WHOのイベルメクチン非推奨を考える 第1版


(今は有事ですので、拙速>巧緻と考え、本論考も公開を急ぎました。何度か見直しましたが、誤字脱字や勘違いなどがあるかもしれません。ご指摘いただければ、確認の上、訂正致します。どうかよろしくお願いいたします。

なお、①本稿の参考文献は、とりあえず、付録「COVID-19に係るIVM論文リスト」とします。これ以外の参考文献はしばしお待ちくださいませ。②本論考は諸々の理由で有料としましたが、本論考の主旨を知るには無料部分だけで大丈夫です。ご安心ください。)

はじめに

2021/3/31、WHOはCOVID-19治療薬としてのイベルメクチンについての声明を発表しました。

“We recommend not to use ivermectin in patents with COVID-19 except in the context of a clinical trial.” 

(Therapeutics and COVID-19: living guideline https://www.who.int/publications/i/item/WHO-2019-nCoV-therapeutics-2021.1)



要は、「治験以外では使わないで」ということです。

IDSA(米感染症学会)とEMA(欧州医薬品庁)も同様の声明(厳密には少し違います)を発出しましたので、WHO声明は想定内ではありましたが、その結論にはまったく納得できませんでした。



理由は2021年になってから、イベルメクチンとCOVID-19に関する4つのメタ解析論文とそれらが抽出したCOVID-19治療薬/予防薬としてのイベルメクチンの効果についての論文を読み、イベルメクチンはコロナの治療薬としてはもちろん予防薬としても有用だと判断していたからです(詳細は本note「イベルメクチンとCOVID-19のメタ解析論文を考える 第3版」を参照)。



以下のグラフもご覧ください(Fig.1)。これは、キーワード「イベルメクチン」「COVID-19」の検索でヒットしたCOVID-19治療薬/予防薬としてのイベルメクチンの効果についての68本の論文(付録・COVID-19に係るIVM論文リスト参照)を著者の結論によって色分けしたものです(2021/4/26現在)。



スクリーンショット 2021-05-01 19.16.40

対象は予防、軽症、重症といろいろありますけど、圧倒的に、黄緑と緑が多いことがわかると思います。

つまり、イベルメクチンがCOVID-19に効くかどうかを調べた68本の論文中54論文の著者が「有意差あり(=イベルメクチンは効いた)」としてるわけです(ただし、21本は大規模治験で確認する必要ありと留保付きです)。

この圧倒的なエビデンス(科学的証拠)の存在にもかかわらず、WHOは、「治験以外では使わないで。エビデンスが不足しているから」という声明を発出したのですから、私も含め、一般市民が納得しないのはやむおえないのではないでしょうか?


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(2021/7/17記 本論考で使用したElgazzarらの論文が撤回されました。これを受け、本論考を一部以下のように訂正します。なお、論旨に変更はありません。

・イベルメクチンの効果についての68本の論文
  ↓
 68本の論文→67本の論文

・イベルメクチンがCOVID-19に効くかどうかを調べた68本の論文中54論文の著者が「有意差あり(=イベルメクチンは効いた)」としてる
   ↓
68本の論文中54論文→67本の論文中53論文

・fig.1内の数値33→32

・WHOの抽出10論文中7論文で論文著者はイベルメクチンの効果を肯定
   ↓
10論文中7論文→9論文中6論文

・表1から、Elgazzarを削除します。

・参考文献からElgazzarを削除します。)
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WHOの目は節穴なの? もう信用しない!!

実際、この声明を知った方が怒っていました。


「WHOの目は節穴なの? 」
「エビデンスはたくさんあるのに!! 」

「もうWHOは一切信用しない!!」


心情はわかります。

しかし、WHOは世界を代表する医療の専門家集団です。
私の心境はこんな感じでした。


(WHOの目が節穴というのは、何が何でも、おかしいよなあ)

(一切信用しないというのも、やはり、早計だよなあ…)
(しかし、エビデンスが存在するのに、存在しないと言われても…)



他には、ネットに、こんな意見がありました。


「製薬会社とWHOが結託して、イベルメクチンの邪魔をしている!!」
「特許の切れたイベルメクチンでは稼げないからだ。新薬を売りたいのだ!!」
「有名学術誌もこの陰謀に加担している!!」


事実なら、ハリウッド映画になりそうな話です。
前米国大統領も「WHOは中国寄りだ」と怒ってWHOに脱退を正式通知しましたから、「そんなの絶対に200パーセント荒唐無稽の妄想です」とまでは言えません。


もし「COVID-19にイベルメクチンは有効」と知りながら、これを隠蔽したのであればそれは犯罪です。WHOは裁かれなければなりません。

しかし、そのためには裁判所を説得できるだけの確たる証拠が必要です。が、しかし、確たる証拠は確認されていないと思います。

WHOの声明の分析 根拠とした参考文献に注目

というわけで、私はこのテーマは取り扱いません。かわりにWHOの声明を読み込むことにしました。具体的には、WHOが声明の根拠とした論文を調べました。各論文の筆頭著者名を表1に示します。



なお、表1には、イベルメクチンの効果を検討した4つのメタ解析論文が抽出した論文の筆頭著者名も載せました。


色分け等の意味は以下です。
緑→有意差(効果)あり。黄緑→有意差(効果)ありだが大規模治験必要。赤→有意差(効果)なし。★予防効果論文。

スクリーンショット 2021-05-01 21.27.40

スクリーンショット 2021-05-01 21.27.17

表1から、次のことがわかります。



(1)WHOの抽出10論文中7論文で論文著者はイベルメクチンの効果を肯定している。

(2)他のメタ解析論文が取り上げた17論文(著者は効果を肯定)をWHOは検討していない。

(3) 効果を否定した2論文をWHOは検討していない。
(4)予防効果を肯定した5論文(★印)をWHOは検討していない。


もうひとつ追加します。


(5)上記のメタ解析4論文をWHOは検討していない(WHOの参考文献一覧にないことからこう推定しました)。


上記(1)から(5)をながめると、「なぜ?」 という疑問が湧いてきます。
言い換えれば、「治験以外には使うな」といわれても、「そんなこといわれでも、納得できないよ」ってことです。

ベストエビデンスのメタ解析論文が未検討 なぜ?

特に、(5)はなぜなのでしょうか?


「メタ解析論文は、エビデンスピラミッド(科学的証拠の階級化、優劣をつける)の最上位に位置するベスト・エビデンスだ」。これが医療界の共通認識ではなかったのでしょうか?


なぜ一本も読まないのでしょう?

未査読だから?とも思いましたが、BIRD (the British Ivermectin Recommendation Development)による"The BIRD recommendations on the use of ivermectin on COVID-19.2021."はちゃんと参考文献に入ってるんですよね。



もしかしたら、メタ解析論文だからと言って無条件に採用してはダメと気づいたのでしょうか?

このあたりの事情、詳しい方がいらっしゃっいましたら、ぜひご教示をお願いします。

話を戻します。

(1)から(5)の事実があるのに、つまり、エビデンスは山のようにあるのに、WHOはなぜ「治験以外は使わないで。」という結論したのでしょうか?



えっ、「やはり、陰謀だ」ですか?


「(1)から(5)は、自分たちに都合の悪い論文は無視したり、難癖をつけて否定し、都合の良い論文だけの結果に基づいて、イベルメクチンを抹殺しようとしていることの証拠だ」



「メタ解析論文を検討すると有効声明を発出しなければならなくなる。だから無視したんだ」

うーむ。しかし、先ほども述べましたが、「これこそが真実、ファクトだ」と多くの人を説得するには確固たる証拠が必要です。(1)から(5)だけではまだ確固たる証拠があるとは言えないと思います。


というわけで、(WHOがエビデンスはないと言うのは、それなりの理由があるはず) と受け止めることにしました。

念には念を 石橋でも叩いて渡ろう WHO

ここは結論から申し上げます。この「それなりの理由」は、WHOの「基本的な考え方」から論理的かつ科学的に導出されていると私は推定しています。

その「基本的な考え方」−−思想とも言えそうです−−とは、なんなのか?
それは、私の理解では、EBM(エビデンスに基づいた医療)とエビデンスピラミッド(科学的証拠の階級化、優劣をつける)です。



(じつはもう一つGDADEというのもあります。お酒の級別制度(特級、一級、二級、1990年代まで)に似た感じです。今回は省略しますが…)



もう少し具体的に書きます。



要は、「以下を満たさない論文はエビデンスとは認めない。存在しないものとする、とまでは言わない。しかし、どんどん減点する。なので、減点の結果0点となり不存在とする場合はある」。これが、WHOの「基本的な考え方」(=思想)なんだな、と私は解釈しました。


①無作為比較試験(RCT)
②二重盲検
③治験薬と偽薬(プラセボ)の比較
④大規模臨床試験

⑤有名学術誌の受理 (これはもしかしたらですが・・)

以上を一言にすると、WHOの「基本的な考え方」(=思想)とは、「石橋でも叩いてから渡ろう 念には念を」(以下、「石橋でも叩いて渡ろう」と記載)ということです。



というわけで、WHOは、著者が効果ありと結論した論文(本論考の付録としたイベルメクチン関係論文リストも参照)を、「石橋でも叩いて渡ろう」によって、バッサバッサと切り捨て、「効くと言い切れるだけのエビデンスはなかった。だからWHOとしては推奨しない、推奨して欲しかったらエビデンスをもってきて」というわけです。


これが、WHOをはじめ多くの医療者が口にする「イベルメクチンにはエビデンスがない」や「その論文は質が低い」という定型句の正体です。

原則は石橋でも叩いて渡ろう 



ただ、イベルメクチン有効論文のすべてを完全スルーすることはできなかったのでしょう。留保をつけました。それが「治験ならOK」や「まだエビデンスは不十分」という譲歩です (ここで本来であれば「他力本願ではなく自力本願でやってほしい」とツッコミたいのですが、今回は省略します)。



さて、どうしましょうか?
                        私たち市民は、このWHOの思想をどう受け止めるべきなのでしょうか?

えっ、「けしからん!!」「とんでもない暴論!!」ですか?



しかし、私は悪い考え方だとは思いません。過去の薬害事件に照らし合わせれば、お薬やワクチンの承認には、慎重の上にも慎重であってほしいと思います。


医療者が、行け行けドンドン。
全体の利益のためには、多少の犠牲はやむおえない。
これでは、命がいくつあっても足りません。

ですから、「石橋でも叩いて渡ろう」を原則とすることには大賛成です。しかし、原則には例外がつきものです。

原則は大事 しかし例外はある  

私は、いついかなるときも、「石橋でも叩いて渡ろう」が正しいとは思いません。場合によっては、原則ではなく例外を適用したほうが、利益(ベネフィト)が損害(リスク)を上回ります。言い換えると、WHOの思想が、かえって有害になる場合があるということです。



そして、「それは、今でしょ!!」と思うわけです。

かつて、街亭の守備を命じられた蜀の武将・馬謖は、山上に布陣しました。この理由は「戦うには降りて登ることなかれ」という孫子の兵法の原則に従ったからです。つまり、敵と一戦交えるにあたり、山を駆け下って敵と戦うのと山をゼーゼーハーハー言いながら登って戦うのでは、兵法上、前者が有利と言うことです。

馬謖は、師匠かつ蜀の総司令官でもある孔明と議論し、この稀代の軍略家を論破することもあるほど兵法に通じていたので、この原則に従ったわけです。

しかし、街亭は陥落しました。馬謖は致命的な戦略ミスを問われて処刑されました。



なぜ? きちんと原則を守ったのに。


理由はこうです。馬謖が布陣した山には水がなかったのです。敵は大喜び。秒で水源を抑えました。馬謖が「水がない」と慌てた時にはもう手遅れだったというわけです。



平時と有事の峻別 マスクの轍

合戦は生き物です。対応はケースバイケース。臨機応変でなければなりません。今、私たちはまさにコロナ戦の真っ最中です。今は有事なのです。平時ではありません。

有事の際は、平時の原則が敗着となり、平時の悪手が神の一手になり得る。この認識が必要不可欠です。パンデミックのど真ん中にいる私たちは、原則を鵜呑みにせず、専門家を疑い、しっかりと情報を収集し、自分で考え、メリットとデメリット比較考量して、生命身体の安全のための最善手を打つ必要があります。



WHOは悪手を打ったと私は感じています。近い将来、今回のイベルメクチンの非推奨は、昨年のマスクの非推奨と現在進行形の空気感染の否定と共に、COVID-19とのScience Warにおける3大悪手として語り継がれるのではないでしょうか?



なお、「健康な人がマスクを使用することで、COVID-19の感染を防ぐことができるというエビデンスは現時点ではない」というWHOのマスク声明(数ヶ月後に変更)は「石橋でも叩いて渡ろう」の典型的失敗の標本ですから、ぜひ検索して頂いて、マスクの轍、すなわち、有事におけるWHO戦略の弱点を学んで頂ければと思います。



RCT、二重盲検、プラセボ(偽薬)の問題点 有事には無理

「RCT論文は5つしかない」
「盲検化が不十分」

これらは、イベルメクチンに関する論文につけたWHOの評価の一部です。

しかし、有事においても、RCT二重盲検、そしてプラセボ(偽薬)の臨床試験を要請し、この試験結果でなければエビデンスとして採用しないとすることには問題があります。



これを説明しておきます。



例えば、私は、イベルメクチンの予防薬としての機能に最も注目しています(★印の5論文参照)。ですから、予防薬としての治験があれば喜んで参加したいと思います。

しかし、この時に、この治験のやり方がRCT二重盲検プラセボでは困ります。

なぜかというと、このやり方では、RCTによってプラセボ(偽薬)群に分類されると、イベルメクチンではなく偽薬(ブドウ糖か何か)を投与されてしまうからです。しかも自分がどっちを飲んでいるかわからない、苦笑。



これがコロナ禍でなければ、つまり、有事でなければ、自分の生命身体にそれほど危険は迫っていませんから、ブドウ糖を飲んでもいっこうに構いません。

しかし、ブドウ糖がコロナ予防になるとは到底思えませんし、自分はイベルメクチンを飲んでるんだというプラシーボ効果でコロナに対抗できるとも思えません。



ですから、「RCTの治験には参加しません。イベルメクチンが飲める治験に参加させてください。」ということになります。

もし全員がそうなったら、予防効果があるかないかを確かめるRCT二重盲検プラセボ臨床試験は、いつまでたってもできません。実施できなければ、エビデンスを取得できず、どれだけ理想的な試験でも画餠です。有事の際の得策とは到底思えません。



えっ、「イベルメクチンが飲めるとウソをついて、その治験をやったらどうか」ですか?


それはできません。もしそれをしてしまったら、倫理上の問題を超えて法律上の問題になってしまいます。なぜなら、患者の自己決定権の侵害だからです。損害が発生すれば、例えば、民法709条不法行為に基づく損害賠償請求事件となるでしょう。

メタ解析がなんぼのもんじゃ! 観察研究なめんな!


老爺心から、ひとつ付言します。



エビデンスピラミッドは大丈夫なのでしょうか? 論文の階級化は、「メタ解析論文でなければエビデンスに非ず」という空気を発生させないでしょうか? 


「観察研究が何か主張しようなどおこがましい。ここにおわすはメタ解析論文様であるぞ。頭が高い。控えおろう」



もしこのような考えがあるのであれば大問題と感じます。



観察研究による論文は、患者と直接向き合った著者の手によるものです。論文には著者が現場で知覚したすべてが反映されているばすです。この点は非常に重要だと思います。


一方、メタ解析論文の著者のほとんどは患者と直接向き合ってはいないはずです。複数の論文から数値だけを抽出して統合しソフトで解析する過程で大事なものがこぼれ落ちることはないのでしょうか?

ですから、この両者を比較して、常に、後者が優れているとする思想に私は反対です。優れた研究者によるたった1つの観察研究が、1000の論文を統合したメタ解析論文の結論を、軽々と凌駕して、真理に到達する。そういうケースがある。少なくとも私はそう信じます。



これをまとめるとこうなります。

「メタ解析がなんぼのもんじゃ! 」
「エビデンスピラミッドなんか知ったことか! 」
「観察研究なめんなや!」

とまでは言いませんが、メタ解析論文も観察研究も同格として扱ってはいかがでしょうか?
 Not only メタ解析,  but also 観察研究。ぜひ両者のバランスをとって頂きたいのです。

患者の自己決定権 My Body My Choice


話を戻します。


イベルメクチン論文をたくさん読んだ私は、患者の自己決定権に基づき、ストロメクトールを個人輸入し、有事(感染)に備えています。



この患者の自己決定権は、医療界において、最も重要な概念です。事例を使って解説しておきます。



現在、イベルメクチンの使用について、WHO以外にも、IDSA、FDA(正確には動物用を使うなですが)、EMA(この5団体を以下、WIFEと記載します)、そして、我が国の少なくない医師が「待った」をかけています。



東京都医師会は積極的にイベルメクチンの使用を働きかけていますし、すでに処方している医師の方もいますが、あくまで大多数の医療者は非推奨で、その態度をまとめると「治験の結果を待ってください」です。



では、私たち市民は、お医者様による、この「待った」に従う必要があるのでしょうか?



(結果を待ちましょうね。と、引退した評論家みたいなこと言ってるけど、現役の医師なら、ここは私が治験をして結果を出しますから、って言うべきなんじゃないの、というのをグッとこらえて、笑)

答えは否です。



これらの意見はあくまで参考意見です。強制力はありません。だからこそ、WHOの声明は We order (命令する)ではなくて、We recommend (オススメする)で始まるのです。



なぜでしょう?

WHOの権威に基づいて「使うな」と命令する方が手っ取り早いのに。



理由は簡単です。
それは、私たち市民が有しているパワーの方が、WIFEや医師の持つパワーより強いからです。
これが患者の自己決定権です。

とても大事なことなので心に刻んでおいてください。合言葉はこうです。
  My Body My Choice!!

My Body My Choiceの根拠 最高裁判例・ニュルンベルグ綱領など

どのような治療をするか、あるいはしないか、この意思決定をするのは私たち市民です。医師にその権利はありません。医師にできるのはアドバイスだけです。

これを患者の自己決定権といいます。この権利は最高裁判例にも明記された法的拘束力のある権利です。ニュルンベルグ綱領とヘルシンキ宣言にも明記されています。

ご紹介しておきましょう。



「本件において、U医師らが、Xの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」として、医師らは「Xが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負う」(最高裁判決・平成12年2月29日)



つまり、患者の命を救うためにと医師が輸血をしても、輸血に患者の同意がなければ、その行為は、患者の人格権(≒患者の自己決定権)の侵害として違法となり、損害賠償金の支払いが発生するということです。

「1.被験者の自発的な同意が絶対に必要である。」(ニュルンベルグ綱領)

「9.研究対象者の生命、健康、尊厳、無欠性、自己決定権、プライバシー、個人情報の機密性を守ることは、医学研究に関与する医師の義務である。」(ヘルシンキ宣言)



というわけですので、もしイベルメクチンを服用したいときは、自信をもって医師に要請し、自己決定権を行使しましょう。


この時に、医師の役割は、以下であり、そこに、治療法の決定は入っていないと理解しておくと、より強いパワーが出ると思います。



①治療方法を患者に提案する。もちろん、複数あればすべてを②それらの治療方法のメリットとデメリットを詳しく説明し、③患者が最適な治療を自己決定できるようにサポートする。もし治療をすることになった場合は、④患者の同意をしっかりと得て、⑤その医師/病院に課せられた医療水準の治療を提供する。


患者の自己決定権の詳細に興味のある方は、例えば、以下の拙稿をどうぞ。

患者の自己決定権の現状と課題
https://note.com/sohmiyaseiyu/n/nc2b29ccd6041

立証基準の使い分け 証明と疎明 民事裁判

エビデンスについて1つ提案をしたいと思います。立証基準の使い分けです。


医療界の思想とも言うべき「EBMとエビデンスピラミッド主義」に照らし合わせると、医療界が採用している立証基準は、エビデンスによる「一点の疑義も許されない自然科学的証明」だと思いました。



もちろん、人の生命身体の安全に関する判断ですから、私も、原則は、そうであってほしいと思います。

しかし、それが「いついかなる時もRCT二重盲検プラセボ大規模治験でなければエビデンスに非ず」というのであれば、杓子定規に過ぎます。

ケースによっては、立証基準を変更すべきです。

参考のために、民事裁判のそれをご紹介しておきます。

立証基準には2つがあります。1つ目は証明です。

民事裁判は、原告側が勝訴判決を取得するには、裁判所に、証拠を提出して、自分の主張の正しさを立証することが必要です。では、どの程度の確からしさまで頑張ったら、原告の言い分は正しいと裁判所が納得するか。この点について、「高度の蓋然性を感じるまで頑張れ」が原則です。



えっ、「高度の蓋然性ってなに?」ですか?               
確かに、この説明では抽象的過ぎて、わけがわかんないですよね。

そこで、以下の判決文をご紹介します。

                

「訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである.」(最高裁判決・昭50年10月24日)

                                 

これでも、まだ抽象的ですね。ざっくり言えば「確信です」。さらに無理矢理、パーセンテージにすれば、たぶん、99パーセントくらいです。

平時は証明 しかし、有事の際は疎明で

2つ目は疎明です。必要性がある場合、つまり、有事の際には、立証基準を変えても良いことになっています。疎明は確信の程度に至らず、一応確からしいとの推測を得た状態のことです。例えると、複数の観察研究論文の結果で納得する感じでしょうか?

                    

民事保全法 第13条(申立て及び疎明)
保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2 保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。


同法第23条  
1.係争物に関する仮処分命令は、その現状の変更により、債権者が権利を実行することができなくなるおそれがあるとき、又は権利を実行するのに著しい困難を生ずるおそれがあるときに発することができる。
2.仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。

このように民事裁判は、平時には証明、有事の際には疎明と立証基準を使い分けているのです。

つまり、ここで私のいわんとすることは、医療界も、状況に応じて、立証基準を使い分けてほしいということです。

実際、ワクチンや一部の治療薬の承認は「一点の疑義も許されない自然科学的証明」ではなく「高度の蓋然性」で足りるとした実例ではないでしょうか?                                    であれば、イベルメクチンのように安全性が高いものは、他に決定的な治療がなく、COVID-19によって急迫の危険があるケースでは、さらに進んで疎明で足りるとすることは合理的だと思うのです。


反論が予想されます。



疎明はダメだ。有事でも、いや、有事だからこそ、少なくとも「高度の蓋然性」は維持すべきだという反論です。                   



しかし、それでは、また、前述したマスクの轍を踏むことになるのではないでしょうか? 

いえ、マスクだけではありません。空気感染も、マスクのケースに近づきつつあり、このままでは、近い将来、イベルメクチンがこれらに続くでしょう。                           



WHOによるこれらの失敗の最大原因は、有事にまで平時と同じレベルの立証基準を採用していることなのです。ぜひ考え直して頂きたいと思います。


パターナリズムの払拭を ピンチをチャンスに

EBMとエビデンスピラミッドの思想は目的を達成するための手段のはずです。目的ではありません。

では、目的とは何でしょうか?

それは患者に、その時点における最良の医療を提供することだと思います。



繰り返しますが、何をもって最良の医療とするかの意思決定は、患者、つまり、私たち市民が行うものです。それは医師の任務ではありません。医師の任務はあくまで私たち市民が、自分にあった最良の医療を選択できるようにサポートすることなのです。



しかし、この一年、この点の理解が今ひとつではないかと思うシーンが何度もありました。具体例は以下です。



(1)市民に「素人は黙れ」とツイートする医療関係者アカウント
(2)医師の間違いを正そうと市民がリプライするとブロックする医療関係者アカウント
(3)他者にエビデンスを請求する一方、自分の主張のエビデンスは示さない医療関係アカウント



もしかしたら、本邦の医療界は、まだパターナリズムを脱却しきっていないのでしょうか?

ツィッタランドだけでも問題ですがリアルワールドにおいても以下のような空気が医療界にあるのなら大問題です。




「黙って俺についてこい。悪いようにはしない」
「素人には医療はわからない」



今は、もう昭和ではありません。
ぜひ、今回のコロナ危機をパターナリズム払拭の機会にして頂きたいと思います。



そして、RCT二重盲検プラセボ大規模試験やそれらを統合分析したメタ解析論文だけが最良のエビデンスだ、というバイアスを排除して、観察研究、場合によっては、論文化はされていな現場で患者と向かい合う医師の「経験と勘」もBest Evidenceとして採用する。これこそが本当の意味でのEvidence based medicineではないでしょうか?


ファインマン博士の教え 科学的良心とは&科学とは

本稿もそろそろ終わりに近づいてきました。そこでRP・ファインマン博士の教えを2つ紹介します。一つ目は医療関係者の皆様を、二つ目は市民の皆様を、想定しました。



(1)これはマサチューセッツ工科大学1974年卒業式式辞です。ここには、今なお、いや、これからもずっと自然科学研究者の間で語り継がれるであろう科学的な考え方の根本原理がわかりやすく説明されています。

以下、『ご冗談でしょう、ファインマンさん(下)』(R.Pファインマン著・大貫晶子訳)から引用します。





「他の人々が諸君の仕事の価値を判断するにあたり、その評価を特定の方向に向けるような事実だけを述べるのでなく、本当に公正な評価ができるよう、その仕事に関する情報を洗いざらい提供すべきだというのが、私の言わんとしいてることなのです。」



「科学者として行動しているときは、あくまでも誠実に、何ものもいとわず誠意を尽くして、諸君の説に誤りがあるかもしれないことを示すべきだということです。これこそ科学者同士の間ではもちろんのこと、普通の人たちに対するわれわれ科学者の責任であると私は考えます。」



(2)こちらは科学の定義です。未知のウィルスとの戦争中の市民の方々には、こちらの思想の方がより大事です。

(なお、出典を忘れてしまい、本棚をひっくり返しています。ご存知の方、いらっしゃいましたらぜひ教えてください。)

「僕はみなさんが専門家を、たまにどころか、必ず疑ってかかるべきだということを、科学から学んで頂きたいと思います。事実、僕は科学をもっと別な言い方でも定義できます。科学とは専門家の無知を信じることです」



要は、こうです。


「専門家は必ず間違える。鵜呑みにするな。素人の言葉と同じくらい疑ってかかれ!」

実際、このファインマン・プリンシプルは、昨年2月から3月、感染症「専門家」と一部医師の方々のRT-PCR検査についての発言に困惑した時、たいへん役に立ちました。

皆様も是非、ご活用ください。

イベルメクチンの特徴 副作用は少ない 通常用量なら

忍容性の高さはイベルメクチンの特徴の1つです。つまり副作用が極めて少ないのです。私がイベルメクチンを個人輸入することにした理由の半分以上はこの点にあります。



もしイベルメクチンにそれなりの副作用が報告されていたら、(個人輸入して備蓄し、いざとなったら、服用しよう)とまでは考えなかったと思います。しかし、イベルメクチンは既に承認されたお薬で、40億回以上投与されているにもかかわらず副作用の報告は少ないとのことです。実際、イベルメクチンをCOVID-19に試した論文(付録・COVID-19に係るIVM論文リスト参照)でも気になる副作用は報告されていません。



というわけで、以下の状況も合わせて考えると、「通常の用量なら副作用はないんですよね。だったら、試す価値はありますね。少なくとも何もしないよりはマシ。飲みましょう」ということになるのではないでしょうか?


(1) コロナは拡大中、12鬼月とでもいうべき変異株も上陸している。
(2)ワクチン接種率はまだ1パーセントあたりで、まだまだ順番待ちは続く。
(3)感染が爆発すると、入院できずに、自力で治す自宅療養となる。
(4)効果があるという論文が複数ある。
(5)日本では、「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)診療の手引き」に掲載されており、適応外使用は合法で、医薬品保証制度の対象外ではあるが保険は適用される。
(6)個人輸入による自己服用は、医薬品保証制度の対象外ではあるが、合法である。
(7)経口薬なので服用が容易、かつ、値段もリーズナブルである。
(8)予防や軽症時に決定的な治療薬はない。

いかがでしょうか?


以上に照らし合わせると、少なくとも私は、「服用せず、治験の結果を待つ」という作戦に合理的理由を見つけられません。


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