり前の中では見つけられなかったものだと思う。

力が無いと思うから、トレーニングをする。
学が無いと思うから、勉強をする。
弱いと自覚しているからこそ、強くなろうとする。
それらを自分は持っているものと錯覚すると、傲慢になる。

また、本を読もう。色々な人のブログを読んでその人の馬の選び方を学ぼう。見学ツアーに行けるようになれば、馬の見方を一から教わりに行こう。


もう次はないかもしれないかもしれないけれど、次は後悔しないように。


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